「「いってきます」」
「「いってらっしゃい」」
いつも通りの朝。
玄関で静雄と二人、みんなに見送られて外に出た。
いつも通りの、朝。
「そういや昨日、洗面所で臨也の顔写真貼った免許証見つけたんだけどよぉ」
「免許証?臨也、免許取ってたっけ?」
「いや、それがよ…名前んとこに『奈倉』って書いてあったんだ」
奈倉と聞いてすぐに納得した。何を納得したかと言われればまぁ…いろんなことだ。
「ああ、それきっと偽造免許証だよ」
「偽造?」
静雄は眉をピクリと動かしてサングラス越しに私を見た。
「『奈倉』は、臨也がよく使う偽名なの」
「偽名って…あいつ、マジでクソ野郎だな」
見るからにイライラし始めた静雄に苦笑する。
確かにねぇ…臨也もやり過ぎだと思う。けど、だからって奈倉くんを庇う気にはなれないな。同情はするけど。
ほんの少し昔を思い出していると、いつの間にか静雄との別れ道に来ていた。別れ道と言ってもそれは大きな交差点で、私は真っ直ぐ、静雄は右に曲がる。
「じゃあ、お仕事頑張って」
「おう、お前もな。……」
「どうしたの?」
「いや…気を付けろよ」
静雄の手がぽすんと頭に乗る。どうしたんだろ。いつもはこんなことしないのに。
疑問に思いながらも、信号が青になったのでばいばいと手を振って別れた。
そんな、いつも通りの朝だった。
お昼休み。久しぶりに同僚二人と外で食べて、会社に戻る途中。
朝静雄と別れた交差点で、てこてこと歩く小さな黒猫を見つけた。
「わ、可愛い」
「子猫じゃん。でも黒猫かぁ……不吉」
「そうかな?別にそう思わないよ」
「奏ってさ、猫好きだよね。てか猫好きになった?」
同僚二人が笑いながら尋ねる。確かに、イザにゃんが来てから猫は好きになったかも…好きというより可愛いと思うようにはなったな。
この黒猫の子猫ちゃんなんて、まさにイザにゃんみたいですごく可愛いもん。
「彼氏は犬っぽいのにねー」
「あーわかる。ゴールデンレトリバーって感じ?」
「今は静雄は関係ないでしょ…!」
いきなり静雄の話に飛んで、私は焦りながら話を中断させようとしたのだけれど、二人はお構いなしに静雄の話で盛り上がっていた。
自分の恋人が静雄だということは、会社の中でもこの二人しか知らない。というのも、みんな静雄の名前を出すだけで怯えたり、表情を曇らせたりするからだ。そんなのはもううんざり。それに、わざわざ言い触らすことでもないしね。その点、この二人はちゃんと静雄のこと見てくれる。
「(そういや今日の朝、ここで静雄に気を付けろって言われたんだっけ)」
「あっ!」
同僚の声で我に帰る。あれ、と道路を指差したその先には、さっきの子猫。
どうやら道路に飛び出したらしい。信号は赤。そして車のクラクション。道路の上で、子猫は体を固くした。
「どうすんのあれ……って、奏!?」
気が付いたら、体が勝手に動いていた。とにかくあの子猫を助けたいという一心で。
ニーニーと鳴く小さな身体を抱き上げる。もう大丈夫だからね。そう言う暇もなく、再びクラクションが鳴った。
ドスン。
「(……あ、)」
浮遊感のあとに、衝撃。
子猫は無事だろうか。
確かめようとして、私の意識はそこでぷつんと途切れてしまった。
津軽から連絡があって、俺はとりあえず走った。取り立ての場所が病院に近かったことと、連絡を受けてからすぐにゴーサインを出してくれたトムさんに感謝しながら、逸る気持ちを抑えズカズカと病室まで歩く。
「静雄さん!」
「日々也、デリック…奏は?」
「頭打ってるけど命に別状はないって。今は眠ってる」
そうか、と安堵の息をつく。病室に入ると、みんなが奏のベッドを囲むようにして立っていた。なんか大往生してるみてぇ、とか思いながら俺もその輪に加わる。
「とりあえず命に別状はなくて安心したよ」
「……だな」
チビを抱いて椅子に座った臨也がため息をつく。チビとサイケが泣きそうな顔をして奏を見つめていた。
「かなで、ちゃんとおきる?」
「大丈夫。今はちょっと寝てるだけだから」
「うー…津軽……」
「泣くなサイケ。大丈夫だ」
そうだ、泣くほどのことじゃない。なのに、それなのに。
「(何でこんな…もやもやするんだ)」
奏に対して朝から抱いていた何か。それが、消えない。
結局、俺と臨也以外は一旦家に帰り、奏が目覚めるのを待つことにした。
それから数時間。外はもう日が沈もうとしている。赤い太陽の光に反応するように、奏の瞼がぴくりと動いた。
「ん…」
「「奏?」」
「あたま…いたい……」
ゆっくりと右手を頭に当てて奏は呻いた。起き上がろうとする奏の背中を支えてやる。奏は、その時初めて俺たちの存在に気付いたかのように視線をこちらに向けた。
「頭を打っただけで、他はかすり傷だって。良かったね」
「え…はぁ」
「……奏?」
「あの、」
ああ、もやもやの正体はこれだったのかもしれない。
そう納得するより先に、奏の次の言葉で頭が真っ白になった。
「あなたたち、誰ですか?」