「やっと着いた…」
「なんつーか…見てるこっちがハラハラするな」
電柱に隠れながら、奏と静雄は同時にため息をつく。
いつも通っている道のはずなのに、何故か間違えたイザにゃんとサイケは、遠回りをしながらもなんとかケーキ屋まで辿り着いた。
「こんにちは!」
「こ、こんにちは」
サイケが元気よくドアを押すと、イザにゃんもそれに続く。サイケと一緒に行かせたのは正解かもしれない。イザにゃん一人では、きっと店に入るのにも時間が掛かっただろう。
「いらっしゃいませ」
「えーっと、奏はなんて言ってたっけ?」
「…これ。しょ、う、と、け、え、き」
ショーケースの中のショートケーキを指差して、イザにゃんは紙に書かれた名前を読んだ。サイケも覗きこんで顔を輝かせる。
「おいしそう!」
「しょうとけえきは、さんこっていってたよ」
「うん。えっと、あとは…これ!チョコレートケーキ!これを、ふたつ!」
サイケが店員に向かって言うと、女性の店員が優しそうに笑ってケーキをトレーに取っていく。
「以上でよろしいですか?」
「まだ、おれたちの分選んでない……」
「あら、どれにしますか?」
「「うーん…」」
ショーケースに手を付いて真剣にケーキを見比べる二人に、店内は和やかな雰囲気に包まれる。
やがてイザにゃんが力強く一つのケーキを指差す。
「これがいい」
「モンブランですね?」
「ぐるぐるってしてるの、おもしろいから…」
人見知りの激しいイザにゃんは店員に確認されて小さい声でぽそりと言った。握ったサイケの手に力を込めて、少し隠れるようにサイケの後ろに回る。
「イザにゃんぐるぐるかぁ。…あ!じゃあおれはこれにしよう」
「ロールケーキを一つ、と。これで全部ですか?」
「はい!」
サイケが元気よく頷く。店員は二人が一つずつ持てるように、二つの箱にケーキを入れてくれた。
「今日はね、おれとイザにゃんの、はじめてのおつかいなんだよ!」
「そうだったんですか。じゃあこれをおまけで入れちゃおうかな」
そう言うと、店員は小さな子猫のムジパンをおまけで箱に入れた。
「ありがとう!」
「ありがと…」
代金を払い二つの箱を受け取ると、サイケとイザにゃんは店員の「ありがとうございましたー」という声と共に店から出た。
「あ、出てきた」
「帰りは大丈夫だろうな…」
「ふふ、保証はできないね」
笑う奏に、静雄はガリガリと頭をかく。上機嫌に歩くイザにゃんとサイケの後を、再びビデオカメラを構えながら奏たちも歩きだした、その時だった。
「ひゃあっ…!」
イザにゃんの短い悲鳴に目を向けると、しりもちをついたイザにゃんの上に一匹の犬が乗っていた。野良だろうか、首輪は付けておらず、イザにゃんの頬にクンクン鼻を押しつけている。
「ふわ…」
「こら犬さん!イザにゃんいじめちゃダメだよ!」
「クゥン」
「あっだめ!それはもっとだめー!」
イザにゃんからどいた犬は、甘い匂いのするケーキの箱へと近づく。たぶん最初からこちらが目当てだったのだろうが、イザにゃんが慌てて箱を抱きしめたため、淋しそうに鳴いてその場を後にした。
「こんど会ったらなにかあげるから!ごめんね!…さ、行こうイザにゃん。大丈夫?」
「け、えき、が……」
サイケが手を伸ばすとイザにゃんは目に涙を溜めて俯いている。その視線は腕の中の箱に向けられていた。
サイケは、それでイザにゃんが何故泣きそうなのか理解する。
「…大丈夫!ちょっところんだだけで、ケーキはこわれたりしないよ!もし、もしこわれてても、ちゃんと話せば奏もゆるしてくれるよ。おれもいっしょにお話するから!ね?」
「さいけ…」
「いつの間にあんなお兄ちゃんになって……」
「奏、あんま乗り出すとバレるぞ」
お兄ちゃんらしくイザにゃんの頭を撫でて、手を取って立たせると、サイケは笑顔で歌を歌いながらまた歩きだした。その姿にポストの影にいた奏はじーんと感動する。
と、ふと道路に何か落ちているのに気付いた。
「……あ、」
「これ、チビの」
落ちていたのは、イザにゃんが鞄に付けていた小さな猫のストラップ。奏がイザにゃん用に作ってあげたものだ。さっき転んだときに糸が千切れてしまったらしい。
「戻ってくるかな?」
「どうだかな」
「……」
「どうする?」
「静雄はここに残って。もし気付かなかったら私電話するから、これ持ってきて」
「……来週、デート一回」
「はぁ?」
「デート一回」
「……いいよ」
「ん、」
少し嬉しそうにはにかむ静雄に、奏は少し赤い顔でくしゃりとその頭を撫でた。
結局、イザにゃんもサイケもストラップを落としたことに気付かないまま家の近くまで来ていた。イザにゃんは箱の中身について精一杯だったし、サイケはそんなイザにゃんを必死に励ましながら来たのだから仕方ない。
奏はもういいかなと思い、一つ前の曲がり角から裏に回る。ついでに静雄に電話もし、裏口から家の中に入ると、ちょうど玄関の扉の開く音がした。
「ただいま!」
「ただいま…」
「おかえりー」
すっかり元気を無くしたイザにゃんに苦笑しながら、奏はリビングを突っ切ってまっすぐ出迎える。それに、デリックと津軽、ビデオカメラを受け取った臨也も続いた。
「二人ともありがとうね。あらあらどうしたのイザにゃん、そんな悲しそうな顔して」
「かなで…わんわんが…けえきが……」
「イザにゃんはわるくないんだよ!いきなり犬さんがぴょーんって出てきたの!」
箱を開けると、案の定ケーキは形を崩していた。それを見て、イザにゃんはさらに泣きそうな顔になる。
両手を広げて説明するサイケに、津軽たちは首を傾げ、奏は笑って「そっか」と頷いた。
「でも私はイザにゃんたちがちゃんとおつかい行ってくれたことがすごく嬉しいよ?よく頑張ったね、偉い偉い」
「でも、おつかい、しっぱいしたもん…!あ…、」
ぎゅうっと服の裾を握りしめて、ようやくイザにゃんは自分の鞄に何かが欠けていることに気付いた。
溜まった涙が、とうとうぼろりと落ちる。
「かなでのにゃんにゃん、ない…っ!ぼくの、ぼくのにゃんにゃ…ふぇ、う、うえぇぇ…」
玄関で泣き出したイザにゃんに、奏以外はびくりとする。奏はイザにゃんを抱き上げると、帽子を取ってよしよしと頭を撫でてあげた。その耳はぺたんと垂れ下がっている。
「ちょっと奏、大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。きっと今にとっても優しい人が届けてくれるから」
「「優しい人?」」
「ただいま…うわ、なんだみんなして」
タイミング良く帰ってきたのは静雄だった。その手にはイザにゃんが落としたストラップがぶら下がっている。
「ほら、ね?」
「しずお、それ…」
「ん?あぁ、タバコ買いに行った途中で見つけたんだよ。チビのだろ?」
ぷらりと子猫をイザにゃんの目の前で揺らすと、イザにゃんはこっくり頷いて、大事にそれを受け取った。
「もう落とすなよ」
「うん…!しずお、ありがとう!」
まだ少し頬を濡らして、イザにゃんは耳をピコピコさせた。臨也も津軽もデリックも心の内でそういうことかと納得する。奏はあらかじめ電話で静雄に芝居をうつよう言っていたのだ。
「イザにゃん、さっきも言ったけど、私はケーキを買ってきてくれただけですごく嬉しい。だから、別にケーキを落としても失敗だなんて思わない」
「そうそう!二人が買ってきてくれたおかげで、俺たちケーキ食えるんだし」
「サイケとニャン公が行ってきてくれて助かった」
「だからにゃんこもサイケも手洗っておいで。じゃないとシズちゃんに食べられちゃうよ、ケーキ」
「「それはやだ!」」
「おいどういう意味だ」
とたとたと洗面所に駆けて行く二人の後ろ姿を、大人組は笑って見つめる。臨也は、小声でこそっと奏に耳打ちした。
「ちゃんとビデオは撮っただろうね?」
「もちろん。臨也こそ、朝早く取り付けに行った小型カメラはちゃんと映ったの?」
「当然」
「奏、手あらった!」
「あらった!」
「じゃあ早速ケーキ食べようか!津軽、今日は紅茶にしよう。手伝ってくれる?」
「ああ」
かくしてイザにゃんとサイケの『はじめてのおつかい』は、無事に終わりを告げるのだった。
(奏、これは…)
(ああ、ムジパンね。砂糖菓子だよ。かわいー)
(ムジパンか。創作意欲が掻き立てられるな…)
(どうしよう津軽が何かに目覚めそうだ…!)