子猫との日常 | ナノ


「シズちゃんてばホント信じらんない。だいたいシズちゃんはさぁ……」


赤くなった顔で臨也が熱く語っている。
俺たちが今いるのは、奏の家の近くにある小さな居酒屋。住宅街にひっそりと佇むこの居酒屋は、ここらに住む人たちにとって一つのオアシスとなっていた。


「津軽ー、聞いてる?」

「ああ」


そしてこの居酒屋は俺と臨也が二人きりで話をする一つの場所だった。

奏の家でも酒は呑める。けれど、二人きりになることは滅多にない。俺が一度晩酌の相手をしてからというもの(最初は二人きりだったこともあって静雄の愚痴を聞かされた)、臨也は俺とよく呑みたがるようになった。
臨也曰く「聞き上手」らしい俺は、時々臨也にこうして連れ出されるようになったわけだ。家に静雄や奏がいるときは、いつもこの居酒屋に来る。

そして今日もまた、奏に見送られて二人で居酒屋に来ていた。


「はぁーあ、シズちゃんマジで死んでくれないかなぁ」


テーブルに突っ伏して額をごろごろさせる臨也に、少し笑った。
一緒に話す内に、サイケほどではないけれど、臨也も幼い一面を持っていることを知った。こうして拗ねたようにして喋るのも、その一部だ。


「でも本当は死んで欲しくないんだろう?」

「そこなんだよなぁ。別にシズちゃんに死んで欲しくない訳じゃなくて、奏のために死んで欲しくないんだよね」

「奏が悲しむから」

「…うん。シズちゃんいなくなったら奏絶対泣くんだよ。その時俺が傍にいて、そのまま二人でゴールイン!とか、なったらいいけどね。でも…」


顔を上げて、今度は頬杖をつきながら臨也はどこか空を見つめた。


「なんだかそれって逆にシズちゃんに負けた気がするんだよねぇ。てかそれ以前に奏の泣き顔を見ながら自分のものにするとか自分自身に反吐が出そう」


むっと顔をしかめて、ビールをぐいっと飲んだ。
これは、また酔い潰れるパターンかもしれない。おぶって帰るから別にいいけど。

酒の力がないと、臨也はなかなか本音を話さない。この前奏に抱きついて本音を話したときもかなり酔っていたし、こういうところも含めてまるで子供みたいだ、と思うこともある。


「でもまさか奏がシズちゃんに惚れるとは思わなかったよ。いや、薄々は感じてたんだ。もしかしたらって」

「なんでだ?」

「シズちゃんは俺に無いものたくさん持ってるからさ。だから高二の時、奏とシズちゃんが一緒のクラスだと分かって、俺は奏を取られちゃうんじゃないかって思った。あれは一種の恐怖心だったよ」


俺は、目を瞬かせた。今まで愚痴や悩みを聞いたことがあっても、過去話を聞いたことがなかったからだ。
そんな俺に気付いているのかいないのか、また一口ビールを飲んで臨也は口を開いた。


「そうだ…俺はどこかで恐怖していたんだよ。奏が俺のそばから離れていくことに。別に独占欲が強かった訳じゃない。そりゃ嫉妬はしたことあるけど、束縛はしなかったし」

「奏は臨也を見放したりしないだろう」

「わかってるさ。でもだからって簡単に割り切れるほど大人じゃなかった。シズちゃんが奏に好意を寄せているのを知ってから、俺は毎日気が気じゃなかった。だからシズちゃんにたくさんの人を送り込んで、毎日喧嘩させた」


少しでも奏から離れるように。喧嘩ばかりするシズちゃんを奏が嫌いになるように。そんなシズちゃんが自己嫌悪に陥るように。

そう言って、臨也は軽く笑った。その笑顔が何故か寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。いや、違う。

きっと臨也は寂しいのだ。今も昔も、ただ寂しかっただけ。だから少しでも自分と一緒にいてくれる誰かを探してただけで。そしてその誰かが奏だっただけで。その奏を好きになったのが静雄だっただけで。


「人の出会いは、どこでどう繋がっているのか分からないな」


そうだね、とまた臨也は笑った。

ぽふ、と優しく頭に手を乗せる。


「津軽?」

「俺は、奏みたいに臨也の特別にはなれない。けど傍にいることはできる。臨也が寂しくないように」

「つが……、」

「俺はお前の味方だ」


臨也が何か悪いことをしてることも知ってる。臨也がたくさんの人に恨まれているのも知ってる。
他でもない奏が教えてくれたんだ。だから、奏が臨也のことを心配しているのも知ってる。


──津軽は、臨也のこと嫌いになったりしないで。


あの時の奏の顔を臨也に見せてやりたいと思った。


──これ以上、臨也を一人にしたくないの。


あの時、一雫だけ落ちた奏の涙は、臨也が拭うべきなんだ。


「俺だけじゃない。今の臨也にはサイケもニャン公もいるだろう。もちろん奏と、静雄も」

「……ははっ、シズちゃんは願い下げだなぁ」

「大丈夫だ臨也。お前には思ってる以上にたくさんの人がついてる」


だから、と言い掛けた口におでんのミニダコが突っ込まれた。んぐ、と言葉に詰まると、箸を抜いた臨也が片手で顔を隠しながらもごもごと言った。


「も、いいよ。わかった」

「……」

「帰ろ」


やっとのことでミニダコを飲み込む。臨也はすでに会計に向かうために立ち上がっていた。が、やはり飲み過ぎたのかフラフラだ。

俺は臨也から財布を受け取ると、先に外に行ってるように言った。風に当たれば少しは気分が良くなるだろう。


「兄ちゃんも大変だねぇ、やけ酒に付き合って」

「いえ。むしろ嬉しいですよ。それに彼はやけ酒なんかしてません」


笑いながらレジを打つ店主の奥さんに笑い返しながらお金を払う。


「ただ、誰かとの繋がりを確認してるんです」


俺と話をすることで、臨也は自分の人間関係を確認しているのだ。愚痴を溢すだけの人がいること、自分が愛している人がいること、そして自分の話を聞いてくれる人がいること。
自分と繋がっている人を確かめるように、ひたすら他人の話をして。

臨也は人間が大好きで愛していると言っていた。でもたぶん、臨也は誰よりも人間に愛されたいと思ってる。と、俺は思う。

奥さんはそう、と今度は穏やかに笑って、おまけだと飴玉を2つころりと転がした。


「臨也」

「うぇ…気持ち悪い。呑んでる最中は平気なのになんで急に具合悪くなんだろ…」

「大丈夫か?…っと、」


慣れた手つきで臨也を抱き上げると、臨也も慣れたように俺の背中へともそもそ動いて移動した。晴れておんぶの完成だ。
最初は、歩けないくせにおんぶされようとしない臨也を無理矢理担いでいた。それから担がれるのはかっこ悪いとやっぱりおんぶにしたのだ。でもやっぱり自分から背中に乗るのは嫌らしく、このような方法に至った。

俺にはよく分からないが、プライドとかいうやつがあるらしい。


「いつも悪いねぇ」


ぐったりと俺の肩に頭を預けて臨也が言った。
その声はいつもより軽くて、どこか明るかった。
その声になんとなく安心して、答える代わりに背負い直す。


「津軽ー……」

「ん?」

「………あ、りがと」


それから臨也は黙り込んでしまった。
くすりと笑って、俺は奏の家へゆっくり歩いた。






(大人な子供)


ほら、家の明かりが見える。
あれがお前の居場所だろう。





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