「な、に言って……」
「あれ?まだ思い出せないかな。あぁ、そんなに警戒しないでよ。言ったでしょ、"同胞"って。俺は君らと同じ存在だ」
やれやれと息をつきながら肩を竦めるその青年を見ながら、津軽とサイケは頭の中に何かが湧き出てくる感覚を覚えた。先ほどとは違う鈍い痛みに顔をしかめる。
「うーん…もうちょっとすんなり思い出してくれると思ったんだけど」
「……っ、思い出した!」
津軽がはっと目を開く。そして目の前の青年を見ながら、少しだけ表情を柔らかくした。
「…お前、八面六臂か」
津軽の言葉に、青年は満足したようににんまりと笑った。やっぱりその表情は臨也そっくりだったが、津軽はもう理解していた。彼は臨也じゃない。どちらかと言えば、サイケに近い存在だ。
「はちめん、ろっぴ?…ろっぴ、ろっぴ……あーっ!」
津軽の言葉からヒントを得たサイケも、ぽんと手を叩いて納得する。すると途端に青年に抱きついた。
「ろっぴ久しぶり!おれ、思い出したよ!」
「それは何より」
笑いながらサイケの頭を撫でるその青年の名前は、八面六臂。彼はこの世界の住人であり、津軽とサイケもまたこの世界の住人だった。
この世界がどのようなものかと聞かれたならば、ただ漠然と"そこにある"ものとしか言いようがない。
しかし津軽たちは確かにこの世界で生まれ、この世界から奏たちの世界に向かった。それが事実であることに変わり無いのだ。
ただ一人、イザにゃんだけを除いては。
「つがる、だれ?」
「俺も聞きたいなぁ。どうしてその子はここにいるの?」
イザにゃんはこの世界には存在していなかった。八面六臂が興味深そうにイザにゃんを観察する。イザにゃんはその視線から逃れるように津軽の袖をぎゅっと握った。
「恐がらなくていい。こいつは八面六臂」
「ろっぴって呼ぶとよろこぶんだよ!ろっぴ、こっちはイザにゃん。おれの弟!」
「別に喜んではいないんだけど……。てか、弟?」
「いや、サイケが勝手に決めただけだ」
「ふーん。ま、ここに来れたってことは君もこちら側の存在なんだろうね。改めて、よろしく」
八面六臂が頭を撫でてにっこり笑うと、イザにゃんは津軽の袖を握ったまま、小さくうん、と呟いた。
八面六臂とイザにゃんが少し打ち解けた様子を見て、津軽が口を開く。
「どうして俺たちはここに連れて来られたんだ?」
それは最もな疑問。
津軽もサイケも、もちろんイザにゃんも、なぜ自分達がいきなりこちらに来たのかわからない。
八面六臂はイザにゃんの耳をいじりながら、然程重要でもなさそうに説明を始めた。
「君たちに紹介したい人がいてね」
「紹介?」
「うん。だから半ば強制的にこちらに来てもらったんだ。……ほら、この子だよ」
八面六臂がパチン、と指を鳴らすと、彼とは正反対の、白いスーツ姿の青年が姿を現した。
「サイケ、君の本当の弟だ」
「え?でもでもろっぴ、この子って…」
「まあ、ついこの間生まれたばかりだから、サイケだけでなく俺たちにとっても弟ということになるんだけど。でもほら、この瞳の色とヘッドホン」
薄く開かれたその瞳は、サイケと同じピンク色。
サイケはぱぁ、と表情を輝かせると、飛び跳ねるように青年に近づいた。
「やった、また家族がひとり増えたね!」
「まだ生まれたばかりだから、あまり覚醒はしていないよ。でも、もうしばらくしたらきっとあっちの世界に行くだろう」
「奏が困らなきゃいいが」
苦笑する津軽に、八面六臂は笑いながら手を振った。
「困りはするかもしれないけど、拒みはしないさ。だって彼は彼女に望まれて行くんだからね」
「奏に望まれて…?」
そう、と頷いて今度はイザにゃんを津軽から抱き上げてから、八面六臂はごくごく軽い調子で語りだした。
「津軽もサイケもイザにゃんも、奏に望まれて初めてあちらの世界に存在することができるんだ」
「じゃあろっぴは…?」
サイケが悲しそうな顔で八面六臂のコートを引く。八面六臂は苦笑しながらその答えを口にした。
「どうやら俺はお呼びじゃないらしい。それに、俺にはこの世界に存在し続ける義務がある。どうやってもここからは出られないのさ」
「ろっぴ、さびしい?」
「寂しくないよ。ここにも仲間がいるし」
イザにゃんの頭を撫でながら、八面六臂はにこりと笑った。サイケがうんうんと頷く。
「リンダも学人も、時かけちゃんもツパチンもいるからね!」
「ふにゅ…?」
知らない言葉の羅列に、イザにゃんはただ首を傾げる。八面六臂が、ここにもたくさん人がいるんだよ、と簡単に言うと、イザにゃんは安心したようにふにゃりと笑った。
「それに、君たちのことはいつも見てるし」
そう言うと、八面六臂はくるりと指で円を書いた。するとそこだけ闇が切り取られたように、ある光景が映し出される。
だが津軽はその光景を見て、ぐっと眉をしかめた。
続けて覗き込んだサイケも表情を曇らせる。
その円の中には、消えた三人を必死で探す奏の姿があった。後ろには静雄の姿も見える。
同じように覗き込んだイザにゃんが、寂しさを思い出したのか弱々しい声を出した。
「…かなでのとこ、かえりたい……」
八面六臂は小さくため息をつくと、抱いていたイザにゃんを下ろした。
代わりに津軽がイザにゃんを抱き上げる。
「八面六臂、悪いがそろそろ行かないと」
「わかってるよ。ごめんね、勝手に呼び出したりして」
「ろっぴ、お別れなの?また会えるよね?」
心配そうに尋ねるサイケを安心させるように八面六臂は頷いた。
「会いたいと願えばいつでも会えるさ」
「……ろっぴ」
今度はイザにゃんが八面六臂のコートを掴んだ。その大きな瞳は少しだけ揺れていて、八面六臂は無意識にその頭に手を置いた。
「なんだい?」
「あのね、ここは、まっしろなほうがいいよ。さみしくなくても、まっくらはこわいから」
「……?」
イザにゃんの意図を図りかねて八面六臂はわずかに首を傾げる。
津軽はイザにゃんを抱いた手とは反対の手でサイケを掴むと、じゃあ、と手を挙げた。
「またな」
「うん。あっちでも、元気でね」
ぽう、と三人の体が光り始め、大きな光が消えたそのあとには、ただ闇が残っていた。一つだけ、光の粒を残して。
「なんだろう、これ」
八面六臂が光をつついた瞬間、その光が爆発するように辺りに広がった。
反射的に塞いでいた目を開けると、そこには今までとは正反対の真っ白な世界。
「……ああ、イザにゃんが言ったのはこういうことか」
しばらく呆然としていた八面六臂は、小さくぽつりと呟いた。
(ここに連れてきた理由)
(久しぶりに会いたかったなんて、)
(恥ずかしくて言えなかったから)