「帰れ」
家に帰ると、出迎えてくれたと言うより私たちを待ち伏せしていたように玄関に立っていた臨也の一言が降り掛かった。
私の隣でマイルちゃんがぷうっと頬を膨らます。
「ぶーぶーなんでさ。イザ兄の家じゃないんだよ?奏さんが良いって言ってんだから良いじゃない!てかイザ兄だけ奏さんと一緒に暮らしてるとかずるい!私も奏さんとお話したい奏さんにお触りしたいー!」
「うるさい。てか後半本音出しただろ」
「兄(兄さん)…酷(ひどい)」
「クルリ、酷いのはお前の妹だ」
「臨也の妹でもあるけどね」
「奏は黙ってて」
腕組みをしたまま臨也は眉間に皺を寄せた。臨也には悪いけど、私はこの兄妹の喧嘩を見るのが結構好きだったりする。双子の妹は言わずもがな可愛いし、臨也の"お兄ちゃん"になった顔は中々見れないから。
「まあまあ。私が良いって言ったんだから」
「そこだよ。なんで良いって言ったのさ」
「そりゃ一般人行き交う道路の真ん中で放送禁止用語連発されたら、ねぇ」
「……」
臨也は苦い顔をしながらため息をついた。どうやら渋々ながらも納得してくれたらしい。
私は両腕にしがみ付くマイルちゃんとクルリちゃんに上がって、と声を掛けた。
「んー!奏さんち久しぶり!奏さんの匂いに溢れてるなぁ。…でも少しタバコの匂いがするのは静雄さんのせい?」
「まあ…。家の中では吸わないんだけどね」
「そうなんだ!静雄さんってば意外と律儀なんだね」
マイルちゃんはソファの上でクッションに顔を埋めながらきゃははと笑った。なんというか…若いな。う、今更ながら街中で言われたことが再び突き刺さってきた。
精神的ダメージを地味に受けながらオレンジジュースの入ったコップを出す私に、クルリちゃんがぺこりと頭を下げる。
「…謝(ありがとうございます)……」
「お前らそれ飲んだらとっとと帰れよ」
「やーだねっ!今日は奏さんに色々聞きたいことあるんだから!イザ兄に会いに来たワケでもないし、もうお仕事に戻ったらー?ってなわけで奏さん!まず最初の質問なんだけど、静雄さんとイザ兄の他に男の子と暮らしてるってホント?」
「「ぶっ」」
臨也と二人でコーヒーを吹き出す。ごほごほとむせる私の背中をクルリちゃんがさすってくれた。
な、なんで知ってるのこの子たち…!そりゃ外に一緒に出掛けたりもするけどさ。
私よりひと足早く落ち着きを取り戻した臨也が口を開いた。
「その子は奏の親戚の子だよ。ちなみに今は居ない」
「あれ、そうなの?結構噂になってるんだよ。噂によればイザ兄や静雄さんとも一緒に居るみたいじゃない?あ、そういえばさぁイザ兄と静雄さんにそっくりな二人組知ってる?私見ちゃったんだよねー。でも本物じゃないってすぐ気付いたよ!だってイザ兄と静雄さんがあんなにべったりくっついて歩くわけないもん!」
この口の速さは遺伝なのかなぁ。あ、でもクルリちゃんはそうでもないから違うのか。なんて、話を聞きながらぼんやりと別のことを考えた。
津軽とサイケはもう見つけたんだ…。でもあの二人は外見が似てるだけだからそんなに問題じゃない。それに見た瞬間別人だと分かったならそれはそれでまぁ好都合っちゃ、好都合?
「でも、マイルちゃん情報通だね」
「最近チャットにハマってるの!そのチャットルームに、それこそイザ兄並みに情報通な人が居てね。まぁ性格がウザすぎてたまにイラッとしちゃうけど」
「…兄(兄さんに)…類(よく似てる)……」
「ジュース飲み終わる前に摘み出すぞ」
「だからぁ、イライラするならイザ兄は部屋に行っちゃえばいいじゃん」
居心地が悪そうに顔をしかめる臨也。マイルちゃんの言う通り、そんなに妹が嫌なら部屋に戻ればいいのに。
でもそうしないのは、ちゃんと理由があるんだよね。
「だけど自分の兄に関しては情報不足かな」
「謎(どういうことですか)……?」
ちっちっと人差し指を左右に振ると、二人は同じタイミングで同じ赤い目をぱちくりと瞬かせた。
「臨也はね、マイルちゃんもクルリちゃんも、本当はすごく大好きなんだよ?」
「ちょっ、奏!」
「…っまたまたぁ!奏さんてば冗談キツイなぁ!そんなわけないよ!」
否定したのはマイルちゃん。臨也じゃ、ない。クルリちゃんもマイルちゃんの隣で小さく首を振る。
この兄妹の悪いところは、お互いにお互いに対して素直じゃないところだ。その証拠にほら、臨也が今日一番の不機嫌顔になってる。
「人の好き嫌いを勝手に決めるな。俺は人間だったらシズちゃん以外全員愛してるし」
「げぇ、そんなちょっとどころかかなり常識から掛け離れた人に愛してるって言われてもなー。ね、クル姉」
「…………肯(うん)、」
クルリちゃんは控え目に臨也を見ている。臨也は舌打ちをすると、感情を流し込むようにコーヒーを飲んだ。
そんなお兄ちゃんに、私が少しだけお手伝いしてあげる。
「でもね?知ってるかな、まだ二人が小さい頃風邪引いたとき、臨也ずっとそわそわしてて結局学校サボったことあったんだよ」
「いいよ奏、そういうの」
「臨也がどんなにクルリちゃんとマイルちゃんのこと想ってるか、私はよく知ってる。今だって文句言いながら部屋に戻らないのは、久しぶりに二人の顔見れて嬉しいから」
「いいってば」
臨也が私の頭をこつん、と軽く小突く。クルリちゃんとマイルちゃんは、今だに目をぱちくりさせたまま固まっていた。テーブル越しに二人の頭を撫でながら、私は言葉を続ける。
「自分が大好きな人に否定されるのは、信じてもらえないことは、とても悲しいこと。二人なら分かるよね?」
だって、本当は二人もお兄ちゃんのこと大好きだもんね。
そう言ってあげれば、二人とも一瞬だけくしゃりと表情を歪めた。やっぱりまだまだ高校1年生、ポーカーフェイスなんてそうそう保てるわけがない。
それでもマイルちゃんはまだ泣きそうな顔で笑って、クッションに顔を埋めた。
「……イザ兄、」
「なんだよ。もう暗くなってきたし早くかえ「露西亜寿司、食べたい」
クッションに顔を埋めたまま、もごもごとマイルちゃんが言う。クルリちゃんはすっくと立ち上がると、臨也の袖を小さく摘んだ。
「共(一緒に)…行(行こう)」
「……あー、…わかったよ」
臨也が降参、と言うようにため息をついて立ち上がる。
財布とコート取ってくる、と一度部屋に戻った臨也を玄関で待っていると、すっかり元の調子に戻ったマイルちゃんが少し疲れたように肩を落とした。
「あうー…今日は奏さんに色々聞きたかったのにぃ…。なんでこんな展開に!?しかも私たちが来たときのイザ兄のリアクションもイマイチだったし!」
「悔(残念だった)…」
くすくすと笑う。本当に、臨也に対してだけは素直じゃないんだから。お話はまた今度ね、と二人の頭を撫でると、されるがままに目を閉じる。
と、後ろから声が聞こえた。
「ほら、行くぞ」
「イザ兄遅い!レディを待たせるなんて最低な男ねぇ」
「1分も待ってないだろ。大体、安くない晩飯を遠慮せずにねだる奴なんてレディじゃないね」
「…安(割引券持ってる)…」
「いいよ。どうせお前ら金無くて中々食いにいけないんだろ。今日は俺が奢るからその券は手持ちが少ないお前たちが次行くとき使え。あー貧乏ってかわいそー」
「べらべら喋ってないで、早く行きなさい」
やっぱ兄の方が性格悪いな…。臨也の額をぺしんと叩いて、三人の背中を押した。
「ばいばい奏さん!また遊びに来ていい?」
「うん。またおいで。ただし、ちゃんと連絡してね」
「解(わかりました)」
ばいばいと手を振って外まで出て三人を見送る。並んで歩く後ろ姿に、思わず笑みが零れた。そうそう、たまには兄妹仲良くしなさい。
(みんなごめんね、って、ありゃ。寝ちゃったか)
(お客、帰ったのか?)
(うん。…よし、お詫びも兼ねて今日の晩御飯はお寿司にしよう)
(寿司は作ったことないな)
(今日くらい家事をお休みしようよ津軽くん…)