子猫との日常 | ナノ


ブーッと震えた携帯を取る。ディスプレイに映った名前を見て思わず笑みを零しながら通話ボタンを押した。


『もしもし、兄さん?』

「よう、幽」


電話の相手は弟の幽だった。
最近またドラマの出演が決まったらしく毎日大忙しの幽だが、たまにこうして電話で話したりする。お互いの近況だったり愚痴だったり、話す内容はごくありふれた他愛もないことばかりだったが、楽しいことに変わりはなかった。


「どうした?」

『うん。唐突だけど、今から奏さんの家に行っていいかな』


本当に唐突だな…。そう思いながら、津軽とキッチンに立っている奏に尋ねる。


「奏、今から幽がここに来たいって言ってるんだけど、いいか?」

「幽くんが?いいよ、大歓迎!」


奏が笑いながら頷く。奏の許可が下りたことを幽に伝えると、20分くらいで着くから、と言って電話を切った。


「かすか、って誰だ?」

「ああそっか、津軽たちは知らないもんね。でもテレビで見たことはあるんじゃない?羽島幽平」

「おれ知ってる!この前テレビでてっぽう持ってた!」

「あいつ、今刑事ドラマやってるもんな」

「実はね、その羽島幽平は静雄の弟なの。本名は幽」


え、と津軽たちが目をぱちくりさせた。まあ当然の反応か。トムさんも初めて聞いたときは驚いてたし、幽はあまり俺と似てねぇしなあ…。


「でも幽くん、最近たくさんドラマとか映画とか出てるじゃない?時間とか大丈夫なのかな」

「今日は午前中だけ休みなんだと」


ギチギチのスケジュールの合間を縫って来るくらいだから、何か用事があるのだろうか。そんなことに今更気付いて、首を傾げる。と、奏も何かを考えるように顎に手を当てた。


「……イザにゃん、どうしようか」

「ああ……幽なら大丈夫だと思うけど」

「そうかな…」


チビの存在をあまり広めたくないというのが奏の心境だろう。津軽とサイケはまだ外見が普通の人間だからいい。街を歩いても、注目されるのは俺と臨也に顔がそっくりというくらいだ。そりゃあ最初は平和島静雄と折原臨也が一緒に歩いてるなんて噂も広がったが、一度津軽たちの目の前で臨也と喧嘩をしたら噂は「ただのよく似た二人」に収まった。

だがチビは外見が明らかに人間じゃない。もしかしたら幽を尾けてきたパパラッチなんかに写真を撮られるかもしれない。だからと言って、普段の家の中で帽子を被せるのも可哀想だった。


「てか、悪ぃ…。幽はチビの存在自体は知ってるんだ」

「あれ、そうなの?」

「前に電話で猫に似たガキを拾ったって言っちまったんだよ」

「かなで、だれかきた」


ぴん、と耳を立ててこちらを見たチビを抱き上げる。奏は何かを決心したように顔を上げると、リビングのカーテンを閉めた。どうやら幽に会わせてもいいと決めたらしい。チビの言った通り、すぐにインターホンの音が響く。


「いらっしゃい、幽くん」

「こんにちは」


軽く頭を下げた幽は、俺の腕の中にいるチビを見つけると一瞬動きが止まった。あまり表情は変わってないが、それなりに驚いたようだ。

じっと見つめるだけの沈黙に耐えかねて、俺はあー、と口を開いた。


「前に言ったろ。猫に似たガキ拾ったって」

「…………今度、独尊丸連れてきていいですか」

「「え」」


幽の予想外の言葉に、俺と奏の言葉がハモる。幽はチビの頭を撫でながら耳の裏をかりかりと掻いた。人見知りで不安そうにしていたチビが気持ちよさそうに目を閉じる。


「可愛いですね。独尊丸と遊ばせたい」

「お前なあ……」

「なに、兄さん」

「んでもねぇよ…」


我が弟ながら、すげぇ神経持ってんな。感心と呆れが入り交じったため息をつくと、幽が手に持っていた紙袋を奏に差し出した。


「いつも兄がお世話になってます」

「あら、別にいいのに。ありがとうね。さ、上がって」

「いえ、今日はここで「ねぇ津軽、幽まだー?」

「「…………」」


リビングから突然聞こえてきたサイケの声に、奏と顔を見合わせる。奏は小さく笑うと、リビングに向かって「二人とも、おいで」と呼び掛けた。


「わ、わ、本物だあ!」

「サイケ、挨拶が先だろ」


お約束のように、津軽がサイケの頭をこつんと叩く。サイケはにこにこしながら自己紹介をした。幽はチビを見た時のようにしばらくじっと二人を見ていた。そういやこいつらのことは言ってなかったな…。しばらくして、幽は自分も自己紹介をして頭を下げた。


「幽ってシズちゃんの弟なんでしょ?やっぱりにてるね」

「似てる?」

「うん!なんかねー、根っこがにてる!」

「それ分かるかも」


サイケの言葉に奏がうんうんと頷いた。根っこ?根っこってなんだ。幽と二人で首を傾げる。


「あ、そういえば時間大丈夫?」

「…そうでした。いきなり来てすみませんでした」

「ううん。こちらこそ、わざわざありがとう。幽くんもお仕事頑張ってね。でも無理しちゃ駄目だよ?」

「……はい」


奏が笑って幽の頭を撫でると幽は少し嬉しそうに表情を緩めた。こういう時、俺たちは兄弟として感覚が似てるなぁと思う。幽も奏に頭を撫でられるのは誰よりも気持ち良くて大好きらしいから。


「じゃあ、俺はこれで。これからも兄さんのこと…皆さんで宜しくお願いします」

「ばいばい、幽!」

「ばいばい……」


サイケとチビが手を振る。幽はチビをもう一度撫でたあと、俺をちらりと見た。俺はその意図に気付くと、奏にチビを預けて幽と一緒に外に出た。


「思った以上に上手くやってるみたいで良かったよ。そういえば、今日は臨也さん居なかったね」

「あー…確か朝に徹夜で仕事したから寝るっつってたな」

「……兄さん、」

「ん?なんだよ」

「奏さんを繋ぎとめたいなら、失いたくないなら、今のままじゃ駄目だよ」

「、っ」


…そうか。幽は、このことが言いたくて来たのか。俺を見つめる幽の目は、どこか鋭い気がした。
俺は息をついて、ガシガシと頭を掻いた。


「わかってる。このままじゃ、駄目だってことは」

「……そう」


ならいいんだ、と幽は車の鍵を開けた。


「兄貴」

「今度はなんだ?」

「がんばれ」

「…おう。お前も頑張れよ」


頷いて、幽は車に乗り込んだ。俺は、本当にいい弟を持ったものだとしみじみ思う。

やけに静かなエンジンの音を聞きながら、ありがとな、と呟いた。






(兄と弟)


(…兄さん)
(まだなんかあるのか?)
(プリン、5個しか買ってないんだけど)
(……、ノミ蟲はいらねぇから大丈夫だ)
(…そう)





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