子猫との日常 | ナノ


「ほー、じゃあその猫明日で居なくなんのか」

「……はい」

「なんだよ、そんなに可愛い猫なのか?」


俺の気持ちが露骨に表情に出ていたからかもしれない。俺の隣に座っているトムさんは、苦笑しながら缶コーヒーを飲んだ。


「でもお前犬派だべ」

「そうなんすけど…あいつは特別っていうか、いや、特別な猫ならもう一匹いるんすけど」

「あー、弟が飼ってる?」

「や、それとは別に」


一時的に耳が生えた彼女の他に、黒いチビも浮かんできた。……そういや幽の飼ってる猫も黒猫だったか。

トムさんは猫なぁ、と呟きながら何でもないように口を開いた。


「猫って、マタタビで酔っ払うんだっけか」

「え?」

「ほら、よくテレビで見るだろ?マタタビやった猫がぐにゃぐにゃのふにゃふにゃになるやつ。この前なんかライオンでやってたぞ」


ベンチから立ち上がり空になった缶を捨て、公園から出る。俺はトムさんの言葉にしばらく考え込んだ。


「マタタビで遊んでみるってのも、面白ぇかもな」

「マタタビ……」

「ん?どした、静雄」

「……いえ」


俺と開いた距離に気付き振り返ったトムさんを、俺は小走りで追いかけた。















「つーわけで、買ってきた」

「うわぁ…。癪だけど、初めてシズちゃんを誉めたくなったよ」


ガサリ、と小さな袋を掲げると、臨也がひくりと頬を引きつらせた。

袋の中に入っているのは小さなマタタビの苗木。普通の猫にはこれでいいんだろうが、人間相手にはどうなのだろう。それでも一応買ってきたのは、好奇心が思考を上回ったからだ。


「問題は、どうやって奏に渡すかなんだよな」

「普通に渡せばいいんじゃない?会社から貰ってきたんだけど、何の植物かわかんないとか言ってさ」


さすが、普段から無駄に頭回して行動してるだけあってノミ蟲は回答が早い。

飯も風呂も終え、早速奏にマタタビを渡してみた。


「……にゃにこれ」

「知らねぇ。会社の奴から貰ったんだけどよ」

「へぇ……。臨也、これにゃにかわかる?」

「さぁ?見た目だけじゃなんとも。匂いとかあるの?」


さりげなく臨也が催促すると、奏はくんくんとその苗木を鼻に当てた。


「んー…匂いはある、けど、にゃにかわかんにゃい」

「そうか」


と、さっきまでソファに座っていたチビがとてとてとこちらに近づいてきた。


「かなで、それ、なに?」

「にゃんだろうねー?」


…?なんかチビ、目がとろんとしてねぇか?
臨也もそれに気付いたのか、チビを抱き上げるとその目を覗き込んだ。


「え、なに、匂いにつられて来ちゃいましたとかそんな感じ?」

「いざやぁ…?」

「おい臨也、こいつ、」

「…うん。しっかり効いてるね」

「えーちょっとイザにゃんかわいいー!」


……あ?
目の前の信じられない光景に目を瞠る。

奏が…奏が、ノミ蟲ごとチビに抱きつきやがった!


「おいノミ蟲…」

「あっははは、こっちもちゃんと効いたみたい」


万更でもなさそうな顔で笑っているノミ蟲に一瞬殺意が湧いたので、強制的に奏を引き離す。


「イザにゃんとーおーいー」

「お前…マジで酔ったのか?」

「よう?んふふー、どういうことですかぁ?」


これは完璧に酔っている。頬が少し紅くなったくらいだが、この口調とふにゃふにゃ加減は間違いなくマタタビの所為だろう。


「にゃんかねぇ、この匂いすきー」


奏はそう言ってマタタビの葉をちぎると、またくんくんと匂いを嗅いで恍惚とした表情になった。
……ヤク中みたいだ。


「ねーぇしずおくん。目、閉じて?」

「は?」


いきなり体を乗り出して奏が俺の目を塞いだ。
ちょ、待て、積極的なのは大歓迎だがここにはノミ蟲とチビがいるんだぞ!

そう思いながら奏が手を退けても目を開けない俺に、臨也の制止の声が聞こえた。その声を無視して、奏が俺の頬をするりと撫でる。


「(やべぇ……っ)」


こんなふうに扇情的に触られるのは初めてだっため、思わず少し身構える。

そんな俺を待ち受けていたのは、唇に柔らかい感触──ではなく、頬をつねられた感触だった。


「ぷっ…あははは!静雄ってば身構えちゃってかーわいー!」


ぱちくりと目を瞬かせると、上機嫌に笑う奏の顔。手は相変わらずむにむにと俺の頬をつねっている。


「あはははは!今のはヤバイよシズちゃん面白すぎ!」

「うるせぇな!それよかさっさとチビ寝かせろよ」

「えー勿体ない。にゃんこはまだ起きてるもんねー」


臨也の腕のなかで脱力したようにぐったりとするチビは、おもむろに臨也のシャツを掴むと、潤んだ目で臨也を見上げた。


「い、いざやぁ…からだ、あついよぉ……」


チビの発言に俺も臨也も固まった。奏は一人にやにやと笑っていたが、突然の沈黙に首を傾げる。


「……」

「……」

「……ねぇ、」

「犯罪者になるなよ奏に迷惑がかかる」

「そんな犯罪者予備軍みたいな言い方しないでよ」

「あーそっかぁ。イザにゃんがかわいいこと言ったのね?私だってできるわよぉ?」


首を傾げていた奏が何かに納得したようにうんうんと頷いた。てかできるって何がだ。てかやろうとすんな俺が持たねぇから!!

そんな俺の心境とはお構いなしに、奏は俺のシャツを握って、上目遣いにこちらを見た。


「静雄…身体、熱いの……どうにかして?」

「…………っ!」


ああこりゃもう駄目だ。さらば俺の理性、いやもう少し待てさすがにここじゃ無理だ。

俺はすっくと立ち上がると、財布とタバコを持ち奏を抱えて玄関へ向かった。


「ちょっと、どこ行くの?!」

「朝には帰る」

「静雄くーん、どうしたのかにゃあ?」

「お前はそれ以上喋るな」


奏の猫耳を隠すために玄関に置いてあった麦わら帽子を被せる。


「どうした?」

「津軽!シズちゃんが奏を連れてっちゃうんだよ止めてよ!」

「丁度よかった。津軽、ノミ蟲からチビ取り上げて寝かせてくれ」


なんとなくだが事情を察したのか、津軽はこっくりと頷いた。
後ろで騒ぐノミ蟲の声を聞きながら、俺は後ろ手で玄関の扉を閉めた。






(まるで夢の中)


マタタビ…恐るべし。





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