「ああにゃるほど、だから昨日はすんにゃりイザにゃんを譲ってくれたんだ」
朝、ホットケーキを口に運びながら、私はひくりと頬を引きつらせた。
私が起きると静雄はもう仕事に行っていて、津軽は帰ってきていた。随分お寝坊さんだな自分。
そんな私とは対照的に、臨也は楽しそうに笑いながらそうだよ、と頷く。
いつも寝る時に臨也とイザにゃんを取り合うのだけれど、昨日はやけに素直に譲ってくれたことを思い出して、私は小さくため息をついた。
「寝顔とか寝起き撮られるのって、すごく恥ずかしいのに…。誰かにその画像見られでもしたら……」
「大丈夫大丈夫。撮った画像は速攻俺のパソコンに送信して、絶対漏れないように何重もロック掛けて、半永久的に保存してあるから」
「にゃにそれ逆に恥ずかしいんだけど!」
一瞬手に持ったフォークでこいつの手を刺してやろうと思った。
じゃあ臨也の携帯から私の画像消しても意味ないじゃん!
「奏、ちょっとサイケとニャン公と出かけてくる」
「出かけるって、どこに」
「近くの公園。こいつらが行きたいって。でも、奏は家から出たくないだろう」
う、ん……まあ、出たくはない。本当に気が利く津軽のお言葉に甘えて、ついでにお使いも頼んだ。
「にゃんか微笑ましいね。初めてのお使いみたい」
リビングの窓から、家から出ていく三人を見る。津軽が真ん中で、両手はサイケとイザにゃんの手ををしっかり握っていた。
……津軽ってば本当にお母さんみたい。
「奏、マッサージしてよ」
それに比べてこいつは……。
「マッサージしてくれたら、俺もマッサージしてあげるから」
後ろでにっこりと笑う臨也に不安を感じないわけではないけれど、確かに最近肩とか腰とか痛いからなぁ……まだ若いつもりなんだけど。
「いいよ。してあげる」
呆れたように言うと、臨也はやった!とカーペットが敷いてある床にうつ伏せになった。
「でもマッサージにゃんて久しぶりだね。昔はお互いによくやってたけど」
「奏は中学入ってからあんまりやらせてくれなくなったよね」
「思春期だよ、思春期。乙女の心は複雑にゃの」
それなのに臨也は高校に入ってからもよく私にマッサージをしてもらってたっけ。静雄にちょっかい出して逃げ回るから、足とか腰とか痛くなるんだよ。
それにしても細いし薄いなあ…。羨ましい。女みたいな腰しやがって。
………………えい。
「いっ…!」
「あ、ごめん。痛かった?」
「絶対わざとだろ……!」
臨也、ここのツボ弱いんだよねーと思う所をぐりぐり押してやれば、案の定苦しそうに声を出した。
笑いながら、いつもからかわれる仕返しだと言わんばかりにそこばかりを押すと、臨也はギブアップとでも言うように床をばんばん叩く。
「あっはは!ごめんごめん。許して?ね?」
「やだ。許さない」
「ごめんってば。ほら、ここ気持ちいいでしょ?」
「あー……うん」
少しやり過ぎたかな。そう思って今度は臨也の好きな所をほどよくマッサージしてあげた。
「はい、おしまい」
「ん。次、奏ね」
「やってくれるの?」
「……そこまで子供じゃないよ」
てっきり拗ねてやってあげないなんて言うと思ってたのに。やっぱ最後にちゃんとやってあげたのが良かったかな。
私がうつ伏せになると、臨也は私の腰辺りに乗って、肩から背中をマッサージし始めた。
「はー気持ちいー…」
「結構固いね。会社でパソコンと睨めっこし過ぎだよ」
「臨也だって、人のこと言えにゃいでしょー」
寧ろ臨也の方が、パソコンと睨めっこしている時間が長い気がする。
あーすごく気持ちいい。やっぱり臨也も私のツボを知ってるから上手だなぁ。
「……にゃんだか眠くなってき、ひゃあっ!」
なに、なにこれ。
体に電気が走ったみたいな感覚に思わず声を上げてしまった。
「あれ?奏はここら辺が弱いのかな?」
臨也の手はぐにぐにと私の腰より少し下を押している。
ちょっ、ま、これダメだって……!
「ふぁっ、や、やだやだそこやめてぇ……っ」
「さっきの仕返し」
「ちゃんと謝ったのに…ひ、う、ふにゃあぁ…」
「俺は許すって言ってないよ」
やだ。この感覚ってもしかして…!ぞくぞくと体中に走る感覚に、冷や汗が流れる。
そんな私に追い打ちをかけるように、臨也が笑いながら言った。
「ねぇ知ってる?猫ってさ、尻尾の付け根辺りが性感帯なんだよ」
うわあああやっぱりこいつ知っててわざと…ッ!
なんとかして逃げようとするけれど、臨也が上に乗ってるのに加え体に力が入らないから逃げられない。
「やめ…っ、も、」
「え?限界?」
限界だよいろんなものが!
こくこくと頷くと、今度は尻尾を握ってきた。こいつ殺す……ッ!
「ふぎゃあっ」
「にゃんこのデータを基にして薬作ったから、尻尾も苦手なんだね」
イザにゃんは尻尾を触られるのが苦手だ。だから私も尻尾を触られるのが苦手。ということらしい。
けどさっきよりはマシだ。こっちは本当に苦手なだけで、力が抜けるくらいで変な感覚は襲ってこないから。
「あ、そうそう。奏はここも弱いよね」
今度は何!?と身構えたら、耳に息を吹き込まれた。
「ば、ばかぁっ…」
「俺、奏の弱い所たくさん知ってるよ。外も……ナカも」
「あっあほ!さいてー、もうやめてよバカバカ臨也の変態……っ」
私の言葉を聞いているのかいないのか。猫耳を甘噛みする臨也に、ある光景がフラッシュバックした。
耳を舐められる感触、押さえ付けられた体。嫌だって、言ってるのに。
「……ふ、ぅ…っ!」
「奏?」
「やめてよ……お願い、やめて、う、うえぇ…」
涙がぽろぽろ溢れだす。あの時を思い出してしまった。静雄以外の人に、無理矢理痕を付けられた時のことを。
「ふぅっ、うう……」
「…ごめん。奏、ごめんね」
「臨也のバカ、あほ、変態」
「うん。ごめん。奏が可愛くてさ、つい意地悪しちゃった」
「嬉しくにゃいよバカチン」
臨也は私の上から退くと、私の体を起こして頭を撫でた。それから私の涙を掬いながらごめんと謝り続けて。
「(なんであんたがそんな泣きそうな顔するのよ)」
悪いのは臨也なのに、なんだか罪悪感が湧いた。いやもう何でだこれ。謎。
「俺のこと、許してくれる?」
「……うん」
「シズちゃんに言わない?」
「…………うん」
母親にウソをつく小学生みたいだな。そんなことを考えると、少し笑えた。
まあ、押さえる所はきっちり押さえますが。
「画像消して」
「は?」
「朝の画像消したら、静雄には内緒にしてあげる」
しばらく悩んだあと(そこまで悩まないで欲しかった)、臨也はわかったと頷いた。
「シズちゃんに殺されない自信はあるけど、この家から追い出されない自信は無いからね」
そう言って私の前でパソコンに保存してある画像を消した。
見るからにしょんぼりしている背中に少し同情しそうになったけど、それじゃあ理不尽過ぎると頭を振って慰めてあげないことにする。
「ただいま」
「「ただいまー!」」
と、玄関から元気な声が聞こえたので、私は笑顔で出迎えた。
(奏、目赤いぞ)
(あー、ごみが目に入っちゃってね)
(臨也、元気ない?)
(何でも、ないよ)
(ぼくが、ぎゅーしてあげるね!)
(……うん。ありがと)