「奏!奏ってば、ねぇ!」
大きな声と体を揺さ振られることに瞼を上げれば、ピンク色の瞳とばっちり目が合った。
「んぅ…どうしたの……」
時計を見れば午前4時。起きるには早すぎる時間だ。
まだ頭が覚醒しないまま体を起こすと、起こした張本人、サイケにがしりと私の腕を掴まれる。……あれ、なんか泣いてる?
「津軽が…津軽がいないの!いつも自分が起きるときにおれも起こしてくれるのに!うっ、うえぇ……」
「津軽?……あぁ」
眠い頭を必死に回して、なるほどと頷く。ぐずぐずと泣いているサイケの頭を撫でながら、津軽がいないその理由を話した。
「津軽ね、新聞配達行ってるからいないの」
「しっ、しんぶん…?」
「そう。聞いてなかった?」
ぶんぶんとサイケは頭を振る。あれ?この話をした時はサイケもいた気がするんだけどなぁ。
2日ほど前。
突然津軽が私にこう切り出した。
「奏、俺、働きたい」
「……へ。突然なんで」
いつもと同じ顔で淡々と言うものだから、理解するのに少し時間がかかった。
そしてやっぱり表情ひとつ変えずに、淡々と話し出した。
「俺とサイケは居候している訳だが、家事手伝いだけじゃ駄目だと言うか…。やっぱりそれなりにお金を払わなきゃいけないと、俺は思う」
「えー…と。お金のことは気にしなくていいんだよ?」
「でも大人の男2人が増えたら、明らかに金がかかるだろう」
「(本当にいいんだけどな)」
正直、本当にお金は足りているのだ。と言うのも、今私は静雄と臨也に生活費を貰っていて、特に臨也が過剰に払っている。いつも多すぎると返すんだけど、その後結局口座に納まっていたりして。
とにかく、働いてる大人3人がお金を出せば、割と簡単に生活費は賄えてしまうのだ。1人3万でも9万。決して小さな額じゃない。
私の家はローン払い終わってるから家賃は要らないし。
「でもそれじゃ俺の気が済まない」
「津軽って、律儀でたまに頑固だよね」
「……迷惑か?」
「まさか!とてもいいことだよ。でも、そうだなぁ…そこまで言うなら」
携帯を開いて電話帳で目的の人物を探す。…あった。
「……もしもし?」
『もしもーし!久しぶり、どうしたの?』
電話に出たのは郵便局に勤めている友人。
「確かさ、最近地域の配達員が足りないってぼやいてたよね?」
『ん?んー、まあね。バイトでも入ってくれれば助かるんだけど』
「それで働きたいって言ってる人がいるんだけど…」
『えっ本当に?』
そこからはトントン拍子で話が進んだ。しかも友人の計らいで私の家がある地域を配達範囲にしてくれて。
「新聞配達。朝早いよ。頑張れる?」
「ああ。ありがとう、奏」
こくりと頷いた津軽に、ただし、と指を立てる。
「私にお金は払わなくていいから」
「それじゃ意味無いんじゃ」
「その代わり、私は津軽とサイケの食費、光熱費、水道代以外にはお金出さない。欲しいものがあったら、貰ったお金で買って。勿論今までどおり静雄や臨也のものを借りてもいい」
今まで私が勝手に服とかを買ったり、一緒に買い物に行った時に買ってあげたりしてたんだけど。
あ、そうだ。
「ほら、これ」
差し出した私の手には、年季の入った革の財布。父さんが使って置いていったものだ。
「とりあえず、就職祝い。お給料貰ったら、自分で好きなの買いなね」
「ありがとう」
「ねーねー何のはなし?」
「サイケにはちょっと難しいかなー」
はてなマークを浮かべて首を傾げたサイケを撫でながら、津軽は再びありがとう、と言った。
あ、これじゃあサイケが理解できないのも無理ないか。回想して納得。
でも津軽なら何か説明すると思ったんだけどなぁ。泣いてぐずると思ったのかな。実際泣いてるし。
「津軽いつになったらもどってくるの…?」
「始まるのが早い分、終わるのも早いから……8時には戻ってくるかな」
「8時……」
うる、とまた涙を溜めた瞳が時計を見る。……そんなに辛いのか。まあ、確かに一人でダブルベッドは寂しいよね。
「……あ、そうだ」
「で、なんで俺の所に来るんだよ」
「私が一緒に寝ても良かったんだけどさ、ほら、静雄の方がより寂しさを紛らわせるかなー、と」
えへへ、と笑うと静雄は呆れたようにため息をついた。
「……狭いぞ」
「この前二人で寝たじゃん」
「それはお前が女だからだろ。……まあいい、さっさと入れ。俺は寝たい」
「ん……」
「(…なんか不満げな顔が腹立つ)」
じゃ、おやすみー。と奏が部屋を出て行った。くそ、やっぱり狭ぇ。いくら中身子供だからって体は大人だもんなこいつ。
「シズちゃん」
「なんだよ」
「こっち、向いてよ」
背中をくいくいっと引っ張られた。いや奏やチビならともかくこいつと向き合って寝るのはおかしいだろう。
「津軽は、いつもおれのこと抱きしめてくれるもん」
「抱きッ……!」
津軽、まさかそっちの気があったのか?いや落ち着け俺。今は早くこいつを寝かせねぇと、俺も寝れない。
「仕方ねぇな。ただし、俺は抱きしめねぇぞ」
ぐるりと体を動かしてサイケと向き合って、抱きしめない代わりに片腕を背中に回してぽんぽんとあやすように叩く。するとサイケは満足したように目を閉じた。
「…………あ、」
「今度は何だよ?」
「おやすみのチュー」
「……………………はあ?」
今度は俺も完全に度胆を抜かれた。おやすみの、チュー?何言ってんだこいつ。てか普段二人きりの時何してんだよお前ら!
「チューって、どこに」
「おでことかほっぺとか、たまにく「あーもういい分かったから喋んな」
なんだか、色々と聞いちゃいけないことを聞いちまった気がする……。ねぇねぇとねだるサイケを見て、俺はまたため息をついた。
「いいかサイケ。そういうのは、本当に好きな人にしかしちゃいけねぇんだ」
「すき?おれ、シズちゃんすきだよ?」
「そういうことじゃなくてだな……。とにかく、俺は津軽じゃねぇ。お前の言うチューは、津軽にしかしちゃいけねぇし、されちゃいけねぇんだよ」
いやその前にそういうことすんなよ男同士で。って先に言ってやるべきなのか?
もう自分でも何言ってるかわかんなくなってきた。けど話が脱線して的外れなことを言ってるのは確かだ。面倒くせぇから元に戻す気はねぇが。
「だから、俺はお前にチューはしねぇ。わかったか?」
「んー、よくわかんないけど、わかった」
……結局わかってないんじゃねーか。まあいい。とりあえずチューは諦めたようなので、俺はまた背中を叩いてやった。
「(やっと寝た……)」
この数十分でかなり疲れた。今日の仕事が午後からで本当に良かったと思う。
その後、帰ってきた津軽にサイケが飛び起きてまた起こされるのは、別の話だ。
(奏、サイケが静雄と寝ていたんだが…どういうことだろうか)
(あぁ、津軽いなくて寂しいって泣くから、静雄と寝かせたんだよ)
(あと静雄が目を合わせてくれない)
(えーなんでだろ?)