時間よ止まれ、なんて魔法少女みたいなこと、初めて思った。
静雄も臨也もイザにゃんに気付いたけれど、静雄に投げられた道路標識は物凄い速さで飛んでいく。
止まらない。止まる訳ない。いつだって時は無常に過ぎていくのだ。
「イザにゃん!!」
だから私がここで叫ぼうが手を伸ばそうが標識の時間なんて止まる訳なくて。
いや、見たくない、やだ!
ぎゅっと目を瞑って数秒もしない内に、ガラン!と標識がコンクリートに当たる音がした。
周りの人が余りにも静かで、開けたくない目をこじ開けるようにゆっくり開いた。
「全く……何やってるのさ」
臨也がイザにゃんを抱いて蹲っているのが見える。数メートル先には標識が転がっていた。どうやら臨也が咄嗟にイザにゃんを抱いて避けたみたいだ。
良かった。……良かった!
そう思った瞬間に、ぺたりと座り込んでしまった。
あ、安心したら足の力抜けた……。さっき叫んだ時に気付いたのか、静雄がこっちに走ってくるのが見えた。
「別に君が出てこなくても、俺には当たらないから」
臨也は標識がイザにゃんに届くギリギリ前にその小さな体を抱いて横に転がった。というのも奏の叫び声が聞こえたからで、それまでは当たったら当たったで罪悪感に苛まれる静雄を見るのも悪くない、などと考えていたのだが。
そんな臨也の腕の中で、イザにゃんは小さく震えている。自分から飛び込んできた癖に、面倒くさい。ため息をつくと、そんな臨也の耳に小さな声が聞こえてきた。
「……めんな、さい」
「は……?」
フルフルと震えながら臨也を見上げた瞳は涙に濡れていた。
「ごめ、なさ……いざやのっおうちに、かっ、てにっはいって……っ、かなでとっ、しずおと、いざやにっ、め、わくかけてっ……っく、ごめんなさい……っ」
ぼろぼろと落ちる涙を拭おうともせずに、ひたすら臨也に謝り続けるイザにゃんに、臨也は驚きの色を隠せない。だって、自分は。
「俺、君にあんなこと言ったんだよ?」
「ぼくがわるいのっ……いざやは、ぼくが、わ、るいことしたからっ、おこっ、てっ」
だから、ぼくがあやまるの、とそう言ってイザにゃんはまたごめんなさいと言った。臨也は信じられないような顔で乾いた笑いを零す。
「は、はは……何それ…」
「ぼく、わるいとこっ、ぜんぶなおすからっ!」
「なんで、そこまで」
「いざやは、ぼくの、かぞくだからっ……たいせつ、だからっ」
「でもねイザにゃん、家族だからって、そいつの言う通りにしなくていいんだよ」
突然背後から声が聞こえて振り向くと、静雄と、おぶさった奏がいた。
奏が優しく笑いながら言う。
「嫌なことは、嫌って言っていいの。喧嘩してもいいんだよ。それも、家族だから」
臨也と静雄も、家の外なら存分に喧嘩しなさい!と笑って言う奏に静雄は呆れ顔をし、臨也は黙って俯いた。
「っていうか2人とも怪我してない?大丈夫?」
「だいじょうぶ……。いざやは、だいじょうぶ?いたいとこ、ある?」
そう言って心配そうにまだ涙に濡れた瞳を臨也に向ける。臨也は答えず俯いたままだ。
……なんだよ、この子も奏も、まるで自分を家族同然みたいに。
どこに居ても、いくら人間が好きでもどこか一枚壁を隔てていた。奏には、そんなの通用しなかったけど。
そんな自分を、家族だと、大切だと言う。
自分に怪我はないかと、心配してくる。
けれど何故か悪い気はしなくて。最初は苛つくばかりだったその家族という言葉が温かくて。そんな自分に驚きながらやっぱり人間は面白いと小さく笑った。
「何?」
「いや、なんかそんな状態で言われてもちょっとね」
そう言って静雄と奏の顔を交互に見やると、奏はハッとして顔を赤くした。
「わっ、私だって恥ずかしいよ!でも仕方ないじゃない、歩けないんだから……って、あー!!」
「うわっ耳元で大声出すな」
「ごめん……、じゃなくて!イザにゃん、帽子!」
「「あ」」
静雄と臨也の声が重なる。
それもその筈、今日被っていた白い帽子が無くなっていたからだ。きっと避ける時に飛んでしまったのだろう。
おかげで猫耳が出てしまっている。
「ま、大丈夫でしょ」
不幸中の幸いは、静雄と臨也の喧嘩はいつも遠巻きに見られていることと、臨也が標識を避けた後に、多くの人がもう関わりたくないと思い、止めていた歩みを再開したことだろう。
それにイザにゃんの耳は髪と同じ黒で、泣いた為に垂れ下がっていたのも幸いした。
臨也は面白そうにイザにゃんの耳をつまんでから、自分のコートを脱いでイザにゃんに羽織らせた。そしてファーのついたフードを被せて、そっと抱き締める。
「……ごめん」
「いざや?」
「酷いこと言ってごめん。君は、俺にとって“たいせつ”だ」
「ほんとう……?」
「本当。“たいせつ”は、“家族”なんだろう?」
体を離して笑う臨也を見て、イザにゃんはぱあっと顔を明るくした。
もう、臨也の笑顔に嫌なものを感じなかった。
「ふぅ……一件落着、かな」
「結局ノミ蟲が悪いんじゃねぇか」
「それはあとでじっくり聞かせて貰います」
「マジで?……あ、にゃんこ、今日は俺とお風呂入ろう」
イザにゃんを抱いて立ち上がった臨也は、ね?と首を傾げた。
ていうか何、なんか今不思議な単語が聞こえてきたんだけど。
「なに、にゃんこって」
「え?この子のことだけど」
「なんでにゃんこ!?イザにゃんっていう名前があるじゃない!」
「だってそれだと俺の名前入ってるから一人称みたいでヤなんだもん。いいじゃん、にゃんこ。可愛い。それに、シズちゃんよりはマシだと思うよ?」
「……確かに」
静雄は未だに「ネコ野郎」だもんな。
「シズちゃんもこれを機に呼び方変えたら?ネコ野郎とか酷いよ。ねぇ、にゃーんこ」
「そうだね、変えなよ。ってかちゃんとイザにゃんって呼んでよ」
私と臨也からのブーイングで静雄はうるせぇ、と言って黙り込んでしまった。
そして思いついたように口を開いた。
「……チビネコ」
「え」
「チビかチビネコ」
「うわ、そのまんま」
「てめぇもにゃんこってそのまんまじゃねぇか」
「俺のは可愛げがあるからいいの!」
ぎゃーぎゃーと言い合っている2人の顔をイザにゃんが見比べている。
そう。喧嘩しても、いいんだよ。イザにゃんと目が合ってそんなことを思いながら笑いかけると、イザにゃんもふにゃりと笑った。
「……てか、イザにゃんは今日私とお風呂入るの!」
「えー、俺と入るー」
「私が先約してたんです」
「じゃあ俺と奏とにゃんこと3人で入ろう」
「ついに頭沸いたかこのノミ蟲が」
小さな喧嘩と笑いを繰り返しながら、私たちは真っ赤な夕日に包まれて自分たちの家に向かって歩いた。