短編 | ナノ


「買い物行ってくるね」


そう言って名前がマンションを出たのが2時間前。

ただの買い物にしては長すぎる。どこかで寄り道でもしてるのだろうと思ったが、こんなに長くなるなら連絡を寄越す筈だ。
自身も仕事が忙しかったため、こんなにも時間が経っていることに気付かなかった。


「出ない……」


携帯に電話を掛けても繋がらない。何か嫌な予感がしてすぐにパソコンに向かった。
彼女の情報を探そうとしたその時、インターホンが鳴った。

こんな時に誰だ?
モニターを覗くと、宿敵が最悪のタイミングでそこに立っていて。
でもそいつよりもその隣にいる彼女に目を見開いた。


『だ、大丈夫ですから……』


彼女は自分を支えてくれている男に弱々しく微笑むとパスワードを入力してエレベーターに乗り込んだ。
はっとして慌てて玄関に向かう。……この俺が、慌てて?いや、今はそれどころじゃない。


「ただいま…きゃうっ」

「名前……!」


ドアを開くと名前が丁度そこに立っていて、俺は名前に抱きついた。
どさりと買い物袋が落ちる。


「い、臨也……」

「……ごめん。早く中に入ろう。手当てしないと」


名前の服は汚れていて、顔には傷が付けられていた。女の子の顔に傷を付けるなんて信じられない、なんて、冗談にも言えない。名前に傷を付けることすら信じられないのに。


「どうした?何があった?」

「はぁ…は…、え、と……」

「名前?」

「ごめ……なんか、安心したら痛く、なって、きちゃ……」


そう言って名前は俺に寄り掛かるように倒れこんだ。咄嗟に受け止めてベッドへ連れていく。

名前に痛いところを聞きながら体を調べると、骨折はしていないが、肩が脱臼していた。
新羅の所に連れていくか?いや、この状態で外出はさせたくない。俺は高校時代にシズちゃんのせいで何回か脱臼の経験があるから、入れ方は分かる。


「名前、痛いけど我慢して。我慢したらすぐ終わるから」

「ふっ……う、うあぁ!」


顔を歪ませる名前に胸が締め付けられるが、ぐっと堪えて肩を入れた。どうやら一回ではまってくれたようだ。

名前は浅い呼吸から息を整えようと肩を上下させている。そんな名前に頑張ったねと額にキスをすると、名前はまた弱々しく笑った。

それから新羅に電話をして至急来てもらえるよう頼んで、しばらく使っていなかった救急箱を持ってベッドに戻った。


「別にいいのに……新羅さんに迷惑だよ」

「あいつは患者を診るのが仕事だからいいんだよ」


一番大きな怪我は脱臼だったらしく、あとは内出血や切り傷が痛々しく服の隙間から覗いている。名前は苦笑してから申し訳なさそうに眉を下げた。


「ごめん、なさい」

「……何が」

「静雄さんに、助けられちゃった。……静雄さんに、ここまで運んでもらっちゃった」


何を言いだすかと思えば。


「なんだ……そんなことより、俺は何があったか聞きたいんだけど?」


名前がびっくりしたような顔をしたから、俺は何か変なことを言ったかなと名前に聞いた。


「静雄さんのことなのに、『そんなこと』って……」

「え?」


言われて初めて気が付いた。普段は名前の口からシズちゃんの名前が出るだけで不愉快なのに。
シズちゃんよりも名前を傷付けた奴が気になって、そいつらよりも名前が心配で。

名前はほんの少し微笑むと、何があったか話し出した。


「買い物の帰りに、女の子が不良に絡まれてたから割り込んだら、いつの間にかこんなボロボロになっちゃった……」


えへへ、と困ったように名前は笑った。その笑顔が愛しくて悲しくて堪らない。


「そしたら、偶然通りかった静雄さんが助けてくれて。ここまで連れてきてくれたの」


なるほど、シズちゃんと一緒になった経緯は分かった。
それよりその不良どもが憎くて憎くて殺したいほどに憎かった。

傷を消毒しながら治療が終わったらすぐに調べ上げてやると決心したとき、今日2回目のインターホンが鳴った。


「傷は全部大したことないよ。ただ、一部化膿してる所があるのと、少し熱が出てるからちゃんと看病してあげてね」


新羅は替えの包帯や薬を手渡してじゃあ帰るよ、と立ち上がった。
玄関先で、あ、と何か気付いたように俺に振り返る。


「臨也がこんな風に誰かのために僕を呼ぶの初めてだよね。電話が来たとき焦っていたように感じたし。うん、君も人間だったんだね」

「お前……それ以上言ったら刻むよ?」

「ごめんごめん!まぁ、僕が言いたいのはつまり、」


彼女、大切にしなよ?

そう言って新羅は帰っていった。その顔はどこか嬉しそうに笑っていたようにも見えて。
……馬鹿だな。君に言われなくたって大切にするよ。するに決まってる。


「名前……」


あちこちに絆創膏や包帯を巻いた名前は呼吸も整って少し眠そうだった。
そんな名前の前髪を梳いてまたキスを落とすと、擽ったそうにクスクスと笑った。


「俺、ちょっと出掛けてくるから」


頭を撫でて言うと、名前は笑顔から一転して不安げな表情を浮かべた。
その表情に苦笑して、宥めるようにまた撫でる。


「…………だめ」


名前の声と同時に裾をくいっと掴まれた。振り返ると、熱のせいで頬を赤くそめて目を潤ませた名前がいて、こんな時なのにその姿はとても扇情的だった。


「名前、」

「いや。ここに、いて」

「でも」

「私は、臨也がいてくれれば、それでいいから。他には何もいらないから」


たぶん名前は、俺がこれから何をしようとしているのか分かっている。そんな俺の裾を掴む手に力をこめ、悲しそうな表情でじっと俺を見つめた。


「…………わかった、降参」


そう言うと、名前は嬉しそうににっこりと笑った。全く、名前には適わない。

名前が俺がいればいいと言ってくれたように、俺も名前がいてくれればそれでいい。

名前を傷付けた奴らが憎いのに変わり無いが、そいつらよりも名前と一緒に時間を、空間を共有したいから。
それに、よくよく考えるとシズちゃんに助けられた時点できっと相手は半殺し状態だ。下手をすれば瀕死状態かもしれない。


「ずっと一緒にいるから。……愛してる、名前」


名前は少し照れ臭そうに笑ったあと「愛してるよ、臨也」と言ってくれたものだから、思わず俺は名前の手に指を絡めて今度はその唇にキスをした。

痛みを共有するように、一生離れないように、深く、深く。






(君が、一番)



ねぇ、大切なんだ。





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