短編 | ナノ


「ああ……やっぱり」


嫌な予感は見事に的中し、目の前には知っているアパート。
ある部屋の表札を見て、臨也は参った、というように額に手を当てて溜め息をついた。


<だから言っただろう>

「ああ……だけど忠告してくれてありがとう。お陰で心の準備は万端だったよ」


準備万端でも易々と落ち込ませる表札には『平和島』と書かれていた。
そう、ここは静雄の住んでいるアパートなのだ。
帰ってたらどうしよう、などと考えていると、セルティが再びPDAを突き出した。


<先に私が行ってくるから。お前はここで待ってろ>

「助かるよ」


人外の首無しライダーにここまで親切にしてもらうのも何だか笑える、と臨也は心なしか苦笑する。
セルティがインターホンを鳴らすと、しばらくしてからドアが開いた。
そこから覗いた袖を見て確信する。あの柄は間違いなく名前のパジャマだ。

セルティはPDAに打ち込んでは差し出すのを繰り返して何か会話をしているようだった。
そのまま待っていると、セルティがこちらに向かって手招きをしてくる。


「やあ」

「…………、」

<話を聞くぐらいならいいそうだ>

「うわー何その上から目線。ま、いいけど。何処で話そうか?」

<こんな格好のまま外で話をする気か?……静雄には悪いが、部屋の中で話す方がいいだろう>


じゃあ君の家に行けばいいじゃないか、と臨也が提案すると、私も新羅も仕事で家を空けている、今は休憩時間だっただけだと返された。
こうなっては仕方がない。臨也は渋々静雄の部屋へ足を踏み入れた。
靴を脱いだ所で、あ、と後ろのセルティに振り向く。


「2人きりで話させてくれないかな。悪いけど、外で見張りをお願い」

<その子がいいなら>

「…………大丈夫、です」


消え入るような声で返事をする名前が少し心配だったが、本人の意志を尊重しようとまたPDAを差し出した。


<じゃあ私は外に居よう。ただし、あと20分したら私は仕事に戻るから、あとは自己責任で頼むぞ>

「了解」


そう言うや否や臨也は名前の手を引き、半ばセルティを追い出すようにドアを閉めた。


「さて」


名前に向き直る。名前は視線を泳がせ、臨也と合わせようとはしない。
臨也はその場にぺたりと座ると、名前にも座るように言った。
依然として視線を合わせようとしない名前を見つめながら、にっこりと臨也は笑う。


「さて。マンションを出てから今までの経緯を話して貰おうか。一応俺は君の保護者だしね」

「…………っ」


臨也のマンションに居候している以上、家主は臨也であり、主導権は臨也にある。
名前は臨也ほど口が回る方ではない。嘘や誤魔化しで躱すことは不可能だろう。そう思った名前は覚悟を決めて話し出した。

名前の話によると、池袋まで来てから不良に絡まれているところにちょうど静雄が通り掛かり助けてくれたと言う。
最も、静雄は取り立てをしていた相手に向かって看板を投げただけであり、それがたまたま不良に当たっただけなのだが。
その後静雄にセルティを紹介してもらい、セルティのマンションに人が居ないことを話すと、静雄が自分のアパートに居ればいいと言ってくれ、今に至るということだった。


「……ふぅん」


こんなことなら、あの時シズちゃんに聞いてみるべきだったな。
そんなことを思いながら臨也は目を細め、今度は笑みを一切消し、真顔で名前を見つめた。


「じゃあ、一個質問。なんであんなに怒ったの?そんなに俺が嫌だった?」

「ちが……臨也が嫌だった訳じゃなくて……っ」

「じゃあなんでさ。波江も言っていたけど、あんなの名前だって経験くらいしてるでしょ?」

「────……」


当然、という風に問う臨也に対して名前は顔を真っ赤にさせて俯く。

………………マジで?

同じ言葉で全く違う感情を抱いた臨也は、思わず浮かぶにやけを我慢できない。
名前はぎゅっと目を瞑り、開き直るように叫んだ。


「っ初めてだったの!あれは私のファーストキスだったの!!」


ううう、と目尻に涙を溜めて手はパジャマの袖をぎゅっと握っている。
そんな名前を素直に可愛いと思いながら、臨也は薄く笑みを浮かべて再び問う。


「そっか。初めては好きな人とが良かった?」


ああ、自分で言ってちょっと傷つく。あれだけ拒否されれば、自分が本命じゃないことは明白だ。
薄い笑みを苦笑に変えた臨也の前で、名前はぶんぶんと首を横に振った。


「違う!そうじゃなくて、その、あの……は、初めては好きな人同士でしたかったから……!」

「……?」


何が違うのか良く分からない。
首を傾げる臨也を見て、名前はどうとでもなれという風に言った。


「だから、好きな人同士っていうのは相手も自分を好きでいてくれて……っ!だっだから私だけが好きでも臨也が私を好きじゃないから──」

「はーいストップ」


なるほど。
何となく事情を掴んだ臨也は手で名前を制すると、やれやれとため息をついた。
どうやら名前は重大な勘違いをしているらしい。
まずはそこを正そうと、臨也は名前の鼻先にぴっ、と人差し指を突き出す。


「じゃあ何も問題無いね。俺は晴れて名前のファーストキスの相手になれたんだよ。名前は両想いでキスしたかったんだろう?じゃあ全くの無問題。だって俺、名前のこと好きだもん」

「へ……?」

「無駄にハラハラしたというか何というか……。あー何だかなぁ」


さらりと軽く発せられた言葉に、名前はきょとんとする。
臨也は呆けている名前の鼻を指でちょんと突くと、はにかむように笑った。

俺が名前の初めてだったんだ。

嬉しい。素直にそう思った。けどこの気持ちを知られたくないから、臨也はわざと言葉を紡ぐ。

「そうか。名前は俺が名前のことを好きじゃないと思っていたからファーストキスを認めたくなかったんだねぇ。だから自分にも俺が嫌いだって言い聞かせて、だからあんなのファーストキスじゃないって思おうとしたんでしょ?」


臨也は饒舌に自分の考えを語る。
よく舌噛まないなぁなどと若干場違いなことを考えていた名前は、いつの間に立ち上がっていたのか、臨也に腕を引かれて立たされた。


「というわけで、帰るよ」

「うぇ?ちょ、」

「あんまり長い時間ここに居たくないんだ。いつシズちゃんが来るか分かんないし」


臨也は言いながら自分のコートを名前に羽織らせる。これなら下がパジャマでもまだマシだ。
2人が静雄のアパートを出ると、恐らく臨也が一番会いたくなかったであろう男がセルティと話をしていた。


「うわ」

「あっ!?臨也てめぇ、なに人の家に勝手に上がってんだァ!!??」


セルティから視線を移した瞬間にピキピキとこめかみに青筋を立てる静雄。
会話の流れで静雄をここから遠ざけようとしていたセルティは、やってしまったというように肩を落とした。


「ごめん!やっぱ今日は喧嘩してる暇ないから!!シズちゃんだって自分の家壊したくないでしょー?あ、でも名前のことはありがとね」


臨也は投げられたゴミバケツを名前の肩を抱いてひょいと避けると、今度は名前の手を引いて駆け出した。
名前は走りながら静雄に小さく頭を下げ、あとは臨也に付いていく為に必死に走った。








「たっだいまー」

「遅かったわね」


名前の手を握ったまま機嫌を良くしている臨也に、波江の冷たい声が飛ぶ。
テーブルの上にはラップがしてある2人分のご飯が載っていた。


「随分時間がかかったじゃない。昼になっても帰らないから、昼食を夕食に回しちゃったわよ」

「え」

「……波江」

「あら、ごめんなさい。失言だった?」


大して悪怯れた様子もなく、むしろ笑って波江は言った。対する臨也はさっきの笑顔はどこへやら、無表情になっている。
そんな臨也を見ながら、名前は恐る恐る尋ねた。


「臨也、私のこと午前中から探してくれてたの……?」

「そうよ。大事な情報源まで放っぽってね」


波江がそう言って机の上に置いてある携帯を指差した。
名前は嬉しいやら恥ずかしいやら申し訳ないやらで赤面する。臨也は少しきまりが悪そうに小さく舌打ちをした。


「臨也」


蚊の鳴くような声で名前が臨也の名を呼ぶ。心なしか臨也と繋いでいた手に力が込められている気がした。


「何?」

「本当に、私のこと好きなの?」

「好きじゃなかったら探しに行かないし、第一住ませてないと思うけど?」

「そう」

「───…っ!」

いきなり名前の顔が近づいてきたと思ったその瞬間、臨也の唇には柔らかい感触。
名前が精一杯背伸びをして、臨也にキスをしていた。


「へ……何でいきなり」

「……ありがと」


珍しく驚いた表情をして臨也が聞くと、また顔を俯かせる名前が小さく答えた。
そんな名前を見て臨也は薄く笑うと、名前の目線に自身の目線を合わせる。


「ね、名前」

「な、なに」

「キス、していい?」

「………………」


何も言わない代わりに、小さく頷いた額に軽くキスを落としてから、臨也は優しく優しく口付けた。







(─それはそれは、甘い味)





(よくもまぁ人前でこんなにイチャイチャと)



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