短編 | ナノ


カタカタとタイピング音が静かに響く部屋で、いきなり人の声が響きの幅をきかせた。


「名前、愛してるよ」

「そうですか」

「………………」


その響きの意味に大して驚きもせず、私は淡々と書類整理をする。
声の主はしばらく経ってから、思い出したように言葉を続けた。


「今のは感謝するなり照れるなりするとこじゃない?とりあえず無表情はないよ、無表情は」


声の主、折原臨也に目を向けると、心底ガッカリしたように肩を落としている。
私は先ほど浮かべればいいはずだった微笑を浮かべ、その言葉に応えた。


「だって臨也さんは人間全てを愛しているんでしょう?その一方通行な愛に、どうしてお礼なんか」


そう。彼にとって人間を愛するのは平凡にして日常、彼の常識なのだ。だから愛してるよと言われてもピンと来ない。


「酷いなあ。俺は人間という種族の中でも、とりわけ名前という一個人を愛してるんだよ?」


そう言って肩をすくめる彼。
それでも私は、別段照れる訳でもなく微笑を浮かべ続ける。


「それでも私は人間という種族の中の一個人でしかありません」

「名前さぁ、俺のこと嫌い?」


はーぁ、と深く長いため息が漏らされ、キィキィと椅子が鳴る。
私はまさか!と言いながら、手近にある書類を手に取った。


「私だって愛してますよ。臨也さんは特別な存在です」


さも当然であるかのように言い放つと、臨也さんは分からない、という風に首を横に振った。
臨也さんのこういった表情はなかなか見れない。
そのことに少し嬉しさを感じながら、笑みを少し深くする。


「その特別な存在って枠に君は収まってるんだよ、俺の中ではね」

「でも臨也さんのその枠はすぐ誰かによって壊されますよ」


だって彼と私には大きな違いがある。致命的と言っていい程の、大きな差が。


「……私は、人間が大嫌いですから。だからその中で唯一好きだと思える臨也さんは、誰にも犯されない特別な存在なんです」


その言葉に臨也さんが一瞬言葉を失くす。
彼は人間が大好き。私は人間が大嫌い。
その埋めようもない差が、私たちの間には横たわっていた。
けれど、私は臨也さんが好きだ。だから臨也さんは簡単にその差を越えて私の領地へ入ってくることができる。
否、私が臨也さんを招き入れることができる。


「ピンクの中の赤のように、水色の中の青のように、黄色のなかのオレンジのように。……周りが同系の色の中でちょっとくらい濃くたって、目を見張るほどの違いは見られない」


珍しく口を挟まない臨也さんを少し気にしながら、トントンと書類を揃えて重ねていく。
その後も何も言わないので、私は臨也さんの『話を続けろ』という意志だと勝手に判断し再び口を開いた。


「極端に言えばですよ、私は白の中の黒になりたいんです。対照的な色の方が、頭に残る。臨也さんが人間を愛しているというなら、私は臨也さんに嫌われたいんですよ。平和島さんのようにね」


最後の一言は余計だったかな、と一瞬考えたが、これで臨也さんに嫌われるならそれはそれでいいか、などと私は私の論理を着々と広げていく。
ずっと黙っていた臨也さんはおもむろに立ち上がると、私の隣にストンと座った。


「……面白い意見だよ。なるほどねぇ。矢霧姉弟や張間美香みたいに様々な愛の価値観があるとは思っていたけど、君のようなタイプは新鮮だね」

「ありがとうございます」

「でもさぁ」


整理していた書類を私から奪い取り、臨也さんはぐいっと無理矢理顔を合わせるように私の頬に手を沿えた。
近すぎる顔が、にぃ、と嫌な笑みをつくる。


「その考え方だと、君は誰とも愛し合えないね」

「いいんですよ。私は人間が嫌いですから」

「良くないよ。君は愛を分かっちゃいない。君は俺が好き、俺は君が嫌い。その中で愛が成立すると思うかい?」


そんなの、臨也さんにも当てはまることじゃないか。
人間全てが臨也さんのことを好きな訳じゃない。中には臨也さんを殺したいほど憎んでいる人だっている筈だ。
しかし臨也さんはやれやれと首を振って、私の瞳を覗き込む。


「そんな矛盾した考えの中で、愛は存在できないよ。俺が君を拒否する瞬間に、君の中の愛は喪失する」

「ということはだ。君が俺の中の、君の言う特別な枠に無理矢理居座ったとして、そこで君と俺の関係は終わる。だって君はもうこの世界に居なくなっちゃうからねぇ」

「居なく、なっちゃうなんて……」

「居なくなるよ。……だって君、俺が君を徹底的に拒否したら、……死ぬでしょ?」


その言葉は、問われているのに絶対的な確信を持っていた。まるで決定事項のようだ。
でも、私にはそれで充分だった。
元々私は自殺しようとしていた時に彼に出会ったのだから。

人間に絶望し、こんな世界は要らないと考えて参加した自殺オフ会。
そこで彼と出会い、私は死ぬことを止めた。
ただ彼の為に生きたかった。

けど、もし彼が居なくなってしまったら?
こうしてマンションにも入れられず、どこかに行方をくらまして、私と一切の関係を持たなくなってしまったら。
私は生きる理由を失ってしまう。


「あ、れ……?」

「やっと気付いたかい?君の最大の矛盾は、君が俺を愛していることだ。愛するということは自分の最も近い場所に置くということ。俺が君を嫌いになったらその距離は永遠に近づくことはない。君はそばに居て欲しい人に、自分から離れろと叫んで自分で自分の首を締めているんだよ」

「シズちゃんと俺はお互いに殺したいくらい嫌いだから特別な枠にすんなりと収まっていられるんだろうけど、君は違うだろう?」


ぺらぺらと言葉を紡ぐ臨也さんの声が、頭の中で反響する。
じゃあ、私はどうすればいいの。
私は臨也さんの特別になりたいだけなのに……。
私が臨也さんを想っているのと同じくらい、臨也さんに想われたい。それだけなのに……。


「泣かないで」

「え……あ、」


いつの間にか、温かいような冷たいような雫が頬を伝っていた。
臨也さんが添えていた指で雫を掬ってくれる。


「わた、わたしっ……臨也さんがわたしを、本当にあ、愛してるのか、不安でっ……」


ぐすぐすと、ぽろぽろと涙を流しながら、私は勝手に口を動かしていた。
臨也さんは黙って涙を掬ってくれて、私を優しく抱き締めて頭を撫でる。


「言っただろう、愛してるよって。君は特別だよ。……さっきの言葉を言い直そうか。俺は人間という種族以前に君の──名前のことを愛してる」


その言葉を聞いた瞬間に、さっきとは別の感情からまた涙が溢れた。
うえぇ、と情けない声で泣く私を、臨也さんはずっと抱き締めていてくれて、その温かさにまた涙が零れる。


「落ち着いた?」

「はい……。す、すみません」


ようやく泣き止んだ私の顔を覗き見ながら臨也さんが尋ねる。
彼の胸元は私の涙やら鼻水やらでぐじゃぐじゃで、恥ずかしさと申し訳なさが込み上げて顔を上げることが出来ない。


「あはは、目、真っ赤だ」

「臨也さんに言われたくない」


そう言って彼の紅い瞳を見る。
彼はひどいなぁと軽いため息をついて笑った。


「で?君の持論はどう変化したのかな?」

「え、えと……」


にっこりと微笑みながら問われたが、今さっき指摘されたばかりの持論を捨てることはできても代わりのものをすぐに持ってくる訳にはいかず、一瞬言葉に詰まる。
ぐるぐると廻る思考を必死で制御しながら、たどたどしく私が出した答えは──、


「とりあえず、臨也さんにもっと好きになってもらえるように頑張ります……」


というもので、それを聞いた臨也さんはよくできました、とまた頭を撫でた。






ト ク ベ ツ


あなたのトクベツになりたかった
あなたがトクベツだったから



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