短編 | ナノ


画面の中に飛び込めたら、と思ったことが何度かある。
この薄い液晶を割って、画面の中に飛び込めることができたなら。君に触れられるのだろうか。君と一緒にいられるのだろうか。
現実では、液晶を割った瞬間にその画面は真っ黒な闇に包まれるだろうけど。


「名前、アップデートの通知が来てるぞ」

「あれ、ほんとだ。ああ、契約の更新もしなきゃ」


津軽は、私のパソコンに住んでいるセキュリティーソフトだ。パソコンを起動するたび、いち早く作動してウイルスを退治してくれる。最新型のセキュリティーソフトに人格……というかモデルが付いているとは思わなかった。
元となったのは池袋最強と呼ばれる平和島静雄。なんでも、へんちくりんと呼ばれて久しい私の上司が、平和島の強さをセキュリティーの性能の良さとしてイメージしやすいよう考えたんだとか。


「更新してくれるのか」

「そりゃあ、今まで立派に働いてくれたし、その内容に満足してるんだから。試作品とはいえ、とーぜん。それに、この更新プログラムも確かめなきゃね」

「そうか……ありがとう」


しかし性格は平和島そのものを模したわけではないらしく、沈着冷静で穏やか、という言葉が似合うものだった。

パソコンの中にいる、私だけを知る津軽。まだ試作段階ではあるものの、元はイケメンの平和島静雄の顔、それに穏やかな性格が合わされば、惚れない人も多いのではないだろうか。少なくとも私はそうだ。
気持ち悪い、と言われるかもしれない。世間一般の人たちから見れば。そんなことはわかっている。


「どうした、名前。浮かない顔だな。大丈夫だ、不審なウイルスは発見されていない」

「あ、ううん。違うの。ごめん心配かけて」


アップデートを終えた津軽が、液晶の向こうから心配そうな顔でこちらを見ていた。
……そうだ。相手はセキュリティーソフト。所詮はパソコンの中にいる存在。手を伸ばしても、触れているようで、触れていない。


「津軽とずっと一緒にいたいなあ」

「? 名前が契約を更新し続ける限り、俺は名前のパソコンを守り続けるが?」

「そういうことじゃないの。ごめん、今日はもう寝るね」


つんつんと液晶越しに津軽の頭をつついて、カチリとシャットダウンのマークを押すと、しばらくしてデスクトップがシャットダウン処理の画面に変わる。その直前まで、津軽は私を見ていた。



ーー画面の外に飛び出せたら、と思ったことが何度かある。
この薄い液晶を割って、画面の外に飛び出すことができたなら。君に触れられるのだろうか。君と一緒にいられるのだろうか。


「……できるわけがない、そんなこと」


暗くなった画面の内側で、俺はひとりごちた。
圧縮ファイルから解放された俺を迎えたのは、半信半疑の顔をした名前だった。名前によると、セキュリティーソフトに人格があることなど今までになかったらしく。言葉を話し、会話までできる俺に驚いていた。しかしそれも毎日パソコンを起動するたびに慣れたらしい。
最近はネットを使う用がなくても毎日パソコンを起動し、俺と話してくれるようになった。


「抱いてはいけないものだ、この、気持ちというものは」


データをスキャンし、可能な限りウイルスを除去する。それが俺の存在理由。液晶の外に憧れるどころか、人間に情を抱くなど、本来の性質からはかけ離れている。これでは、おおよそソフトとは言えないだろう。


「しかし……名前、お前のパソコンだけではなく、お前自身も守りたいと思ってしまうんだ」


名前が液晶越しに俺に手を当てると、不思議と暖かく感じる。名前の指の腹にすっぽりと収まってしまう俺の顔が、その暖かさに委ねてどんな表情をしているのか名前は知らないだろう。

聞けば、俺はまだ試作段階だという。俺にこんな感情が生まれたと知られたら、きっと俺を構成するプログラムを変えられてしまうだろう。全く、とんでもない欠陥品を作ってくれたものだ。こんな気持ちを持つソフトでなければ……。

見上げる先は闇。電源が入っていないデータと粒子の世界で、俺は静かに目を閉じた。



ソフトに興味を抱いた情報屋が、津軽と同じ背格好をした、平和島静雄の等身大アンドロイドを送りつけてくるのは、まだ少し先の話ーー。







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