短編 | ナノ


仕事帰り、俺はいつもの道をいつも通り歩いていた。
街は今日も喧騒に溢れていて、誰が何を話しても何重にも重なったそれは耳に入っても頭に入ってくることはない。

そんな喧騒の中で、懐かしい声を聞いた気がした。


「やめてください……っ」


その声がどこか焦っているようで、俺はほぼ無意識に声の聞こえた方へ向かった。


「いーじゃん、ちょっとデートしようよ」

「やっ……は、はなして…」

「おいおい彼女怖がってるじゃん。もっと優しく扱わねぇとなぁ?」

「きゃっ!あの、ほんとにやめてくだっ……っはあ、はっ……!」


なんだ、ただのガラの悪いナンパか。最初は勝手にやってろと思ったが、苦しそうな女の声に放っておけない気もして、向かう足を速めた。


「おい」

「あん?誰だてめぇ」

「お、おいやべぇよこいつ確か──」


1人が何か言い掛けたが面倒くさくて2人一気に投げた。片手に一人ずつ、まるで朝のゴミ出しのように。

ガシャン、とどこかにぶつかる音がしたがもう俺の意識はそれどころではなくて。


「へ、平和島くん…?」

「名前、か?」


潤んだ瞳で見上げてきたのは小中学校の同級生だった名前で、俺の心臓が柄にもなくトクトクと静かに脈打っているのを感じた。

まぁ、あれだ。名前は俺の初恋とか言うやつで、口下手で不器用な俺は告白もしないままその甘酸っぱい日々に幕を下ろした訳だが。


(やべえ……)


大人になった名前はそれでも中学校の頃の面影を残していて……可愛いと、思った。


「大丈夫か?」

「はっ、う…………はい」


名前は手を伸ばすとびくりと肩を震わせた。それを見て俺は反射的に手を引っ込める。

名前は男性恐怖症だ。
それは小学校の時からで、子供だろうと男が近づくと異常に怯え、酷い時には先程のように呼吸困難になったり、果てには意識を失うこともあった。

そんな名前は男子からからかいの対象にもなり、俺は名前の用心棒のような役割をしていた。
だけど俺は男だから名前には触れられない。それに、俺が触れたら名前が壊れてしまいそうで、結局喧嘩のあとには少し離れて終わったぞと一言言うだけだった。
本当はその小さく震える肩を抱き締めて頭を撫でてやりたかったのだけれど。


「ありがとう、平和島くん」


そして名前は今も昔も変わらずに、そんな俺に笑顔で礼を言う。それだけで、チクチクとした俺の心臓は熱くなって、速くなって、この笑顔が見れるなら触れなくていいなんて少しキザなことを考えた。


「まだ、治ってねぇのか」

「うん……。あ、でもね!前より近い距離でお話できるようになったよ。握手とかもできるようになったし」


嬉しそうに話す彼女を見るとまるで自分のことのように嬉しくなって。

さっき引っ込めたはずの手を名前の頭に乗せていた。


「あ……」

「あ……?あ"?!悪い!」


自分でもなんでこんなことをしたか分からなくて、慌てて退けようとした手を名前がきゅっと握っているのに気付くのにも少し時間が掛かった。


「名前……お前、」

「やっと、触れた」


名前はさっきよりも嬉しそうに微笑んだ。ドクン、ドクン。鼓動がうるさい。
いや、駄目だ。俺は名前に触れられない。


「……離せ」

「どうして?」

「お前を、壊しちまう。……さっきも見ただろ、俺の力」

「大丈夫だよ」


何を根拠に、と思ったが名前が俺の手に触れてるのが嬉しくて堪らない。好きだから傷つけたくない。この気持ちはもっと昔からあったのに。


「昔から見てるだろ。お前も、恐いんじゃないのか」

「恐くないよ」


名前はまだ俺の手を握ったまま再び微笑んだ。


「平和島くんは、恐くないよ。……ううん、平和島くんだから恐くないの」


言っている意味が分からなくて、取り敢えず顔と胸が熱くなっていることに気付いた。


「何言って……、俺、この手で色んなもん壊してきたんだぞ」

「私のこと守ってくれた」


名前はゆっくりと手を少し下げて俺の掌に顔を寄せて目を閉じた。……あぁ、綺麗だな。


「この手は壊したり傷つけたりする手じゃない。守ってくれる、大きくて、温かくて、優しい手」


やっと、触れた。
そう言いながら名前はふわりと笑った。その瞬間、俺は自分の力で名前の頬に手を添えていて。


「名前、俺お前のこと──」

「好きです」

「え?」

「ずっとずっと前から好きでした!いつも私を守ってくれて、ありがとう」


顔を真っ赤にして言う名前がこの上なく可愛くて。俺の言おうとしてた言葉を先に言われたのは悔しかったけど。


「俺、名前を傷つけるかもしんねぇ……」

「大丈夫。平和島くんなら、大丈夫」

「恐がらせるかもしんねぇ」

「平和島くんなら、恐くない。他の男の人はまだ恐いけど、平和島くんだけは恐くないの」


普通の男が恐くて、池袋最強とか言われている俺を恐くないと言う彼女を誰か笑うだろうか。いや、俺が笑わせない。ずっと、そばにいてやる。

俺は空いた方の手も添えて、名前の透き通るような瞳を見て、そしてゆっくり、そっと口付けた。

唇が離れて、名前を抱き締める。そっと、そっと。壊れてしまわないように。


「もっと力入れていいのに」

「こう、か?」

「もっと」

「…………」

「もっと!」

「お、おう」


名前は俺の腕の中でくすりと笑って、俺の背中に手を回した。
抱き締めたことで近くなった名前の耳元で、飲み込んだ言葉を言う。


「……好きだ」

「うん、」

「愛してる」

「うん……!私も、愛してる」


さっきよりちょっとだけ力を込めて、更に名前を引き寄せた。もう、離さないと心に決めて。






ただ、君だけを


((愛してる))






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