「うーーーーん、暇だ……」
誰もいない保健室。ぐーっと伸びをした後に、机に突っ伏した。
中学生の時に保健委員をやっていたという理由で高校でも立候補した保健委員。
その役割の一つとして、私は球技大会中の保健室の留守番を担っているわけである。まあ、留守番といっても1時間ごとの交代制なので、あと30分もすれば体育館に行けるんだけど。
「えーと、今の時間、臨也はバスケか」
球技大会のタイムスケジュール表を見て、なんともなしに呟く。とにもかくにも、やることがない。野球など屋外競技に参加している人は擦り傷なんかで来るのかもしれないが、残念ながら現在試合は行われていない。
あと30分をどう潰そうかと考え、私は枕を1つ持ってきて机に突っ伏した。うん、寝る体勢オッケー!ベッドならともかく、入ってすぐのテーブルに寝ていたら誰か来てもすぐに気付くことができるだろう。
そうして、私は窓から入る心地いい風を頬に受けながら目を閉じた。
ーーーガラガラガラ
ドアの開く音がする。もう交代の時間になったのかな。
うとうとしていた私はどこか他人事のように顔を上げた。
「……あれ」
目の前に立っていたのは、髪を金色に染めた男の人だった。背が高くて、脚も長い。まるでモデルのようなその人は、見覚えがあった。確か入学式に臨也と追いかけっこをしていた人だ。特徴的な金髪が、目の前でサラリと揺れた。
そこまで考えて、私は本来の役割を思い出す。
「あ、怪我したんですよね?ちょっと待ってててください」
「あ、いや俺は、」
消毒液のボトルを掴むと、やけに軽い。……中身空なの?予備はどこだっけ。
棚の上に消毒液と書かれたダンボールを見つけ、思わずため息。保健室の先生は背が高いから届くかもしれないけれど、私は背伸びをしてやっと手が届く高さだ。
「んしょ、」
「おい俺は別に」
「あ、そこに座ってていいですか、らッ?」
ぐらり。手前に引き出していたダンボールが、バランスを崩して落ちる。
またダンボールの蓋が開いてるとは運が悪い。中から消毒液のボトルがぼとぼとと降り注いだ。
「お、おい!大丈夫か?!」
ボトルの一つが直撃し、蹲る私の耳に焦ったような声が聞こえる。か、角じゃなくてよかった……!それでもじぃんと痛むおでこを抑えながら、私は顔を上げた。そこには予想以上に近い距離にある、彼の顔。
驚いたような、心配そうな顔でこちらをのぞき込んでいる。
「はい、大丈夫です……」
「ほんとかよ?赤くなってんぞ」
正直、泣きたいくらい痛いが、なんだか恥ずかしくてそこはぐっと堪える。
痛みを紛らわそうと、周りに散らばった消毒液を拾い始めると、彼も拾うのを手伝ってくれた。よく見ると、彼の腕はあちこち擦り傷だらけだ。
「あ!そうだ、怪我の消毒しないと!」
「あー……いいよ。こんなん勝手に治る」
「そりゃあほっといても治るとは思いますけど、ここに来たからには消毒した方がいいですよ」
というか怪我の治療が目的じゃないならなんで保健室に来たんだ。そんな疑問を抱えつつ、拾い上げた消毒液の包装を破って綿に染み込ませる。そこまですると、彼は消毒液を詰めた箱を軽々と元の場所に戻し、観念したように椅子へどっかりと腰を落とした。
ぽんぽんと傷の一つひとつに綿を当てる。
「どうしてこんなに。転んだんですか?」
「いや、ちょっとな。ああくそ、思い出したら腹立ってきた…折原の野郎ォ……」
じょじょに不穏なオーラを増していく彼に、私は臨也の顔を思い出していた。入学式で追いかけっこをしてからというもの、臨也は彼にちょっかいをかけていたようだし、今日もまた面倒くさいことを彼にふっかけのだろう。
自分はちゃっかり球技大会に出てるくせに。
「なんか、ごめんなさい」
「? なんで謝るんだよ」
「私、臨也の幼馴染みなんです。きっとあいつ、あなたに迷惑いっぱいかけてると思う」
反対の腕も同じように消毒しながら、私は彼の顔を見つめることが出来なかった。
きっと私にもいい感情は抱かないよね……決していい性格とは言えない臨也の幼馴染みだなんて。
けれど、彼は私が想像していなかった言葉を吐き出した。
「別に、お前が俺にちょっかい出してるわけじゃないだろ。だから謝んな。それと、俺も一年だから。敬語使わなくていいぞ」
消毒、サンキュな。そう言って、彼はベッドの方へ歩いていった。どうやら元からベッドで寝ることが目的だったらしい。
ベッドはカーテンに遮られて、もう彼の姿を確認することはできない。のろのろと消毒の後始末をしていると、今度こそ交代の保健委員がやって来た。
「空谷さん、お疲れー。交代するよ」
「はい。あ、先輩、今ベッド1つ使ってます」
「オッケー。てかおでこ大丈夫?赤いよ?」
指摘されて再びおでこがじんじんと痛み出す。涙目になる前に、大丈夫です!と半ば叫ぶようにして保健室を後にした。
はあーあ、変な意地張っちゃった。ハンカチ濡らせば少しは冷やせるかな……。
そう思い、誰もいない廊下を水飲み場まで走った。
(あいつ、空谷っていうのか……)