私には、到底理解できない。
当時の私ですら受け入れがたい、というか絶対受け入れたくない現実が目の前にあった。
母さんが久しぶりにご飯を一緒に食べたいんだって、と誘われた折原家。ほかほかと湯気を立てるハンバーグはむしろ心躍る光景だけれど、生憎と今の私は別のことに気を取られていた。
『冬の特番!寒い冬に叫んで暑くなろう!恐怖の百科事典!』というツッコミどころ満載なタイトルがテレビ画面に映し出されている。私がハンバーグに集中できないのはもっぱらその特番が原因だった。
意気揚々とテレビを熱心に見つめるクルリちゃんとマイルちゃんを横目に、私は少しでも気を逸らそうとハンバーグを睨みつけていたのだけれど、どうやっても音声は耳に入ってくる。
「奏、大丈夫?チャンネル変えようか?」
「「えーっ!これみたい!」」
「録画すればいいだろ」
「「やーだー!」」
「だ、大丈夫。大丈夫だから、みせてあげて。大丈夫……大丈夫……」
もはや自分に言い聞かせるように無駄に大丈夫を繰り返す。臨也は眉根を寄せて私を見ていた。大丈夫、ハンバーグおいしい、大丈夫…。私はひたすら、ハンバーグで恐怖映像とスタジオの悲鳴を脳内からかき消した。
それでも、やっぱり怖いものは怖いのだ。
まず真っ暗になった道を歩くのが怖い。夜遅いからと、近くではあるが臨也が送ってくれてよかった。もっと言えば、家の明かりをつけるまで傍にいてくれてよかった。不幸にも今日からお父さんとお母さんは出張で家を空けている。臨也が帰ったあとのひんやりとした家の空気に、私はぶるりと身を震わせた。
それからさっさと寝る支度をして、部屋にこもる。今日は電気消して寝れないかもしれない……!
布団の中でぎゅっと目をつむる。
ーーミシ…。
「ひっ、」
微かに窓から響いた音に身を縮こまらせる。大丈夫、風が強く吹いただけ。いつものことじゃないか。
でも、それからの私は目を閉じては偶然目に入ってしまった恐怖映像を思い出し、小さな音に反応し続けた。
このままでは、寝れない。明日も学校あるのに。
「(というか、寂しい、こわい、寂しい…)」
だめだ、だめ。お母さんが家にいてくれたらなんて、考えちゃだめ。
なのに私の体は勝手に動いて、勇気を出してリビングから電話の子機を持ってきていた。お母さんたちが残して行った、ホテルの電話番号が書かれた紙をじっと見詰める。そしてその紙を机の上に置き、私は子機のダイヤルボタンを押した。
『もしもし』
「もっ、もしもし!ごめん、夜遅くに」
『別にいいけど。どうしたの?』
よかった。求めていたその人が電話に出てくれた。まずそのことに安堵しながら、私は子機を耳に当てたままベッドに入った。
「あの、臨也にお願いがあるんだけど…」
『なに?もしかして怖くて一人で寝れないとか?』
ずはり言い当てた臨也の声は、少しだけ笑っているようだ。恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じながらおっしゃる通りです、と小さく返せば、臨也は今度は遠慮せず笑い声をあげた。
「だっ、だって怖くて!ナレーションの声とか思い出しちゃって…」
『ふぅん……フォローしてあげたいけど、何を言っても今の奏の恐怖心は失くせそうにないなあ。俺そっちの家行こうか?』
「こんな遅い時間に迷惑だよ!明日も学校だし、それはダメ」
『じゃあどうするのさ。朝までずっと俺とお喋りする?』
再び笑い声を含ませながら臨也が言う。でも、そうだな…朝までとはいかないまでも……。
「…私が寝るまで、ずっと喋ってて」
『は?』
臨也の声を聞いてると安心できるから。自分でもかなり迷惑なことを言ったと後悔した矢先、臨也が大笑いしている声が子機から流れてきた。思わず耳から少し離す。
こんな大きな声で笑ってたら、クルリちゃんたち起きちゃうんじゃ、とてんで別のことを考えていると、臨也がおーいと呼ぶ声が聞こえた。
『いいよ』
「え?」
『だから、俺奏が寝るまでずっと喋っててあげるよ。話のネタはいくらでもあるし』
なんの話がいいかなあ?4組の担任の安原のとか結構笑えるよ、と臨也の言葉は途切れることなく子機から流れ込んで来る。
よかった。私、臨也が幼馴染で本当によかった……!今更ながらそう実感した私は、布団の中で臨也の心地よい声に耳を傾けた。
(おはよう空谷さん。あれ、隈ができてるよ)
(昨日あまり寝れなくて。でも、素敵な夜だったよ)
(なんだいそれ!健全な女子中学生が素敵に思う夜ってどんな夜、)
(おはよう、新羅、奏)
(あれ、折原くんも隈できてるし…声掠れてるね)
(昨日ちょっと予定外のことがあってね)
(臨也、ごめんね…!)