ストロベリー・オールライト
「うるせぇ! 黙れ!」
声を荒げて、そう言い放ってから顔を上げて目を開いてみれば。
そこには目を見開いたまま涙を流して、固まる、愛しい人がいた。
ストロベリー・オールライト
「は、ぁ……」
これで何度目だろうか。自分でも、心臓が早くなった証なのか溜息なのかもわからないほどの息をまたひとつ吐いて、ほど近い、けれど遠い距離にある大きなゴールを黙視してみる。
今自分が立っているこのピッチのようにたくさんのドラマを生みだす、そのドラマの主役たちがみな目指す、そのゴールだ。
「堺!」
「おら、よ……!」
敵に囲まれ、どこにパスを出そうかと思っていたら。丹波に名を呼ばれ、丁度丹波までのコースががら空きだったこともあり、そこを目掛け足元にあるボールを蹴った。
そのボールは丹波の足へと吸い込まれるかのように転がっていき、そのままゴールへと一直線に彼の足から放たれた。
『ただいまのゴールは、ETU14番、丹波選手のゴールです』
得点を知らせるアナウンスが鳴った直後、90分ロスタイム3分の試合終了を告げる音が、頭に鳴り響いた。
「っしゃあああああ!! 堺くんアシストありがとーう!」
「ああ」
試合終了後のロッカールーム。久々にピッチに立った、と言っても前半はベンチだったが。
勝利の決め手となった丹波のシュートに、未だ歓喜するその室内でただ一人、俺は素直に喜べないでいた。
アシストもできた。あの川崎戦以来、それはすごく嬉しくて、自分の形だと思ったはずなのに。それなのに喜べないのは、俺の顔色をチラチラと窺いつつも丹波のシュートに喜んでいる、20番を背負う小さなFWのせいだということくらい、不本意ながらずっと鈍感だと言われ続けてきた俺でさえわかる。
その日も、やはり全くと言っていいほど眠ることが出来なかった。
一か月前。
「堺さん!何作ってるんですか?」
「……ショート、ケーキ」
「え、ちょ、堺さんケーキまで作れたんスか!?」
「悪いか」
「悪いわけないじゃないッスか! ぜひ食べたいッス!」
「じゃああとデコレーションだけだから待ってろ」
その日は世良と出会った日だった。いや、もっと簡単に言えば世良と付き合い始めて、一年が経った。その日だった。
我ながら女々しいとは思うが、一応ケーキなんてものに生まれて初めて挑戦してみることにした。理由は簡単、前世良がそれを好きだと言って笑っていたから。
俺はただその笑顔が、見たかっただけだった。
キッチンの入口に掛かっているカーテン越しに世良がわくわくしたような声でそう聞くものだから、少し照れつつもその甘い名前を呟いてみる。
するといつも俺が甘いものを食べないせいだからか世良は声を大きくしながら驚いたようにそう言った。食べたい、その言葉がもう嬉しくて、今にも鼻歌でも歌ってしまいそうなほど上機嫌になった俺は「待ってろ」とだけ言い、程よく冷めたスポンジに生クリームを絞り、赤く色付く果実を飾り付けていく。
完成したそのケーキは自分でも初めてにしてはかなりいい出来なのではないだろうか、と思っていしまうほどで、それこそ浮かれながら、クリームも冷やさず、リビングへとそのケーキを運んだ。
とにかく早く食べて欲しくて。美味しいなんて言ってもらえたなら。俺はもうそれだけでいいのだ。
ケーキも食べ終わり、ソファに並んで、テレビを見て、談笑して。酔ったのではないかと思うくらい笑顔がこぼれてきて。
不意に、泣きたくなった。
「なぁ、世良」
「え、なんでスか? そんなに改まって」
「お前は、俺と別れた方が、いいんじゃない……か」
世良はまるで何を言っているのかわからないという顔をしていて。彼が以前浮かれて買ってきたペアのマグカップが床に落ちて割れる音が聞こえた。
――ああ、結構、気に入ってたんだけどな。そのペアマグ。
まるで現実味もなくて、ただただ自分の鼓動と秒針の音だけがうるさく聞こえた。
「……ん、スか。それ」
「お前は、俺と居るべきじゃ、きっと、無いんだ」
「なんで」
「お前に俺は、不釣り合いだ」
「なんで!」
「お前はきっと、もっと、俺みたいな人間に時間を割くより、いい人がいる」
「だからなんでですか!!」
「うるせぇ! 黙れ!」
力の限りの声で言い放ってしまった。違う、そんな言葉をぶつけたかったんじゃない。
――世良がいつか俺から離れて、今のこの幸せが過去になるのがたまらなく怖くて、だからいっそ俺から切ってしまえばいいと思ったんだ。ばかだろ、怖いんだ。この歳にもなって。でも、それをどうか否定して。抱きしめて欲しいんだ。
後悔しながら下を向いて、けれど謝らなければ。そう思って顔を上げれば、そこには目を見開きながらも涙を流して、口だけがわなわなと動いている世良のが居た。
――なんで、なんでですか、冗談言わないでください。ひどいッス。
小さく動く唇がそう動いたように感じた。
「あ……」
世良はそして何かを思いついたようにハッとすると、そのまま立ち上がり、小さな斜め掛けのカバンを肩にかけると、無言で玄関へと歩いて行った。
俺はその背中を、追うことが出来なかった。
「堺くんさぁ」
「なんだよ」
「もしかして俺があのときパス要求したの、未だに根に持ってたりする?」
「は?」
「だってあの時ゴールに近かったのは堺くんじゃん。普通打つよ、あの場所にいるなら」
「囲まれてただろうが、俺」
「何悩んでるわけ。目が虚ろだよ」
「話変わりすぎだろ」
「いいから答えてよ。どうせ世良でしょ?」
丹波がシュートを決めた試合の翌日。オフだったこともあり、いつもは世良がいる俺のマンションのリビングの向かいの椅子には丹波が酒を呑みながら座っていた。
一か月前のこと以来、必要以上に派世良と口を聞いていなかった。あの日彼は玄関の、内側のドアのドアノブに合い鍵(に付いていたおそろいのストラップも一緒だったが)をかけて出ていった。
彼の小さな背中さえも追えなかった俺は、目が笑ってない。あと怒る時も、目が怒ってない。そう何度も丹波に言われた。自分でもわかっていたくらいなのだから、他人が気が付かないはずがなかった。
「堺くん、どうせ怖くなったんでしょ」
「どういう意味だ」
「年下の、将来有望で、女の子に人気な世良が。いつか自分に別れを告げて白いチャペルでエンダアアアーイヤアアアアーしちゃうのが、さ」
「……クソ丹波」
「はいはい正解ね」
まるで自分が思っていたことそのままで、思わず悪態付いた。
丹波のクセに。そう、もう一つ余計に添えておいた。
「俺だって怖いよ。赤崎と一緒にいるの。アイツはなんたって五輪代表だし、顔もいいから女子人気も高いし。ファンの女の子はみんなかわいいし、10も年下だし、そもそも、」
丹波と赤崎は付き合っている。確か俺と世良が付き合う数ヵ月前だったはずだ。けれど、丹波が赤崎とのことを言うのは、正直これが初めてだった。
いつも何も言わなかった。一度二人で飲んだ時に「俺赤崎と付き合い始めたんだよねー」と、言われただけだった。しかもそれは俺以外には言っていないらしい。
丹波は、恋人ができるとすぐに自慢してくるタイプだったので。それには心底驚いた記憶がある。それほど大事なんだろう、と。感じ取れた。
「俺と赤崎は同性だし」
先程の言葉の続きらしい。同性。そう言った瞬間丹波の顔は今にも泣きそうな表情になっていて、始めてみたその顔に、ひどく動揺した。
彼もまた、苦しいほどに悩んでいるのだ。
「報われないっていうかさ? まぁそこもロマンチックだし、赤崎とずっと一緒にいたいから考えたくはないんだけどさ。やっぱり同性同士なんて、当人以外から考えたら気持ち悪いものなんだよ。でも好きでさ。なんで好きなのかも、分からないけど。でも、それでも好きだからこそ同性って言うのは問題として永遠についてくる。いつ壊れるのかもわからない関係で、崩れてしまえば前の関係に戻れるのかさえ分からなくて」
あはは、酔ってるかも、俺。丹波はそう言って笑って見せた。
――笑えてないだろうが、馬鹿野郎。
「今の堺くん、完全に今の俺みたいな状態なんだよ。笑えてない」
「……そ、うか」
「で、まぁ。それでもさ、いいじゃん。戻れなくたってさ。もし例えば赤崎が誰かと結婚したとして、そこで泣いてたら、それこそ一緒に居てくれた赤崎に悪いなって。いいんだよ、俺は。アイツが幸せならさ。だけどせめてその誰かさんを見つけるまでは、俺のエゴに付き合ってもらう。自然消滅上等」
そう言いきってふっ、と先程の表情に、笑顔が戻った。いつもの、いつも通りの丹波の馬鹿みたいに明るい笑顔。街頭みたいに勇気づけてくれる、“それ”に戻っていた。
「っていうことをさ。赤崎と付き合って3日目で話し合ったわけだよ」
「3日……って、早いだろそれ」
「そこははっきり伝えておきたかったから。あとあと面倒なこと考えないように言っておいたわけ。赤崎はしっかりわかってくれたよ」
丹波はテーブルに置いていたグラスを手に取り、口へと運んだ。
「ところでさぁ、この酒……度数やけに高くない? どんだけ酒に溺れたかったのさ、ピュアピュアハートな堺くんはさー」
やはり丹波は丹波だった。
そして、一ヶ月後。
「堺さん! これここでいいッスか!?」
「あー、そこ、ってテメェ世良! なんだよこのダンボールの中身!」
「え、あ、いや」
「なんでポテチがダンボールいっぱいにあるんだよ」
「いや、それは赤崎が!」
「うるせぇ黙れ」
結局あの後丹波は酔いつぶれ、俺のベッドを占領しやがった。まぁそれはいいとして。
丹波をベッドに運び、俺はすぐに世良に会いたい、とだけ打ったメールを送った。けれど何分待てど返信は来なく、ムカツクから寝てやろうとソファへ倒れ込んだ途端、インターホンが鳴ったのだ。
俺は駆け足で玄関へ行き、扉を開けると、小さな20番は、迷わず俺を抱きしめてきた。久しぶりのその腕の暖かさにしばらく言葉も出ず、されるがままだったが、それでは意味がない。
だから、言おう。
「……ごめん、なさい」
「なんでお前が謝るんだよ」
「不安にさせて、ごめんなさい」
「べ、つに……不安だったわけじゃない。ただ、俺が勝手にお前は俺といない方がいいんじゃないかって、考えただけだ」
「俺、堺さんじゃなきゃイヤなんです。いつか離れることになったって、俺は堺さんが一番です。だから、どうか俺とこれからも一緒に居てくれませんか……?」
「……ばかやろ、俺だって、その、……世良じゃなきゃダメなんだよ」
小さく呟いて、でも恥ずかしいとは微塵も感じなかった。
「へへっ……」
「んだよ、気持ち悪いな」
「嬉しいッス……!」
「あっ、そ」
素っ気なく言って、けれど世良にされるがままの状態を脱するべく、俺は彼の背中に腕を回した。
それがどうやら相当嬉しかったらしい。今度は力を込めて抱きしめられた。
「好きだよ、世良……あ、いや、……違う」
「え、違うんスか」
「あ、あ、ああ、……愛、して、る」
途切れ途切れに、それでもきっと伝わったはずだから。きっとさらに強くなった腕の力は、彼なりの答えなのだから。
「荷物片付け終わったッス!」
「案外荷物少ないんだな。ゲームと漫画ばっかだったが」
「そこは、言わないでください……」
そして今に至る。最終的に、もう離れたくないと世良が駄々を捏ねやがったので同棲、という形を取ることにした。
丁度俺も引っ越しを考えていたし、世良は寮を出るいい機会だ。家賃は今は俺が多めに出す、ということに決まった。いつかは世良に全額払わせるつもりだ。
なんだかんだいいつつも、丹波には感謝だ。
「あ、そうだ堺さん」
「なんだ」
「今度は俺がショートケーキ作ります」
「は? いや、無理だろ」
「大丈夫ッスよ! 一応作れるはずッスから!」
「まぁせいぜい得体のしれない物体だけは作るなよ」
「ひどっ!」
「……ま、少しなら失敗したって気にしねぇよ」
大丈夫、きっと。まだ俺たちは終わらないはずだから。だからどうか、世良がプロ級のショートケーキを作れるようになるまでは、彼の側に居させてください。
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