パソコンでの簡単な表づくりを中断して、固まりそうな体をほぐす。変な格好でしていたので腰が痛い。手を組んで大きく伸びをすると、赤い前髪が目にかかる。手で払ってそれをのけた。画面を見ると、入力しなくてはならないデータはあと半分以上残っているが早くも目はチカチカして気持ちが悪い。古いパソコンだからだろうか。やけに眩しく感じる。

（それにしても疲れました、ね……）

背もたれに体を預けると、ぎしっと重い音がした。ため息をつく。男性陣では一番の年長であり、たまに忘れられることもあるがまだ私も十代だというのに。これじゃまるで年寄りのようだとメガネを外し、目薬を点し、目頭のツボを押す。しみた。
と、入口に気配を感じてはっとする。入りやすいようにドアを開けっ放しにしていたのを忘れていた。こちらを見て心配そうな顔をする幼い同僚、ヴェインローゼがこちらを見て立っている。ひざ丈のスカートを握り締め、右足だけ靴下を脱いでいた。

「失礼、気づきませんでした。どうしましたか」
「ケガした……」

メガネをかけなおしよく見ると右膝から出血しているのが見えた。お転婆ですねえと言いながら、少女を目の前の椅子に座らせる。傷はそう深くない。水で洗ってから来たのか、幼い足は濡れていた。ガーゼで軽く水分を取ってから薬を塗り、絆創膏を貼る。

「わたし、お転婆じゃないよ」
「おしとやかなお嬢さんなら、転んだりしませんよ」
「クルトをかばっただけ！」

むう、とむくれてそっぽを向く。転びかけたクルト様をかばって、かわりに怪我をしたらしい。それは大変失礼しましたとデスクに置いてあった飴を渡すと、子供扱いしないでと文句を言いながら、それでもローゼは受け取って大切そうにポケットにいれ込んだ。
と、私の顔をまじまじとのぞき込んできた。何か付いているのだろうか。とすこし心配になり暗くなったデスクトップを見れば、疲れた顔をした自分が写り込んだ。

「……疲れてるの？」
「疲れてませんよ」
「目薬差してた」
「年ですからね」

足腰も弱くなりました。年寄りですからね。と冗談めかして言っても少女はじっと見つめることをやめない。困ったな、と思う。こういうときどうしていいのかわからない。控えめな女の声が聞こえた。

「……ローゼ、……大丈夫ですか？」
「ベラ。大丈夫だよ」
「そう……よかったわ」
「ベラ。今日のお菓子、ツァイレンもう決めてるかな？」

ベロニカはうーん、と時計を見ながら考え込む。１３時過ぎ。先ほど昼食を摂ったところだが、彼のことだから一ヶ月分のメニューはまとめてもう考えているだろうし、もう作り始めているかもしれない。

「……でも、急いで行けば変えてもらえるかもしれませんね」
「何が食べたいんですか？」
「内緒だよ」

そう言ってローゼは幼い手を山の形をした形のいい唇に当てた。

「じゃあ、ありがとメル！　行ってくる」
「はい、転けないように気をつけてくださいね」
「転けないもん！」

廊下に飛び出して厨房へ駆けていく様を見届けたベロニカも、軽く頭を下げて出ていった。

「……」

さあ、続きをするか。と私はまたパソコンに向かい合った。

☆

「今日はローゼのリクエストで、ブルーベリータルトじゃ！」
「タルトだぁー！」

まるで普通の子供のようにはしゃぐクルト様が早速タルトをフォークでつついている。驚いて立ち尽くす私を見た食事係のツァイレンが近づいてきた。

「お前が疲れてるらしいから、目にいいお菓子を作ってって、ローゼにお願いされたんじゃ」
「ほう……」
「ちょうどタルトにしようと思ってたから、ブルーベリーもあったし」

まっことええ子じゃのぅ、ローゼは。とかなんとか言いながらにやけている彼は、「情けない顔しよって」とラーニャに蹴られている。

（いけませんねえ、私としたことが）

ふう、とため息をついて背中を太い柱にもたれさせる。こんな小さな子供に心配されるなんて。苦笑いも漏れる。……最近表情筋が緩んできた気がする。年をとったから、といつも自分をごまかしているがきっとそうではないのだろう。
研究資金なんて関係なく、この場所にいたいと思い始めている自分がいる。それはいいことなのか悪いことなのかはわからない。それでも。

（守りたい）

そう思ってしまう自分が、今はなぜだか嫌いじゃなかった。



←

- ナノ -