冬休みの学校図書館。カタカタと俺がキーをたたく音、それから時折彼女がページをめくる音、そして時計の音。この三つしかこの世界に音は存在しないんじゃないかと勘違いしそうだった、そのときであった。右下のバーに表示されるデジタル時計は、実際とは10分送れた13:10。
「……ねえ、そこの漢字間違っているわ」
「え、どこ」
データベースに図書館に増えた本を登録するためになれない入力作業をしていた俺に、彼女は愛想も抑揚もない声で言った。「ここ。作者名が違うわ。『幸い』ではなくて、『僥倖』の『倖』よ。気をつけて」片手で俺の肩に触れ、それを支えにして彼女はぐっと体を乗り出す。白くてほっそりした骨みたいな指がパソコンの画面に触れないように、数ミリ浮かせて彼女は作者名の欄を指差した。すぐにミスを直し始める俺をみて、彼女は身を引く。ふわり、と癖の無い髪からいい匂いが漂ってきて、思わずはっとした。
「……」
「なに」
おもわずほうけている俺を見て、彼女はまた無愛想な声を出す。それでも最近はよくなったほうだ。この前までは愛想はないが、嫌そうな声でもなかったのだから。少しは俺に関心を持ってくれていたりして、なんて都合のいいことを考え出した。
……なんて、そんなことは関係ない。俺は短く、「いや」と答える。小さく「ああそう」と返した少女の手の中では、可愛らしい布製のブックカバーをかけた本がもうすでに開かれていた。つまり、俺に声をかけるその直前まで本を読んでいたということ。ずっと俺の方を見ていたわけではなさそうだ。少しだけ、落胆した。少しでもテンションを上げようと、俺は彼女に声をかけた。
「ねえ、終わったらご飯食べに行こう」
「ごめんなさい。私お弁当作ってきたから」
「俺の分もー? 悪いねえ」
「……」
「なんか答えてよ」
軽口をたたく俺を無視して、彼女は本の世界に戻る。それでも、最近は俺と話をするときに、彼女の黒目が止まるようになってきた。少しは聞く気が出てきたらしい。まあ、顔を上げてくれたりはまだしないのだけれど。
はあーつれないなあ。と大げさに肩をすくめて作業を再開してしばらくしてから、彼女が「そうよ」と言った。独り言にしては大きく、俺に話しかけるにはか細い声であった。俺は車輪のついた事務机をガラガラとして彼女の座るテーブルに近づいた。
「なにが?」
「……お弁当、作りすぎたの。一人では食べきれないわ」
それってつまり、食べてもいいってことか? そう尋ねようとしてやめる。それはあまりにも野暮ったい気がした。
「じゃあ、早速食べようぜ。おなかすいたー!」
「だめ。そこのすべて片付けてから」
そういい終えるや否や、俺のじゃない誰かの腹の虫が鳴いた。不思議に思って俺は腹を押さえるが、腹が鳴くほどの空腹感は無い。つまり。
「……先に食べてしまいましょう」
「賛成ー」
顔をあわせず鞄を持って廊下に出た、少女のたつ瞬間またいい匂いがした。わざとか、そうでないのか。それはわからない。それでも俺を誘ったって言うことは、彼女は少しだけではあるものの俺に気を許し始めたということではないのか。自然と顔がにやけて、落ち着こうと大きく深呼吸した。が、そうすると彼女の匂いが少し残っていて、それも肺の中に吸収されて、初恋なんて当の昔に終わらせたはずなのに、女とのキスだってもう何回したかわからないのに、小学生のガキみたいに、胸を高鳴らせた。
2013/01/10 oxygen
この二人の短編書きたい。5話くらいで終わる短編。
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