「知ってるよ」
「はは……、何をかな?」



「君が私のことなんて、なんとも思ってないこと」




「……ッ!」

びくっとして机から顔を上げる。……ああ、夢か。肩に掛かっている男物の上着から香る、大好きな香水の匂い。目の前には『お疲れ様』から始まるクラウスの短い手紙。そうか、今日はいつもの、お友達との勉強会の日か。

(嫌な夢だわ)

……いったい、いつから私は変わってしまったのだろう。彼が私を呼ぶ度、私は変わっていったような気がする。始めは「クリスティアーネ」。そして「クリス」へ。私も「クラウディオ先輩」。「クラウディオ」、そして「クラウス」へ。お互いの名前は簡略化していったが、それと反比例して私達の心情は複雑化していった。
いつ終わりを迎えるかわからない関係。いつ終わりを迎えても構わない関係。利用されている、という自覚はもちろんあった。自分の洞察力には自身があるから。どれだけ笑っていてもいつも困っているような、泣いているように顔を歪めている彼に、「付き合ってよ」なんて言われたそのときから、ずっと今まで私たちは騙しあっている。

「好きだよ」
「愛してる」
「ずっと一緒にいようね」

(なんて、嘘なんでしょう?)

そっと耳につけた彼と同じデザインの煌鏡板に触れる。「これは俺とお揃いだから、俺と思っていてよ。もし君が危なくなったときは、これがきっと助けてくれる。本当はこれが必要になる時なんて訪れて欲しくないけれどね」……嘘なんでしょ? 貴方は私を好いてなんていない。貴方が愛しているのはクリスじゃない。『理事長の娘』であり『フィエーロ総司令の妹』のクリスティアーネ・ビットナーなんでしょう? その肩書きを持っているなら誰でもいいんでしょう? 貴方が好きだと言ったこの香水を付けていなくても、綺麗だと言ったプラチナブロンドのこの髪じゃなくても、なんでもいいんでしょう……?

そうであってよ。

いつから嘘であって欲しいなんて思うようになったんだろう。本気で好きになったのはいつだろう。始めて手をつないだとき? キスをしたとき? それとも……。いくら問いかけても分かりはしない。わかるはずない。今も好きになる途中なのだから。私、愛も好きもわからないんだよ。お母様は私を愛してくれるけど、お父様も私を愛してくれるけど、お兄ちゃんも私を愛してくれるけど、私は誰を愛してるのかわからない。好いているかなんて、わからない。
ただ、私はここにいたい。みんなで笑っていられる、今のままでいたい。これが愛だというならそうなのだろう。わからないの。今の関係を保ちながら、君が本当に心から笑えるような世界を作れる強さが、私にあればいいのに。でも、そんなもの私にはないから、私は今日も「みんな大好きだよ」なんて嘘を吐いて逃げて。本当は愛したい。本当に愛されたい。ただそれだけのはわかってるよ! ……そう。わかってるよ。

君が本当に私を好いてくれていること。
本当に愛してくれていること。

一生、一緒にいたいこと。

でも、そんなのできるわけないことも知ってる。わかってるんだよ。生ぬるい環境を君は好く思っていないことも。違う女の子に愛を囁かれていることも。……でも私は、私たちはここにいたいから。昨日も今日も、そして明日も、知らないと嘯いて。こんな関係でもいいから、永久にこのままでいたいと。一歩間違えれば崩壊か、それとも別のなにかかの瀬戸際で、私たちは宙ぶらりんだ。そしてこれは、おそらく私たち二人の問題じゃないんだろう。私が背負っているものが余りにも大きいがゆえに。だから、

どうか、動かないでください。

そんな巫山戯たことを、私は今日もいやしない神に願うのだ。

Wachtraum(2011/08/23)
いまこの「白い昼」の対になる話。クリスは強くなんてないんだよ。
wachtraum=白昼夢[独]





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