本気じゃなかったはずの話
何も言わずに俺の顔を見て、生気の抜けた顔で知ちゃんはふらふらと何処かへ消えてしまった。暫くして俺は顔を覆い隠す。うわ、ねぇ、俺何してんの。ばかじゃないの。ねぇ、変でしょだって。はぁ、熱のこもった息を吐き出す。

「ばっかじゃねーの…」

男とキスをした。ばかじゃねーのほんと。ゆるゆると人差し指で唇をなぞった。なんていうか、うん。柔らかかった。初ちゅー男とかばかじゃねーの。可笑しいなこんなはずではなかったと頭を抱えて…まあ当然のことかと笑ってしまった。俺嫌われたかな、うわ死ぬかもていうか死にたい。泣きそうになりながら笑いが止まらなかった。

「マジか」

自覚した、絶望はしなかった。どうやら俺は一知という男が好きらしい、異性じゃなくて同性なのに、割とガチのやつで。ズドン、心臓をハンマーでぶっ叩かれた感覚だった。あれ、俺さ隣のクラスの梓紗ちゃんが気になってたはずなんだけど。意外と落ちついていたのはきっと、なんとなくわかっていたからだ。それが完全なものになった、認めた、認めてしまった。そっかぁ…力なく呟いた。

「本格的に飛雄ちゃんの敵だねぇ…」

飛雄は知ちゃんの事が大好きだ、わかりやすいくらいに、でも周りはきっと本当の意味に気づかない。だってあいつの感情は異質だからだ。飛雄は盲目的に知ちゃんが好きだ。無自覚ではない、完全に自覚している。あいつは知ちゃん以外の人間を本当の意味でいらないと思っている。俺は単なるお手本だ、あいつの中で俺はいらない人間と部類されてるだろう、いや俺以外全員。あいつの世界の人間はあいつと、知ちゃんだけだ。

あいつから知を奪えば、飛雄はひとりぼっち?

くすり、笑った。凄くたのしそう、きっと愉快だ。今だってあいつは焦っている、知ちゃんを横から掻っ攫おうとしている俺に怯えている敵視している。それがひどく面白い。我ながら性格悪いなと思う。さて、どうしてやろうか。きっと一筋縄じゃいかない、飛雄もきっと俺への対策を練り始めたところだろう。知だって、俺と距離を置くかも。いやだなぁ、それはちょっといやだ。

「あとで謝って、カミングアウトしちゃおう」

隠すつもりなどない、というか「ごめんね、冗談だったんだ!知ちゃん吃驚するかとおもってさー!」なんて口が裂けても言えない。だって本気だったから、俺は知に嘘は吐かない。うわぁ箍が外れると怖いね、なんか止まらないや。このまま部活サボって知を連れ去ってどっか行きたいけど岩ちゃんに殺されちゃうからやめよ。よし、俺は立ち上がる。部活がんばろ。あと飛雄ちゃんに宣戦布告してこよ。負ける気など更々ない。寧ろ今の時点で俺が勝ってるだろ?だって知ちゃんは飛雄の事が好きではないのだから。

「さーて、及川さんがんばちゃうよー!」

クソ川何処行ったこの野郎!
なんか地鳴りのような怒鳴り声が聞こえた。



◇ ◆ ◇



ちょっと待って、落ちつけよ僕。そうそう落ちつけ素数を
僕の頭はだいぶ混乱していた。勘違いでなければ僕は及川君とその、あれだ、うん、キスをしたんだと思う。白昼夢?ああ夢かもしれないな。なんて現実逃避をするが事実は変わらない。僕は寝ていないし正常だ、記憶障害なんてものも無い。だからもう認める外無いのだ。というかあれ、僕のファーストキスだぞ今世の。今世のファーストキスが男ってどういう事だ。しかも2度目完全に舌入ってたしね、なんなのあの子。教室に戻って自分の席に座って、バタンと倒れた。僕の頭はオーバーヒートだ、いっそテンションが高い。どうしよう今ならなんでも出来る気がする。いやだから落ちつけよ僕。

「うあー…」

生々しい感覚を思い出す。及川君のとびっきりの柔らかい笑みも思い出す、誰だよあいつ。もう別人だったんじゃないの?僕はあんな及川君知らない。
あれは、なんだったのか。
気の迷いであってほしい、でないと僕は


「…かえろ、」

もう今日は人に会いたくない、自室に籠ろう。
明日どんな事があっても死ぬ所存で行こう。




◇ ◆ ◇



「おはよう知」

俺の顔を見て知は身体を石のように固まらせた。意識してくれてるって認識でオッケー?寧ろいつも通りに挨拶返されてたら俺が折れるところだった。ゆっくり知に手を伸ばして頬に触れた、うわ、昨日も思ったけど柔らかい。頬の筋肉が引き攣ったのがわかった。俺は面白くなってちょっと笑う。


「お、いかわく」
「昨日のさぁ」

知の息が止まったのがわかった。構わず続ける。

「気の迷いでも冗談でもないからね」
「……僕男なんだけど」
「それって理由になる?言い訳にはなるけどさ」

それに良い例が君の隣に居るじゃないか、教えちゃやらないけど。するり、頬に当てた手を首にずらす。男だから、なんて言葉を言い訳になんてさせない。そんな簡単な言葉で俺の感情を否定させない。



「好きだよ知」


無機質な知の目に俺の色が映ったような気がした。停止したであろう思考に俺を捩じ込ませるように俺は知の後頭部に手を回して引き寄せた。距離はゼロ。

「ふふ、知ちゃん3度目の唇いただきー」
「お、まえ」
「知ちゃんお前とか言っちゃうんだ可愛い」

唇に指を這わせる。ねぇ俺は知ってるよ、君なんでか知らないけど人の好意受け取れないんだろ?それを真っ向から否定したい人間なんだろ?見ようとしないからわからない、あんな異常な執着を持つ飛雄の隣に居た知が、聡い知がそれに気付かないわけがないのだから。

「俺は知が好き、否定させない」
「ぼくは」
「本気だよ、嘘偽りなく俺は本気だ」
「僕は」

もう一回口を塞いで、憶えさせるように舌を這わせて口を離して。泣きそうな知を開放する。いいよ、言いたい事を言えば。俺は笑った。



「僕は君の事好きじゃない」



「知ってるよ、でも意識せざるを得なくなったでしょ?」
「…君は、何がしたいんだ?」
「んー?最終的には相思相愛な仲になりたいけど、今は取り敢えず意識だけしてくれればいいよ」

こうでもしないと知は俺を見てくれないでしょ?じっと知の瞳を見つめる。はぁ…知は目を伏せて息を吐いた。


「否定はしない。君の言う通り僕は人の好意とかそういうのを受け入れたくなかった。特にこういう真っ直ぐな感情はね」
「どうして?」
「どうしてだろうね、僕にはわからないけど」

君の想いは否定しないよ、今の僕には受け入れられないけど。
ごめんね、なんて知が謝った。



「ねぇ知、一つ教えて」
「何を?」
「君は飛雄の事好き?」
   


予想通りの言葉を聞いて、俺は笑うのだ。

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