鬨の声が上がるとともに刄の交じる音色が耳を劈き、ぱぁんと軽い音と硝煙の香りが蒼い天を焦がす。
それは深層意識の具現化に近いものがあり、それらを皮切りに精神の深い部分では同じ意識がまるで伝染病の様に周囲へと徐々に侵蝕して行き、最終的にはその場にいる大半が程度の差こそあれ同一した意識を持つ事なのだろう。
その意識とは、複雑かつ単純に絡み合う他者への支配欲であり富への金銭欲であり死への恐怖、つまりは生への渇望。
生けとし生きるものの頭上に等しく広がるはずの天は、平等を謳いながらも勝者と敗者を生み出し生者と死者の袂を分かつ。地の青は、まもなく流されるであろう紅を受け入れながら、名も知らぬ男達もまたその色で抱き留めるのだろう。平穏に満たされた眠りへ誘い、喧騒からの永遠の別れを告げさせる。耐え難い苦痛でもありあがない難い誘惑でもあるそれらは、天から与えられる褒美と地から与えられる罰であり、天から与えられる罰と地から与えられる褒美なのだろうか。
するならば、一方だけでなく双方を受け入れた者にとっては全ては等しいものなのかもしれない。



いずれにせよ、何かを手に入れんとすればそれに見合った犠牲が生まれる、つまりは天秤の左右は常に釣り合うという事だ。



刃を交えんとする相手が何を手に入れようとしているのかという点においては理解の範疇を越えていたものの、何かを求めている事は確かだった。
求めているのは財宝か名声かあるいはその双方か、――この船を落とせば双方以上のものが手に入るのだろうから愚問であるかもしれない――、それだけが誰しもを納得させる十分な理由になる。いや、理由があるだけで奇跡に近い。何故ならば私達は海賊なのだ。ただ己の欲するままに行動し、行くままに己の欲するものを探す。
両の手に抱えようとも足りないのは自由であり、死神の鎌が常に首筋を捕らえていようと捕らえきれない自由がそこに存在しているのだから。天秤で計りきれないものはこの自由ただ一つであるのかもしれない。――縛られない自由な私達が同一の意識を持つという事には矛盾が生じるやもしれないけれども、ヒトという種は残念ながらどんな形であれ関わり合わなければ生けていけないのだから、人間である限りはこの矛盾は変わらないのだろう。






目下に広がる、といえば正しくない表現になってしまうものの己と一線を画した場所で繰り広げられているのは戦闘と呼ばれるもの。刃の交じる音、硝煙が燻らす香り、ほんの数時前に始められたそれは、僅かな時間の間により一層のものへと変貌を遂げていた。久方ぶりという事もあり思惑はそれぞれ統一された意識の下、こちらとしても多少なりとも気合いの入りようが違うためかもしれない。とはいえ、わざわざ航路を外していたのもこちらなのだけれども。
売られた喧嘩を買う事もなく流せる程上品な人間はこの船にはいなかったけれども、無駄な諍いを嫌う船長の意向を尊重しているが故だ。勿論、彼の意向を尊重するには必須条件である半端なく腕の良い航海士も乗船している。
何故船長の意向を尊重する事が船舶間の争いを減らすのかと言えば、この広大な大海原にて一般的な航路から外れた場所で出会うのは、砂の海で一握の水を見つけるのと同じくらい難しい事だからだ。巨大なガレオン船でさえ人間を比較対象にするからこそ巨大である訳で、海原の広大さと比較するならば都市一つと昨夜のスープに入っていた豆粒と比較するようなもの。数多の船が時代を越え海底にて深い眠りについていようとも、海底が船に埋め尽くされない事を思い浮かべる事が出来るのならそれを想像するも容易い。


「本当に暇な様ね、わざわざ戦う暇があるんだもの」


私達がいくら無法者と呼ばれようとも海賊内にもそれなりの規律は存在しており、ましてやこのジョリーロジャーに正面向かって戦いを挑んでくる者は多くはない。神出鬼没な上に一筋縄ではいかない人材ばかりが集まったこの海賊船は、同じ海賊を含め船乗りにとっては畏怖の対象でしかないのだ。
こうして挑みかかってくる命知らずと称される者達にでさえ、もう四半時もすれば死神が待ちに待ったとばかりに鎌を振り、天の青は生者と死者の袂を分かつ事だろう。騒々しい響きが耳朶を打つとともに、特上の招待客を抱き留めんとするために飛沫を上げた地の青と同じ様に。






非戦闘員とは言わずとも誰某と向き合うつもりは毛頭なく、飛び交う鉛の間を気の向くままに闊歩していると、各々が同じく気の向くまま戦いに身を投じている様が見受けられた。複数人を相手にするのが当たり前のように戦う様は個々の戦闘能力の高さを明確に示している。多勢に無勢という言葉さえ彼らの前ではただの空論となり下がっていた。今更微々たる力が加わったところで変化する事などそうないのだろう、地に広がる青が受け止める人数が数十人増える、くらいだろうか。
良い意味であっても悪い意味であっても他者の目を引く船員達を一人二人と首を巡らして追っていくと、一人を除いて全員の姿を見つけ出す事が出来た。
戦いに参加していない、青に抱き留められた、姿の見付けられない理由はいくつも上げる事が出来るけれども、彼の人の性格からしていずれも有り得るとは言い難く、すでに敵船へと身を投じていると考えるのが一番適切であるとの結論に至る。


がしかし、果たして援護するべきなのだろうかと思案に耽っていると刀が、というよりも金属の交わる音が響くと同時に黒髪が視界に広がり、続いて黄色の丸に近い物体が視界の端を掠めた。一体誰なのかという問いは愚問であり、船員の最後の一人だ。
見つけ出せなかった彼の人は随分と付近にいたのかと自分の観察眼の甘さを密かに嘆く。彼が気配を絶つという事を造作なくこなすとはいえ、私も同じく海賊なのだ。人の気配を読む事に長けていなければいけない。まあ、いたちごっこと言ってしまえば確かにその通りなのだけれども。
それにしてもどういう風の吹き回しかと浮き雲の背を見つめれば表情の見えぬ声が私に落とされた。意外でもなく意外な音に思わず笑みが漏れるのは隠しきれずに、けれども運良く響いた発砲音に耳朶を打つ事なく笑みは融解する。

その代わりに、周囲の喧騒にも負けず彼の名前が凛と空気を震わせた。


「――恭弥、」


背ばかりを向けている彼が振り向けば、その深い双黒は恍惚にも似た喜びの色を宿している事だろう。この時を誰よりも待ちに待っていたのは、他でもない彼であるのかもしれない。好戦的な彼と穏健な船長、と全く相容れる様子がないというのに、孤高を守る彼が他者の下についている理由はこの船の付加価値が彼の戦いに対する欲求を満たすからに過ぎない。
そんな彼が、


「下がっていれば?」


そんな彼が他者に、それも私に気を掛ける日がこようとは誰が思っただろうか。
少なくとも船に乗り込む以前には想像さえ出来なかった事である。気に掛ける暇があるならば、気に障るものがあるならば躊躇する事なく誰であろうと咬み殺すのが信条だっただろうに、船上での生活は少なからず彼に影響をもたらしているようだった。さり気なく背に庇うような形を取ってくれている事に再び笑みを漏らさずにはいられず、けれども私自身に彼の行動を縛り付ける事を良しとする事も出来なかった。


「大丈夫よ、自分の身ぐらいは守れるわ」
「へぇ、言うじゃないか」


恭弥に音にする事無く感謝を述べてから、構わずに好きにして結構だと告げると、彼は了承の意味か一つ相槌の様なものを打ち、敵船へと身を踊らせた。重さを感じさせない跳躍はまるで黒猫が気の向くままに立ち行く様で、これもまた不吉な例えであるのだけれども凶兆も突き詰めていけば吉兆の現れとなるのかもしれない。黒猫の黒という色もまた希少な色であり、吉凶どちらを取るかは個人の裁量によるのだけれど。


行き掛けに敵を昏倒させていったのは彼の優しさからなのだろうか。





硝煙に溶けた潮風の香り







彼に負けてはいられないと潮風の吹く中、私もまた敵船へと身を躍らせた。
いつの日か海に身を投じる最期を恐怖のない期待をしながら。





(090417)
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