広がるのは一面の青。空は青くて海も青ければ、私の身までも青いのではないのかと錯覚してしまいそうだった。
なんて美しいのだろう、これ程までに美しい存在が他にあるだろうか。光に燦然と輝く地の青は幾度となく姿形を変え私達に恵みをもたらし、時に脅威となって襲い掛かってくる。澄み渡る天の青は、千里の彼方までを見通す事が出来ながら、目下に広がる青を抱き慈しみ、同じ青を共有する事で分かち合っている。善が悪を兼ねるのか悪が善を兼ねるのか。その両側面を持つからこそ私達を魅了して止まない存在になるのかもしれない。




そしてまた、私もそれに魅入られた愚か者の一人なのだろう。平和で日常的な場所で平穏無事に暮らす選択肢もあった。けれども、私は常に身の危険に晒される事も厭わずに「青」を選んだ。
他を捨て、ただ一つ「青」に従うために。


青、碧、蒼、紺、藍。


青を形容する名は上げれば上げる程名が増えていく。膨大な青の前に私の語彙力が追い付く訳もなく、その美しさをただ青、としか呼ぶ事が出来ない。青と呼ぶだけならば言葉が見つからなくとも想像の幅だけなら十二分に広がるから、私はこの空を海をただ青と呼びたい。ただ一言で幾百幾千の青を浮かべられるように。
青を眺めていると不意に影が差した。


「何を見ているんですか」
「例外に漏れなく青、ね」


惜しみなく降り注がれる日差しが遮られたのは、青が雲によって隠された訳ではなく人為的なもの。
甲板の手摺りにもたれていた私の背に回り、その両脇に手を伸ばしたのはよく知る人物だった。囲われる様にされてしまったけれども、面と向かい合うよりは危機感が低いからいいとするべきか。そのオッドアイは私達の吉兆か凶兆か、他者の目を引く彼が普通と同じに扱われない事は迷信深い私達には残念ながら仕方ない事で、それでも私は普通に接する事を努めた。そして、柔和な笑みの下に剥き身の鋭利な刃物が隠されている事も知っていたけれど、それさえも彼を異端視する要素にはなりえなかったから。
そもそもとして迷信を信じるならば、私の存在も海上では異端極まりないのだ。


「貴女は海が本当にお好きですね」
「正確には青、ね。鴎になれたのなら一番よかったのかもしれないわ」


そうすれば空も海もこの手に入るでしょう。

左手を頭上に伸ばしながら私は少々仰け反る様にして、彼の左目を捕らえようとした。血よりも深い紅を宿した右目も嫌いではなかったけれども、海の底へ堕ちてもまだ見れるか分からない程美しい青は私の思考を狂わせようとするのだ。染み一つない彼の頬を手を滑らせ、青い瞳を縁取るようになぞる。石膏よりも滑らかな肌は生身とは思えないと言っては可笑しいだろうか。
けれども、そう思わずにはいられない何か、魔力の様な何かが確かに彼の中に存在しているのだ。
数拍間触れていると、クフフと独特の笑いをしながら彼は私の背に頭を預けた。まるで母に愛を寄せる子供の様に、それでいて外部の敵から子供を守ろうとする母の様に。私ににそれを全て受け入れる程の度胸はなかったけれど、たった一時背を貸す事を嫌がる様な狭量の持ち主でもなかったのでそれをそのまま受け入れた。


ふわりと香るのは香水の様に洒落たものではなく血の香りなのかもしれない。そう頭に掠めるとほんの少しだけ狂気に酔った気がした。紅い瞳と同じ麻薬の様な存在。


「ねえ骸……」
「はい、何でしょう」
「私達は何故、法を犯してまで海に出ようとするのかしら」


背を通してくぐもった声が返事したので私は素直に続けた。
私は何よりも青が好きだ。
だから引かれるようにして私は志を同じくする者とともに海へと臨んだ。ただしその志というのは船出したい、そう思った事を指し、何故船出したいのかまでは聞いた事がなかった。
それはこの彼も然り。
今まで聞かなかった理由が他人に立ち入る事を各々が好まなかったからだろうか。――今ここで聞く理由というものはないけれど、あえて言うならばやはり興味といったところだろう。
彼はしばらく黙考をしてから、私の髪を梳くように手を当てながら静かに答えた。


「そうですね――、」


想いはそれぞれ、海を愛しているからかも知れません。

彼に触れられた髪がさらさらと音を立てて流れていく様は彼が触れているという事実のみでまるで絹糸の様であり、己のものであるとは到底思えない。薄汚れたものでさえ比較のしようが無い程尊いものになるのは、その存在故なのだろうか。彼の様な稀少が稀少で在らしめんとするならばまず数の上でごく僅かでなければならないというのに、彼という希少な存在はありふれたものでさえも価値を高めてしまうのか。


返答となりうる言葉は音の表情こそ平坦であれ、内実では意識が彼方へ消える事を必死に堪えなければならなかった。


「わざわざ法を犯してまで?」
「結果は変わりませんよ、」


合法、非合法であるのは人間が「法」を定めた上に存在するものであって、それに準じるために罪が生じるのです。この海の上で定められた法を守るものが海軍と呼ばれ、法に縛られないものが海賊と呼ばれる。時に悪法が存在していれば、法に縛られないものを義賊と呼んだりするのですから境界は曖昧なものですけどね。

そこで彼は言葉を切り、私の髪を梳く事を止めると同時に背から離れた。彼の熱を享受していた背は風通しがよくなり、その温度差がほんのりと哀愁を呼ぶ。何に愁いを呼ぶのかは知らないのだけれども。彼の吐息に乗せた滑らかなフレーズを情緒無く分断して、言葉を噛み締める。


「そう、ね」


それは回帰本能と言うものなのかもしれない。原始の海を抱く母の元へ還りたい、そう願う者達が近しい大海原への旅立ちを夢見てそしてそれを現実にしたものが手にする事の出来る甘さと厳しさを含む理想郷。
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