皐月のまばゆい新緑は光の囁きに身を踊らせ、風の音に耳を澄ましていた。
青い葉の擦れ合う音は晴れた蒼空から光の粒が落ちてきたのではないだろうかという思いを彷彿させる。
恵みをもたらす光の音なのか彼らが歌い合う音なのか、足下に落ちる徐々に濃くなる影を見据えながらぼんやりと考えていた。
手に持った小さな花束がゆらゆらと歩く度に揺れ、時折はらりと散って行く。
まるで花の軌跡のようだった。


そんな手の内にある花束とは別に、自然界の春を彩っていた花々はその色とりどりの花弁を散らし、その代わりに青々とした緑が背丈を伸ばしている。
それらが示すのは自然の摂理以外の何物でもなかったけれども、視覚を愉しませながら心の安息を誘うそれらを私達は捨て置く事が出来ないのだ。
季節の循環をひととせとし、月の満ち欠けを一月とし、太陽の昇降を一日とする。
そしてそれらを効率良く利用するために割り当てた年月日、曜日、時分秒。
今こそ統一されているけれども過去へ遡ればそれぞれの国が民族がそれぞれに時という観念を持ち合わせていた。
国柄、民族柄によって特徴があるもののその構造はどの地域であろうと似通っている。
それは私達にとって時というものは切っても切れない関係にあるという事だ。
花々の咲き乱れる、緑が背伸びをする、赤に黄に染め上げる、白く静かな眠りに落ちる、それらを春夏秋冬と明確に区分出来る日本という国は時よりも季節を重要視していた様に思えてならないのだけれども。


そしてその中でもまた、特別を作り記念とする日がいくつもあった。
例を出すならば、割り振られた内の一つである鮮やかな花々の咲き乱れる時期から淡い緑が顔を出し始める皐月、あくまで日本の中だけの事であるけれども一週間どころか時にはよっては二週間以上もある大型連休がある。
その要が記念日であり、一般人の休日だ。
過ぎた事を祝うよりもその瞬間を大切に扱う事を重要視するべきだろうに、しかしながら儚い命の人間にすら瞬き一つよりも短いその瞬間を祝う事は難しいらしく、その結果が一年に一度祝う結果となったという事なのだろうか。


彼の人に問えば一蹴されてしまう事だろうと分かっていて、まずそもそもとして彼の中で時という概念が古の日本の様に重要視されていないのだと知っていて、それでも繰り返す私はやはり愚かなのかもしれない。
現在における記念日を祝いながらも、いつかの始まりである過去をも思う私は。




思考をしながらも確かに歩みは続けられていた様で、気がつけば母校である並中、その屋上に立っていた。
遮るものの何もないその場所に降り注ぐ陽射しはまばゆく、一層濃い影を足元に落としている気がする。
普段ならば箱庭の様な教室の中、生徒がひしめいて勉学に勤しんでいるのだろうけれども、今日は休日で校舎内に人はいない。
他校で試合でも行われているのかグラウンドにも部活動中の生徒の姿も見えなかった。
人一人いない静けさに包まれた校舎を見て、十年前とは大違いなのだとほのかに笑みが零れた。
――休日だろうと電話一本で呼び出す委員長は並中にはもういないのだ。
マフィアなんてお伽話の様に思っていたというのに、今ではその私がマフィアであるなんて、過去の私の言葉をかりるならば殺伐としたお伽話の世界の住人だなんて、笑うに笑えない話だ。
生き延びるために身につけた身体能力とは随分なもので、屋上の背の高いフェンスさえも容易に乗り越えられるようになっているだなんて中学生だった私が想像できたとは思えない。
決して広くはないフェンスと絶壁の隙間に足を下ろせば、緩やかな薫風が髪を撫でていった。


視界に映る並盛もまた、十年前とは違った光景となっていた。
面影こそ残るもののやはりあの頃とは違う場所は、静かに思い出ばかりを蓄積している。
目まぐるしく変わり移ってゆくこの数年間は、並盛に平穏を置き忘れてきた様な気がしてならなかったけれども、いずこも変化からは逃れられなかったという事なのだろうか。
手に持っていた花束、一瞥してから空に投げれば一つに纏めていたリボンはいとも簡単に解けた。
もはや花束とは呼べない春の面影を残す花弁は風に吹かれながらも地表へと舞い散る。
光の粒が落ちてきた様な鮮やかさはないけれども、日本人の好む儚さが艶やかに視界に映る。
そこで掠めた思考は、やはり時というものよりも季節と呼ぶものを日本は慈しんできたのだろうか、というものだった。
古来の人々が年齢を数えとしてきた様に生まれた日を重要視していた訳ではない。
変わり始めたのはほんの百数十年前の事だ。
それらが何かに追い立てられるように変化していった事に比べれば、並盛の変化は些細な事なのかもしれない。



その姿を見送りながら懐かしさに目を細めていると背に声が落とされた。
あの頃よりも低い、耳に馴染んだ声。


「何をしているんだい?」
「思い出に花を添えているんです」


答えてから笑われたとしても仕方がないと思う台詞だったと思った。
普通の言葉にしてみれば詩的で、叙情感に溢れているかと言えば陳腐な言葉でしかない。
どっちつかずな状況は嫌いとは言い難かったけれども、彼への返答としては適当とは言い難かった。
それでも言わずにはいられないのだけれども。


「十年、か」


彼が紡ぐ言葉に感情が込められているという訳ではなく、ただ事実を音にしたためただけの事。
けれども僅かに含まれる余情感は捨てがたかった。
繰り返し繰り返し、そして過ぎた十年は消しされない重みを兼ね備えているからだろうか。
時の概念に当てはまろうとしない彼であっても十年は長かったからだろうか。
花を見送ってから、フェンスを隔てて立つ彼との距離を縮めようとフェンスに手を掛けると、力を入れてもいないはずがフェンスが軋んだ。
広がる黒い視界に先を越されてしまったのかと思ったけれども、彼と同じ事を思っていたのかとも再び口元が緩む。
けれども締まりのない顔をしているだろうと自覚したままそれを隠す訳でもなく、スーツ姿の彼を見上げた。
毎年繰り返される問い掛け、半ば儀式化したそれは、過去を祝うだけでなく未来をも繋いでいく。
愚問が愚問であり得ないというのならそれでもいい。


「――これからも傍に置いていただけますか?」
「手離す気は更々ないよ」


肯定の意で答えた彼の言葉に、おおよその予測が出来ていたというのに口元の緩みのみならず頬が紅潮したのは、思いも寄らぬ彼の笑みを見てしまったからだろうか。
引き寄せられて収まった彼の腕の中が暖かく、心も同じく暖まるのを感じた。
始まりの瞬間だけを祝っていたのならばこうして共に祝えなかったのだろうから、記念日も悪くないと思ってしまった今日。


「誕生日おめでとうございます、恭弥」


来年もこの場所で貴方と共にいたいと願いながら、幾度目かも分からぬ彼の誕生日を祝った。





未来に永久を求めて
(来年も十年後もずっと傍に)






Happy Birthday! Kyoya!

(090505)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -