休暇をもらったある日、何をするでもなく青空の下を歩いていた。
歩く度に胸に針が入ったような痛みを感じずにはいられなかったのだけれども、それは敢えて気付かないふりをする。
忘れてしまいたいというのが本音なのかもしれないけれども、忘れる事など出来はしないので、屈強な箱へその思いを封じ込め、厳重に鍵を付けて無理矢理心の奥底に沈めるのだ。
あわよくば二度と日の目を見る事がないようにと願いながら。





どうやって休暇を潰そうかと考えながら歩いていたところ、突然顔に鈍い痛みを受けた。
前を見ていたはずだと言うのに、意識ここにあらずだった為にか誰かにぶつかってしまったようで、しかし謝罪をしようとして顔を上げた瞬間、謝罪の言葉と己の表情が消えたのを理解した。
全身から血の気が引いたと表現してもあながち間違いではないかと思う。


「ひ、ばりさん――」
「へぇ、普通じゃないか」


いきなり言われたのは主語も何もない言葉。
だけれども、何が、という言葉を発さなくとも彼の言いたい事は分かっており、分かってしまったために目を合わせられなくなり思わず俯いた。
何故彼はわざわざこんなところまでやってきたのだろうか。
あまりにも聡い彼の事だから全てを知っていて言っているに違いない。
ならば放っておいてくれれば良いのに、――私の中で彼に対してあるまじき思考が生まれるとは、私は相当弱っているらしかった。





往来の真ん中で立ち止まっている事を迷惑と考えたのか、群れの中にこれ以上いる事が堪えられないからか、――間違いなく後者なのだろう――、彼は私を促して人通りの少ない場所にまで移動をした。
晴れていた空に厚い雲が広がり、陽が遮られて辺りが若干暗くなる。
空が私に呼応したのか、空に私に呼応したのか、いずれにしてもこれで雨でも降り始めたら私の心情をそのまま写し取った様になるに違いない。


彼を含めた仕事に関連する人間に合わない為にわざわざ外出したと言うのに、ああ、鍵を掛けたはずの思考が音を立ててあっさりと開錠され、思考と記憶があふれてくる。
広がる悲鳴、増える負傷者。
何重にもなって響く自身の声、“撤退”の二文字。
後で知らされたのは敵による情報の改竄。
全滅してもおかしくはない中、負傷者だけで済んだのは奇跡的な事だ、苦況の中でよくやってくれたと言ったのはボスとアルコバレーノ。


もう、どうして――。


「皆が君の手腕を讃えていたよ」


遠く離れた地にいたのにも関わらず、その風評は僕の耳にも入ってくる程に。
同時に不可解な休暇を与えられていて何があったのか、ともね。


――まるで追討ちをかけられた気分。


その言葉を聞いてあまりにも哀しくなり、彼に目を合わせないまま私は下唇を強く噛んだ。
口の中に鉄の味が広がり、不快感を生むのだけれども、これ以上惨めな気持ちになるくらいならば気になる訳がない。
視界が滲む事なんて知らない、知りたくもない。


「――そんな事を言いにこられたんですか」


何故誰も私を責めないのだろう。
完璧主義等とは決して言わない。
しかし例え情報の改竄が行われていたとしても、任務の成否で言えば否であり、ボンゴレは痛手を受けたはずだった。
それなのに負傷した部下でさえ、私に向かって感謝を述べてきたのだ。
だから私は休暇をもらってあそこから出た。
堪え難い程哀しい痛みが胸を襲い、泣けない涙が零れる。
あの場にいて誉め讃えられる言葉なんて胸を抉る刄でしかなく、感謝の言葉なんて、罵声を浴びせられる方が余程楽なのに。


「違うよ。僕の部下だと言うのに任務に失敗した草食動物を咬み殺しにきたんだ」


役立たずはいらないからね、と薄暗い中でも鈍く妖しく光るトンファーが私の前でちらつく。
獲物を前にして血を求めて疼くようなそれに普段ならば畏怖を覚えるのだろう。
けれども今の私にはそれは救いで。
ただ何も言わずに、外せない、ではなく視線を外さずに私は彼を見た。
ああ、自らを罰せられない心の弱さが招いた罪で、それを彼に押しつける事で逃げようとしているのだ。
彼の手を煩わせない為にこの世界へと足を踏み入れたと言うのに、ただ自分の為を思うなんて何というエゴなのだろうか。
自分の醜さに嫌気がさして堪らない。


けれどもトンファーが振りかざされようとしているのを見て、私は彼に笑みを向けていた。
ありがとう?
否、ごめんなさい。


「抵抗しないのかい?」
「私が今更ですか?」
「――弱った草食動物を咬み殺す事程つまらないものはないんだけど」


私にはもったいなさすぎる幕切れだな、と思っていたのも束の間、彼は何故かトンファーを消し去ってしまった。
手を掛ける程の価値もなかったのだろうか、確かに彼の闘争心を満たせる程の強さなど持ってはいないのだけれども、それでも私は望んだ終焉を迎える事も出来ないのか。
それは私にとって彼の下にはいられないと言われているのと同義で。
どうにか自分を叱咤して任務へ戻ろうと思っていたけれども、彼の傍にいられないのなら私の居場所なんてどこにもないのと同じなのだ。


「ねぇ。勘違いしているみたいだけど、」


しかしそれもまた彼によっていとも簡単に握り潰された。
トンファーを握っていたその手で私の顎を取り、何が起こるのかも分からぬまま口付けされたのだ。
瞬きの一つでもしたならば零れてしまうだろう程に瞳に雫がたまり、私の瞳は雰囲気にそぐわない程見開かれている。


「君のそれは逃げでしかない」
「――知ってます」
「分かってないね」


乱れた呼吸の合間から必死に声を絞りだして彼に意を伝えるも、あっさりと否定をされる。
それは私がどう答えるのかなんてとうに分かっていたかのような言い方。


「分かっていると言うなら、何で逃げ出したんだい?」


堪えられなかったからなんて言い訳になる訳ないって知ってるよね。
それを逃げてるって言うんだ。
その歯に衣着せぬ物言いは、今までのどの言葉よりも胸に刺さる。
ただ、それが事実であるためにそう感じるのだと言う事も頭のどこかでは理解していた。
例え彼の言葉であっても、事実無根の中傷の様なものであればこうも苦しく思う事はないのだから。


「挽回する機会なんていくらでもあるでしょ」


そして、そうして逃げ出そうとした愚かな私に彼は機会を与えようとまでするのだ。
その手で落とすところまで落として、それでいて浮上する機会まで与える。
それは彼の残酷で、そして偽りの様な優しさなのだろう。

果たして私が縋り付いていいものなのだろうか。

答えあぐねていたら、彼は答えに選択肢はいらないとばかりに他を切り捨てさせた。


「第一僕の部下なんだから、出来ないとは言わせないよ」


そう言われては私に答えられるものなんて一つしかない。
首を振った為に落ちた雫は静かに地へと消えた。





力なく首を縦に振った
(逃げるのでは向き合うために)





(090425)
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