目覚めとは恍惚を謳う程美しいものであり目も当てられぬ程残酷なものである、と相反する主題を持ち込むことは多々ある。
総ての事象には様々な側面が存在するがために生まれる矛盾を幾らばかりか軽減させる事を望んでいるとでもいえば形になり得るかもしれなかったが、日和見の精神が根付いているという事が正しい解答なのだろう。


己が戦うための剣であり守るための盾である意志はもちろん手の中に存在していたけれども、それをかざし続ける事が出来たのは世界を知らなかった在りし日まで。
自我を振り回したところで解決しない事を学び、世界が自分の存在を認めなかったとしても影響は万が一にもないと知ってしまったからだ。
増え続ける六十億人の内、たかが一人が世界から姿を消そうとも六十億人が一斉に号泣する訳も太陽系から太陽が忽然と消滅する訳もなく、ただ変わらない。
そもそも人が一人世界から消える度に六十億人が泣いていたのなら二十四時間三百六十五日涙を流さない時はありえず、世界は地球温暖化を待たずして海水面の上昇により水没してしまうに違いない。
涙によって世界を水葬して、そしてまた泣くのかもしれない。
例えそうであってもその一員になるのは遠慮申し上げたいところだけれど。



ともあれ、目覚めとは生者のみが手に入れる事の出来る貴重な響きであり、言葉を逆手に取るならば死者には決して手に入れる事の出来ない残酷な音でもある。
朝日の差し込む中鮮やかな小鳥の歌声に誘われる心地よさ、雨垂れに打ち付ける雨音ばかりが響く静寂さ、一般的な日常からかけ離れた生活を送っているとはいえ、こればかりは誰しも変わらぬはずのもの。
張り詰めた雰囲気を和らげ休息の一時を与えるのは眠りばかりではないのだと知り、その後に待ち受けるものが日常と何ら変わりなくとも世界が一変する程の激流に見舞われようとも、昨夜までがリセットされ始まった新たな日に感謝しなくてはならないのだ。
神に祈るヒットマンなどと言えば滑稽な事この上ないけれども、目覚めに感謝している私も似たようなものか。








不意にかたんと手に掛けた椅子から閑寂とした空間に音が響いた。
四方八方に反射して返ってくる音は一層の閑寂を引き連れて、そして霧散していく。
その椅子に腰掛けた頃には、ただ静かだった空間はもの悲しさを訴える場に変わっていた。
静寂を生み出すのは無音の状態ではなく、音の去った後の状態なのだとまるで私に教え込むかのように。
知りたくもないと思えば思う程深く頭に刻み込まれるのだから、なんて質が悪いのだろう。
忘却の渦に呑まれたくないと思うもの程手から零れ落ちていってしまうというのに。


そんな思考に瞳を細め、向かいで静かに眠り続けている彼を見据えた。
白いシーツに皺を寄せ、その中央で愁いも知らぬ顔でただ眠っている。
深く黒い瞳は長い睫に縁取られた瞼により閉ざされており、何かを映す気配はない。
彼には似合わないと言っていい程無防備なその眠りは目覚めを待ち続けているのだろうか。
彼が目覚めに対してどの様な思いを抱いているのかは分からないのだけれど。




その傍らに置いてあるボルサリーノに手を伸ばし、そっと持ち上げて視界に入れる。
彼の愛用するそれは、彼が死線を越えた数だけ歴史を刻み込んでいる筈だというのに、傷んだ箇所もなく随分と綺麗だった。
手に取った時と同じ様にそっと頭に被せると、少し大きめのボルサリーノは私の表情を覆い隠し、追って彼の香りが包み込む。
それは嫌な事があった時に深く被る彼の癖のようだとどこかでそう思った。


彼は目覚めを経てその憂いを引きずる事なく歩む事が出来るのだろうか。
もしもそうなのだとしたら憂いを置いてくる事の可能な目覚めに感謝するのだろうか、それとも憂いを昨日に置いてくる事を残酷に思うのだろうか。
目覚めの多面性は彼にどの面を向け、彼はどの面を掴み取るのだろうか。


一体どのような想いになるのかと彼に問いかけようとして、








お休みなさいとは決して言えず







眠っていた筈の彼がいない事を思い出した。


シーツは糊が利いたままで皺の一つも見当たらず、主が横たわるのを今も待ち続けている。
至る所に彼の息遣いが残っているというのにこの空間の中で呼吸をしているのは私だけ。
ボルサリーノに傷は見当たらないけれども、彼の頂きに添えられる事はもう決してあり得ず、うっすらと埃を被っている。


彼はもういないのだと現実は残酷に私の目を覚ましたのだ。


「おはよう。もう朝よ、リボーン――」


ボルサリーノに表情を隠して喉を震わせて出た音には涙が混ざり、静かにシーツの海に落ちた。




(だって信じられない)
(誰か嘘と言って)






(090405)
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