音もなく空間を黒く塗り潰す姿は残酷なまでに美しい。
この世で最も殺傷能力の高いものは鉛を吐き出す黒い鉄でも白く輝く刃でもなく、彼の手の中で紅に濡れる武器でもなく、彼自身ではないのだろうか。

手を下さなくともこの手の中でトリガーが引かれる瞬間を待機している鉄は、その期待に応えられる事無く片が付いてしまう事を容易に推測させた。
気を抜く事は決してあり得ないけれども、根拠のない奇妙な安堵に心が満たされていくのもまた事実。
密閉したとはいわないけれども空気の流れが停滞したその空間は、ただ一人によって支配されていた。
空間の中央に立ち尽くすのは絶対的な支配者であり、その秀麗なかんばせと男性にしてはすらりとした体躯は一見する限り、その強さを見て取る事は難しいだろう。
しかし外見に反して計り知れない力を持っており、その足元で崩れ落ちている巨漢さえも赤子を捻り潰すよりも簡単に叩きのめした。
もっとも赤子といえばマフィア界では、最強の赤ん坊であるアルコバレーノを推測させるに容易いので例えとしては不向きなのだろうけれども。
学生時代からの彼の興味の対象もその一人に向いている。





「もう終わりなのかい?」


つまらなそうにトンファーを振り抜けば、彩っていた紅はいとも簡単にそれから離れる。
その武器に昏倒させられた男達からの応えは当然ある訳がなく、同時に任務の終了を告げていた。
この場に潜入をしてから一時経ったかも分からない程簡潔かつ迅速に終えられたのは他でもない彼のその強さ故の事なのだけれども、たった一つだけ疑問が存在していた。
――今回の任務はペアでもなければ彼の単独でもない、私の単独任務だったはずなのだ。
財団の任務はならばまだしも今回の任務はボンゴレの任務であり、他者の下に付く事を嫌う彼にしてみれば珍しい事この上なく疑問は尽きない。
感謝をするべきなのか触れないべきなのか彼に関わる言動を選ぶのは非常に難しく、彼が歩みを寄せてくる事にも気付かずに鉄を握り締めたまま意識は内側に向いていた。


次の瞬間耳元で自分の名を囁かれ、心は悲鳴を上げる。
それ程の接近を許してもなお気付かなかったのは己の集中力の散漫を第一に、彼の行動である事も関係しているのだろう。
意識よりも本能が彼に対して危機感を抱こうとしないのだ。


「ねぇ柚羽」
「は、い――」


普段では考えられない距離に、その二つの漆黒と視線が交わらない事を願いながら顔を上げなくとも視界に入り込んでくる彼のスーツのどこかに瞳を泳がせる。
今彼の瞳を覗き込んでしまっては私は愚かしい自殺願望を彼に伝えかねないのだ。

彼に、雲雀恭弥によってもたらされる甘美な終焉。

それは一点の曇りもないどこまでも広がる澄み渡った蒼穹を眺めた時に感じる感覚と類似しているのだろうか。
漆黒の瞳に抱かれて死ねたのなら地獄に堕ちようとも悔いはないと思える私は相当彼に傾倒していた、――まあ今更の話であるのだけれど。


「この任務、ボンゴレと交わした規定違反じゃないのかい」


視線が交じり合わない限りは絹糸よりも細いとはいえども存在する理性と感情に決定打を与える事はなかったのだけれども、己の肩が小さく震えたのを確かに感じた。
彼の不可解な原因の理由は全てこれだったのだと不可解な行動の意味を一瞬にして解する事になる。
怒気を含みながらもどこか無感情な彼の声には静かに背筋が伸び、しまう事も忘れていた黒い鉄は両の手でしっかりとホールドされながらも力なさげに地を向く。
彼の言葉に何かしらの返答をしなければいけないと思考が言葉を探しだそうとしても、喉にせり上がってくるのは到底彼を納得させられないような言い訳ばかり。
それでも答えずにいられない喉は、その中からいくつか言葉を選び、愚かにも音にしてしまった。


「私以外に機密を扱える部下がいなかったんです」


彼の下へ付く事はそれだけで私という人柄や能力がどうであろうと、ボンゴレの機密を扱う立場に立たされてしまう。
彼のスケジュールを調整一つするだけで雲の守護者というボンゴレ幹部の機密に触れてしまうのだ。
けれども、だからこそ機密を扱える人間は少なくそれを担う人間の責任は大きい。
とにかくも今回の任務はそういう類のものであり、事情に事情が重なった結果引き受ける事になったのだけれども、


「だからといって規定を破る理由にはならない」


能のない草食動物ばかり集めた責も、使える人材が不足している責も全てはボンゴレが背負うべきものなのだと。

そしてその言葉は私をも戒める。

規定を遵守しない事で不利益を被るのは私ではなくボンゴレ側。
いくつかの要素が辛うじて雲雀恭弥とボンゴレの繋がりを保たせているというのに、その一つを断ち切ろうとした事と同義なのだと。
長い目でものを見たならば小さな案件に捕らわれる事なく関係を保つ事こそが必要だったのだと。


「分かっているのかい?」


彼の存在自体が私を殺す鋭利な刃物であると、ごく至近距離にいる事自体が私を狂わせる麻薬であるというのに、意図的に彼が視線を合わせれば私は呼吸を忘れてしまう。
享受するのは酸素ではなく彼の漆黒の瞳。
息絶えるその時までその瞳を見ていたとしても後悔はないのだと思考は彼の訓辞をすでに忘れかけているというのに、それを彼は知っている筈だというのに、瞳を外さない。
銀が煌めきながら軌跡を描いてもおかしくはないというのに、それが現れる気配もない。


そこに含まれた意は何だというのか。
それは――


「――いいんですか」


規定違反、ひいては財団とボンゴレの規定破棄には至らないという事と受け取っても。
声は意味もなく震えていたけれども、視線を外せる訳もなくただ前を見据えた。
手からは鉄が重たい音を立てて離れていく。


「今回だけだ」


浮き雲の意志がどこに存在しているのか私には到底計り知れないのだけれども、彼が今回の任務遂行に関わった事で違反とは見做さないとの事なのだろうか。
ただ一言、他に説明もなくそれだけを告げた彼の言葉からは怒気は感じられず、彼のかんばせが視界を遮るのに合わせて瞳を閉じた。




死を望んで自ら飲み下す





今更思い出す事があるとすれば秘匿された任務の筈だったという事だけだ。
任務の性質からも規定違反される事からも秘匿されるべきものだった。
彼が同行した事に何の疑問も抱かず、更にそれが彼の行動一つで意識の片隅へと追いやってしまうのだから私は自分に対して学ばなければいけないのかもしれない、怖れる一方で終焉を望んでもいる矛盾から逃れられない限り難しいと分かっていても。




(それは逃れられない誘い)
(それは贖いがたい惑い)






(090326)
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