僕の嫌いなものは数多くある。
並盛の風紀を汚す、世の中の大半を締める草食動物は弱いくせに群れるから不愉快で、――まぁ、さっさと咬み殺して視界から消してしまえば風紀も守られるし不快感も消えるのだけれど。
それに奇妙な笑い方をする幻術使いは最悪で、どうにも這いつくばらせたくなり、だけれどもその幻術でのらりくらりと逃げ続けてなかなか決着を付けさせないのだから益々苛立ちが増していく訳だ。
今では術師を見る事すら不愉快になるのだから、この嫌悪感は相当なものだろう。

じゃあ嫌いなものが多いのなら好きなものも多いのかと言えば、そんな事は決してなく、僕に興味を持たせるものは少ない。
僕の愛する並盛がまず第一に、匣に赤ん坊、それに沢田綱吉も僕を飽きさせる事を知らずなかなかおもしろい。
だけれどそれくらいだろうか、少ないと思うかもしれないが十年間という歳月はこれでも楽しませてくれるものを増やしたのだ。
まぁ僕の知るものの大体がこの二つに分類される訳なのだが、ごくまれに例外がある。



楽しませてくれる様な強さなんてものは持っていない、いとも簡単にトンファーの餌食になる様な草食動物のくせに、任務の成功率はかなり高い水準を誇っていて、書類の整理も中学時代からのキャリアが手伝ってほぼ完璧。
いつの間にか僕の後ろと言わず横に立つ様になっていた彼女は唯一とも言って良い程の例外だった。


「恭弥――」


その黒く長い艶やかな髪に、流されそうな惑う色を宿しているのに折れない意志を持つ瞳に苛立ちを覚えるのは何故だろうか。
紅い唇に、その口からいつからか呼ぶ事を許していた名を呼ばれる事に何かが背を駆け抜けるような感覚を味わう様になったのは何時からだったか。

――この狂気に満ちた思いを一体なんだと言うのか。


「ねぇ、咬み殺してもいい?」
「貴方になら」


ただその前にこの書類は片付けさせて頂きたいわ、とやんわりと付け加える彼女。
決して群れない草食動物は、静かに書面に目を通してから手慣れた手つきで素早く片付けていく。
山と称してもおかしくない程の書類が日々彼女の下へ集まるというのに、それら全てを日が昇り切る前に片付けてしまう、誰もが感嘆の声を上げるその手腕はこうして行われるのかと柄にもなく魅入っている僕がいた。
草食動物の言う事に耳を傾けている時点でもう何かがおかしいのかもしれない、否、おかしいのだろう。
たった一つ狂った歯車は、他を巻き込み、巻き込まれた歯車はまた他を巻き込んで行き、とうとう全てを狂わせてしまうのだ。


「柚羽」
「何ですか?」


狂った歯車は君だと、全てを狂わせたのは君だと言いたかったけれど、その歯車を取り付けたのは僕で、要するに僕を狂わせたのは僕であると言う認めがたい真実。
十年前に還り、全てをやり直せたのならば、何かは変わるのだろうか。
いいや、きっと変わらないのだ、僕は君を決して手放す事など出来はしない。
だからこそ、その瞳に、音を紡ぐ唇に、君に苛立ちを覚えるのだ。


「咬み殺してもいい?」
「恭弥、貴方になら――」


真直ぐな瞳を僕に向けながら答えるのは、先程と変わらぬつまらないものであるはずなのに、今度は口の端が上がるのを感じて気分が高揚した。
その高揚した気分のまま、椅子に座っていた彼女の白い腕を引き、足の長い絨毯を引いてある床に押し倒してその喉元にトンファーを当てれば、彼女の生殺与奪権は僕の手の中にいとも簡単に収まる。
ここで泣いたり声を上げたりするなら彼女をつまらない草食動物に分ける事が出来るというのに、黒い髪を床に広げた君は、ただもの哀しげな表情を僕ではなく、その先である天井、もしくは遥か遠く天に目を向けていた。
それを見てしまえば、彼女の視線を向けようしたくなる。
トンファーに力を入れたくなる衝動を無理矢理に抑えつけ、再び口を開こうとしたところ、君は僕に視線を合わせないまま先に音を紡いだ。


「貴方によってもたらされるのなら、例え死でも私は受け入れるわ」


緩やかに笑う口元は世界の裏側なんて見た事もないと、ただ白い無垢な世界しか知らないと言いたそうであるというのに、深い闇の中鉄を片手に誰よりも艶やかに舞い、十年という短い歳月で汚れた世界を誰よりも知り尽くしている。
暗がりに足を踏み入れた瞬間、――最初こそ嫌悪する気持ちはあったのかもしれないが――、彼女はその身を闇に溶かし、そして手を赤に染める事も厭わなくなった。
堕ちる言葉はその中に身を落としたからこそ奏でる事が出来るのだ。


「へぇ、そうなんだ」
「そうよ」


じゃあ何故僕を見ない?
終焉すら甘美なるものになると言うのは君なのに何故僕を見ない?
それを与える相手に焦がれやまないと言うのならば、堕ちる言葉と共に身をも落とせば良いじゃないか。
それなのにいつまで経っても君は自由なまま。
十年という年月は君を拘束するに至らなかったらしく、そして僕を捕らえるには十分すぎる時間だったらしい。
高揚した気分が下がる事はなかったけれども、僕を映さない瞳をこれ以上一方的に追う事等など出来はしなかった。


「柚羽――」


彼女の喉元にあったトンファーを消し去り、代わりに貪るように君にキスをする。
唇だけは決して逃がさない、いくら君が自由であったとしてもこれだけは僕のものだ。
狂った歯車は今日も他を狂わせ、そして全てを狂わせていく。





愛しと叫ぶ己が心に
(強さであり弱さであり)(僕は君を求める)





(081125)
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テーマ「人外ファンタジー」
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