遠き地にて花薫る
奴良組百鬼夜行は今夜京入りしたばかりであり、先の抗争は各地で名を馳せた奴良組を京の地でもまた知らしめんとする為のものであった。京に住まう妖怪へ力量の差を見せ付けた今宵の出来事は、夜明けを待たずして広まるに違いない。噂が転じて畏れとなれば、奴良組はまた一歩高みへと近付くだろう。
周囲の心中を知ってか知らずか、琳とぬらりひょんは未だ月影の下で言葉を交わし続けていた。その姿は艶めかしい逢瀬を彷彿させるも彼らの間にその気配はなく、視線を絡め合わせながら言の葉の応酬は続く。
「そんなことより……依代を離れて随分となるが主の身は平気なのか?」
「――京は気に満ちた土地でありますれば」
肌に感じる気にうっそりと微笑みながら、琳はぬらりひょんの問いに云うた。恍惚としたその表情とは、ぬらりひょんには決して感じることの出来ぬ感情の表れであった。
――琳は精霊と呼ばれる、人や妖とはまた似て非なる存在である。
例えば、妖は畏れ≠ネるものを身に纏いて他者と刃を交え、また他者を惹き付ける。一際大きな畏れを纏う者は、その畏れに惹き付けられた者達を率いて、やがて百鬼夜行を織り成す。百鬼に加わらぬ者もまた存在するが、妖の存在とは百鬼に加わってこそ、その強さを最大限に引き出すことの出来る、謂わば群れに適した存在。
しかし、精霊とは畏れ≠持つことも無ければ、群れることに意味も持たなかった。自然の移ろいがままに時を過ごす、俗世とは半ば切り離された存在であり、本来ならば百鬼夜行に加わることなど到底有り得ない。琳の存在は例外中の例外だった。
何故、精霊である琳が百鬼夜行に加わったのかといえば、その依代が存在する土地に起因する。依代とは精霊がその身を具現するに必要な力を持つ樹木や火、水といった自然の要素。琳の場合、奴良組本家宅にある枝垂れ桜を依代としていた。ここまで知ればこれ以上のことは必要はないだろう。桜が先であったか、妖が先であったか、それを知るのは当人達以外にいない。
たれひとりとして確かな樹齢を知る者も無い、樹齢五百年とも千年とも言われる桜木は、奴良組黎明の時より百鬼夜行を支えてきた。ただそれだけが紛うことのない事実として今の世に在る。
「京と江戸の地は遠い。無理はせぬことじゃ」
「あれ、お前様をお諫めしておりましたのに、私が諫められてしまいますとは」
琳は緩やかに笑うが、本来、精霊は存在に絶対的必要性を持つ依代と遠く離れることが出来ない。依代を離れた精霊は徐々に力を失い、力を失った精霊は大気に還る。それは人や妖と大して変わらぬ精霊の死だった。
奴良組の本拠地は、京から遠く離れた江戸にある。ぬらりひょんの懸念は至極当然のことであり、その気遣いに琳はただただ微笑んだ。
(120211)
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