ひふみのさくら


 一つ、桜の花ひらが散る。


「其処を退け、琳!」


 声音が耳朶を震わせるが先か、慣れた妖気の正体を知るが先か。おとがいに触れていた羽衣狐の左頬に強い陽気を当てると、羽衣狐が怯んだ隙に娘はそこを飛び退いた。
 一方、琳と入れ違うように突き出したぬらりひょんの刃は羽衣狐には届かない。数多の刃が一撃を遮り、数多の京妖怪の眼差しが闖入者へ向けられる。ぬらりひょんは笑みを隠さぬまま舌打ちした。


「お前様!」


 退いた筈の娘から鋭い一声が飛ぶ。同時にぬらりひょんを凱郎太の金棒が襲った。寸でのところで守勢に回るが、苛烈な一撃から身の全てを防ぐことは叶う筈もなく。


「何奴じゃ!!」


 凱郎太の剣圧に耐えきれず男の着物が裂け、地肌が垣間見える。否、垣間見えるは地肌を覆い尽くす数多の妖と観音菩薩、そして舞い散る桜。誰が墨を入れたかも知れぬ画は見る者を圧倒させる迫力を持っていた。
 正体見たりと羽衣狐が一つ音を漏らす。

 二つ、桜の花ひらが散る。


「――ヤクザ者か」


 ふわり、と琳は音もなくぬらりひょんの隣≠ヨと降り立った。それが当然であると、在るべき姿であるというように娘と男の並び立つ姿に違和感はない。男もまた気にかけることなく、目前に聳え立つ京妖怪の大将たる羽衣狐のみを見据えていた。


「ワシは奴良組総大将ぬらりひょん。桜は一枝足りともやることは出来ねぇ。わりいが連れて帰るぜ」


 茫然と見やる珱姫とは対照的に、羽衣狐はまるで気狂いを見たかのようにぬらりひょんを見下した。羽衣狐に、京妖怪にとって人の子とは餌でこそあれ、己が命を掛けてまで救うなぞ有り得ない。姫もまた異能を持つが故に他の人の子とは一線を画しているものの、有事とならば打ち捨てることにも異存はなかったのだ。


「異な事をする奴じゃ。血迷うたはぐれ鼠か何かか……!?」


 ――羽衣狐が問うと同時に激しい物音がした。四方の壁を打ち破り、身を乗り出しながら我こそはと中へ入り急がんとするのは人ならざるもの達。羽衣狐に従う京妖怪とは似て非なる、江戸の妖。慕うは総大将ぬらりひょんと、その横に添えて咲く花、桜宮。


「なんだ……。来たのか、てめーら」
「まあまあ、皆様お揃いなさって……」


 ぬらりひょんの呆れた声に琳の笑い声が重なった。

 三つ、桜の花ひらが散る。
 そして花ひらは妖達の上へ降り注ぐ。





(130808)

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