「もみぢのにしき」の続編。





秋も深まり、上田の城もお館様と同じ紅に染まる頃のことだった。上田にて鍛錬をしている最中、お館様に火急の用件があると告げられ、佐助と共に躑躅ヶ崎館を訪れた。まもなく訪れるだろう冬を前に新たな戦の気配はなく、しかし火急であるといえば新たな戦の火種がないとは言い切れない。お館様の宿敵である上杉謙信殿が動かれたか、はたまた奥州の独眼竜殿が甲斐に攻め入ろうとしているか。何れにせよ、お館様を脅かす者は何人たりともこの幸村が排除して見せよう。そう意気込み、お館様の御前にて深く頭を下げ、その沙汰を待っていた。


しかしながら、その用件とは何とも奇妙なものであった。


「……末の姫君でございまするか」
「そうじゃ、幸村。うぬしとは年も近い故、あれの話し相手となってはやれぬか」


つい先日まで、武田の末の姫君といえば松姫を指す言葉だったが、話を聞く限りではそうではないらしい。もう一人、武田の正統な血を引く姫君がおられるとお館様は仰せになられた。そしてこの度、正式に武田の末姫として迎え入れられるのだという。


何故ゆえ十を優に越えた姫君が今更ながら甲斐へ迎え入れられることになったのか。
それはその姫君は御生誕なさるや否やお命を狙われていたからなのだとお館様は仰った。そしてその魔の手から逃れる為、お館様の室、つまり姫君の母君の手によって甲斐を出奔されていたのだと。時過ぎて安全が確保されたのならば、再び甲斐に迎え入れられる筈であったが、しかしそれが叶うことはなかった。何故ならば、その間に母君が亡くなられてしまい、姫君の行方は忍を持ってしても知れぬようになってしまったのだ。


お館様は姫君の行方を懸命に探し続けた。そして姫君が再び見つかったのは、御生誕から十もの歳月が経った後のことだった。
新たに躑躅ヶ崎館に迎え入れたとしても、流れ去った年月が返ってくる訳ではない。今まで身分を知らずにいた姫君が、突然高貴な身分であると知って、数多のしきたりに縛られた武家に迎え入れられたとして、幸福に生きることが果たして出来るのであろうか。好いた男に嫁ぐことも出来ず、時に敵方に人質として送られることもあるやもしれない。もしも姫君が生まれながら人の上に立つ者として育てられていれば、それを責任と呼び義務と呼ぶことも出来るだろう。けれどもそのように育てられたことのない姫君に突然その責を負わせることが果たして適当なのか。


――伴わずとも良い責を負わせるくらいならば、地下人として暮らす方が良いのではないか。


そのように考えられたお館様は、姫君を躑躅ヶ崎館へ迎え入れることを断念した。親心としてか不自由ない生活を陰ながら約束してはいたものの、武田の姫と認めることは一生涯無いだろうと、心中で深く重いものを抱えながらお館様はそう決断なされた。


「しかしお館様……。そのようにお考えになられながら何故ゆえにこの幸村に申されるのでしょう」


某にはそれが甚だ疑問であった。その言葉通りであれば、姫君の所在を探し当てたのは今から五年以上も昔の話である。つまりはお館様が決心なされたのもまた五年以上も昔のことであり、その間姫君は武家とは関わりのない場で生きてこられたに違いない。そのような意を覆すまでには些か長い歳月を経ていながら、知将と謳われるお館様はどのような考えをされたのか。


そう問えば、思案するように細められた瞳の鈍い光が某を捕らえた。戦場にて見せる苛烈は覇気こそないものの、深い智を湛える瞳に某の姿が映り込む。お館様の瞳に某はどのように映るのだろうかと脳裏に思い浮かんだ時、お館様は顎髭を撫で付けながらゆうるりと言葉を紡がれた。


「考えを改めたのだ。――此処で理由は言わぬ、接してみれば自ずと分かることもあろう」


それきり口を閉ざされたお館様を前に、これ以上の言葉は必要とされず、ただ深く頭を下げその場を退出した。



***



「で、旦那。そのお姫様にどうするつもり?」
「うむむ」


お館様から一任されたものの、行動するに当たっていくつもの問題が積み重ねられていた。まず、幼き頃から鍛錬にばかり身を投じていた故の弊害か、某には年頃の娘御が好むものなどはどうにも分からなかった。風の前にさえ折れてしまいそうな細い身体の内に何を宿しているかは分からない。この戦国乱世ですら、某の見ているものと同じであるものである保障はないのだ。姫君が好むものなど、経験のない某には到底分かるはずもない。
そして、武家を知らぬ姫君に対して何をして差し上げることが誠に相応しいのか皆目見当も付かなかった。


「佐助はどう思うでござる」
「まあ、大将の姫さんに贈り物というのも微妙だからねぇ」


佐助曰わく、姫君は慎ましく暮らしていらっしゃるとのこと。御自身が武田の姫であると知った後も自らが多くを望むことはなく、父君であるお館様と時折文のやりとりをしながら、静かに過ごしておられるらしい。


「ふむ、ならば文を一つ認めてみるでござるか」


しかし、硯に墨を摺り、筆を手に何かをしたためようとすれば、またもや手が止まった。思い当たるものといえばお館様の武勇や戦の話ばかりで、年頃の姫君には到底受け取り難いであろう内容でしかない。好むものも分からぬゆえに文を認めてみようと思えば、これにもまた弊害が生まれるとは。


――暫し逡巡した後に認めたのは一首の和歌であった。


秋深く
紅に染まりし
すゑ木の葉
いかに色づき
山嶺飾る


上田の地にて色付いた紅葉の内、色合いの異なる葉の付いた小枝を三本手折り、認めたばかりの文に添えた。些かもの足りぬように思えるも、雅事からは果てしなく遠い某の身では出来うる最大限を成し遂げたにも等しい。
書き終えた文を佐助に手渡すと、結局恋文でも書いたのかと巫山戯たことを抜かしたゆえに、佐助の給料を大幅に減給してやった。すれば、女々しくも文句を呟きながらその姿は影へと消えた。




***


「なんて言うかさぁ、大将の姫さんに見えないというか姫さんにしか見えないって言うか……」


そして数刻して帰ってきた佐助がそうぼやいているのを聞いたが、某には意味が分からなかった。お館様の末姫に相違ないではないかと返せば、あーそういう意味じゃなくて……とやはり煮え切らぬ様子で逡巡し、やがて言葉にすることを諦めたのか、姫君のご様子を話し始めた。姫君のおられる屋敷は秋の館と呼ばれていることや、姫君自身が秋を好んでいらっしゃることを佐助から聞きながら、某は返事の書かれた文を受け取る。


返された文には、目が醒める程鮮やかな紅に染め上げられた紅葉の枝が添えられていた。文を開いた瞬間に鼻孔を擽ったのは金木犀の香だっただろうか。風情溢れる文に姫君のお人柄を垣間見たような気がしたが、何よりその流れるような手(筆跡)の美しさに思わず感嘆の言葉を漏らさずにはいられなかった。


もみぢ葉は
色ぞまそほに
染まれども
山に繁れる
草木に変わらず


――たった一つの返歌で、お館様の申されていたことが分かるような気が致した。この見事な文は他国の姫君に引けを取らないものだろう。地下人として過ごしておられたとは到底思えぬ。文一つで人となりを判断するのは尚早かもしれぬが、まこと甲斐を想う姫君である、と某は想う。


「……佐助、行くぞ」
「へ、旦那ってばどこに?」
「決まっておろう! 末姫様のところでござる!」
「いきなり!?」


文を読み返す内、いても立ってもいられなくなり、俺は佐助に声をかけた。この胸の内を占める高揚感は戦前の高ぶる感情にも似ていたが、槍を振るうだけでは収まりそうにもなかった。この感情に付ける名は知らない。姫君にお会いすればこの想いの名を知ることは叶うのか。否、名など知らなくとも良いのだろう。


佐助を伴い、馬を駆ける。道中で思う、一日千秋とはこのような思いをいうのだろうか。一里は千里よりも遠く、道のりの果ては見えない。

しかし目的有らば終着は必ずや訪れる。やがて、紅く染まる館を前方に捉え、馬の速度を落とした。始めに視界を染めたのは色鮮やかな紅葉。次いで館同様に紅く、真朱に染め上げられた打掛が目に入った。
そして、それを纏うのは――。









「秋好む姫君、今一度某にその御名を教えては頂けぬでござろうか」





(120407)
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