夜明けを告げるノック 「なぁ、雷蔵。万が一私に何かあったとき、なまえのことを頼む」 僕にそう言ったのは、いつの日だっただろう。 三郎が行方不明になって七日が経った。 三郎に関する手掛かりは未だ見つかっていない。先生方が捜したけれど城に捕らえられた形跡はないというし、その周辺だってそうだった。山犬に食われたなんて心配はないだろうけど、崖から落ちたり川に流されたりといった可能性は幾らでもある。心配ばかりが心に降り積もった。 僕たち五年生も、実習の最中や時間があるときに三郎を探した。ハチは鼻の利く狼を連れたりもして、勘右衛門は不安げな後輩を宥めたりして。 そして、僕は。 「雷蔵。こんばんは」 「こんばんは、なまえちゃん」 夜、今日もなまえちゃんは門の傍にいた。三郎がいなくなってから毎晩だ。その目の下には会計委員のように隈が出来ていて、睡眠が足りていないことが見てとれる。 きっと食も進んでいないのだろう。食堂のおばちゃんに聞いたら、最近姿を見ないと言っていた。僕は用意してもらったお握りと竹筒を差し出して、なまえちゃんの手に乗せた。 「ご飯は食べなきゃだめだよ。三郎が帰ってきたとき、なまえちゃんに元気がなかったら悲しむだろう?」 「……そうね。ありがとう」 受け取るなまえちゃんの微笑みは弱々しい。お握りを手に取ってほんの少し口に含んだ。ゆっくりと食べ進めるのを見て、これなら大丈夫だろうと判断する。あとは睡眠もしっかり取らせないといけないだろうけど、何と言ったら寝てくれるだろうか。 僕が毎晩此処に来る理由は、三郎を待っていたのも本当だけれど、なまえちゃんの様子を見るためでもあった。 三郎に頼まれたから、三郎が帰ってくるまではなまえちゃんを心配するのは僕の役割だ。帰ってきた三郎が安心できるように、怪我なんかもなるべくさせないように。特に此処で待つ間は彼女の友達もいないし、僕も部屋でひとり待つのは耐えられそうになかったから、一緒に待つのは僕にとってもありがたかった。 「三郎は嘘は吐かないんだから」 なまえちゃんは門を見つめながら、いろんな言葉を繰り出す。それを聞くと『その通り』だと信じていられて、僕はひとつひとつに頷いた。 そうして夜を過ごして、空が色を薄くしていく。太陽が顔を見せ始めて、小松田さんもそろそろ起きてくる頃だろう。今日はこれまでか。部屋に戻ってほんの少しでも寝ておかないと、授業に差し支えてしまう。 なまえちゃんにそう促すと、彼女は渋々といった様子で腰を上げた。此処で別れたらがはまた座り込むだろうから、くのたまの敷地まで送るのが常。 けれど、今日は違った。 こんこん、と、木を叩く音。 その音に素早く反応したのは、僕だけじゃなかった。 「っ……!」 なまえちゃんが駆け出し、閂に手を掛ける。こんな早朝からお客様なんて滅多にあるもんじゃない。だから、つまり、期待が高まって。 がごんと閂を抜いて、通用口を押し開ける。転がるようになまえちゃんが外に出て、僕も後に続けばそこに、見慣れた顔。 「ふたりして慌て者だな、なまえ、雷蔵」 なんだなんだと笑ってみせる僕と同じ顔のそいつは、まごうことなく鉢屋三郎だった。 「さぶろっ、?!」両手を伸ばして抱きつかんとしたなまえちゃんと、それを受け入れようとする三郎の間に、阻むようにぬっと差し込まれたのは一枚の板。 「お出かけなら、出門表にサインをお願いしまぁす……」 寝ぼけ眼を擦る小松田さんに、僕らは苦笑するしかなかった。 改めて学園の中に入り、ふたりの抱擁を僕は眺める。見れば三郎は太めの枝を杖代わりにしていて、足にも副え木をしているようだった。ひどく捻ったか骨が折れたかしたのだろう。それでもなまえちゃんを見つめる三郎は、疲れも痛む素振りも見せなかった。 後から聞いた話だと、追っ手を撒いた三郎はらしくもなく崖から足を滑らせていたらしい。うまく川に落ちたとはいえ足を痛め、走れもせずにゆっくりと時間をかけて帰ってきたのだという。 本当に、死んだわけじゃなくてよかった。帰ってきてくれてよかった。僕も親友の無事に胸を撫で下ろした。 「ああもう、泣かないでくれ。さすがの私もなまえに泣かれるとどうしていいか分からない」 「だって、さぶろうが、っ、よ、よかったぁ」 なまえちゃんの目からぼろぼろと涙が零れる。ずっと不安を抱えていて、帰ってきた今ようやく糸が切れたのだ。どれだけ泣いても足りないだろう。 けれど帰ってきたばかりの三郎をいつまでもこのままにしておくわけにもいかない。僕は悩まずに口を開いた。 「三郎が帰ってきたこと、先生にお伝えしてくるから。なまえちゃんは先に医務室につれていってあげて」 「わかっ、た」 「すまない、雷蔵」 これくらい、お安いご用さ。それにふたりで話したいこともあるだろう。僕の言いたいことは後でいい。まずはなまえちゃんが、ほら、ずっと言いたい言葉があったんだろう? ぐいと、装束でなまえちゃんは涙を拭う。 「――おかえりなさい、三郎」 「……ただいま」 それから僕の位置からは見えなかったけど、きっといつものきらきらした笑顔を浮かべたのだろう。 ← ×
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