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「おはようございます、なまえ先輩」
「……おはよう、三木」

バレンタインデー当日、玄関のドアを開けると三木ヱ門がそこにいた。



「どうぞ」

わざわざチョコレートを届けに来てくれたらしい。三木ヱ門の家から小学校へ行くには、私の家に寄ると遠回りになるというのにだ。そうまでして届けに来てくれたのだから、喜ばないわけがない。
綺麗にラッピングされたそれと私の用意したものを交換する。三木ヱ門のものも手作りだそうだ。藤内と話したときにも思ったけれど、男の子の手作りが流行っているのだろうか。
ふたり並んでそれぞれの学校へと向かう、その道中に訊いてみる。「浦風も、ですか」三木ヱ門は少しばかり唇を尖らせ、それから答えてくれた。

「浦風がどう考えたかは知りませんが、僕が作ったのはなまえ先輩へ渡すからですよ。先輩が卒業されてからなかなか会う機会もありませんし、普段伝えきれない分の感謝を伝えようと思ったら市販のものじゃ足りません」
「そっか。嬉しいなぁ」

感謝されるようなことなんてしていないけれど、否定はしないでおこう。私が彼らと共にいて救われているように、私も彼らに何かを与えられているのかもしれない。だとしたらその感謝は黙って受け取っていれば、それでいい筈だ。そう、思う。

「ところで、なまえ先輩はこれをどうやって僕に届けてくださるつもりだったんですか」
「え?学校帰りに三木の家に行こうかと」
「それだと遅くなるでしょう。夜道は危ないんですから、女性がひとりで出歩かないでください」
「……」

夜道と言っても学校帰りの時間なんて知れてるし、日が沈むのも遅くなってきたからそんなに心配ないと思うんだけど。何より『昔』ほどではないといえ、それなりに鍛えている身だ。そのことは三木ヱ門も知っているのに。
私の言いたいことが伝わったのか、三木ヱ門はやや言いにくそうに口を開いた。

「別に先輩が変質者などに遅れを取るとは思いませんけど、万が一があってからでは遅いんです。そういう輩が複数いる事例もありますし、その場合は危険も増すでしょう?」
「……うん。ごめんね、心配してくれてありがとう」
「……まだ小学生の僕じゃあ、先輩を家まで送ることも出来ないんですから」
「三木ヱ門の気持ちだけで充分だよ」

三木ヱ門は昔からフェミニストだったから、余計に心配を掛けてしまうのだろう。後輩にこんな顔をさせるなんて自分の軽率さに辟易する。諌める言葉は甘んじて受け入れよう。予想外の事態はいつの時代も起こり得る、油断は禁物だ。
眉を下げて言葉を続けた三木ヱ門に、唇を噛もうとするのをやめさせる。この時代の12歳はあの頃よりもずっと子どもだ。歯痒い思いをすることは今でも沢山ある。早く大人になりたいと願うことだって、何度もあった。三木ヱ門も思い悩んでいるのだろう。それを取り除く方法は私も知らないまま、どうしたら力になれるか分からなかった。
言葉が途切れ、訪れる沈黙。あまり居心地のよくない空気は喜ばしいものではなくて、「そうだ」新たな話題を探して口にする。

「小学校はそろそろ卒業式の準備が始まってるんでしょう?」
「え、ええ……ああ、最近は卒業式で歌う合唱の練習もあって、放課後も忙しいんです。僕が家にいなくて直接受け取れない可能性もありましたから、やっぱり僕が届けに来て正解でした」
「うん、私も渡せて嬉しかった。わざわざ来てくれてありがとう。それと、卒業式頑張ってね。……って言うのはちょっとおかしいかな」
「しっかりと小学生を務め上げてきますよ。そして四月からは中学生です」

得意気に言いながらも照れたような笑顔を見せてくれて、私も口の端がゆるゆると上がるのを感じた。やっぱり三木ヱ門は笑っている方がいい。答えの見えない思考に陥るよりもずっと、いい。
卒業式。私も去年その場に立ったばかりだ。卒業証書の授与、答辞や合唱。声を揃えた呼びかけの言葉はあまりに幼稚だと思ったけれど、振り返ってみると胸の奥がほんのり温もる気がする。三木ヱ門にとってもそのような式になることを願った。

交差点で足を止める。三木ヱ門が通う小学校と、私が通う中学校はここで道が別れてしまう。まだまだ話し足りないけれど、残念ながら今日はここまで。

「またね、三木ヱ門」
「ええ。今度は入学式で」

中学生になったらたまには一緒に通学しましょうね。そう言った三木ヱ門と約束を交わして、私たちはそれぞれの学校へと歩き出した。
冷たい風が頬を撫でる。春が、待ち遠しい。






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