僕らの退屈

いつも通りの昼休み、教室にいると富松くんがうるさいから、私は孫兵について生物小屋に行くことにした。とは言っても、ジュンコちゃんとの逢瀬を邪魔するつもりはない。
生物小屋とは名ばかりの、大きな建物。一部を除いて屋根のない此処は高等部と共同で、いろんな生物を飼育していた。うさぎとか犬とか馬とか鹿とかヤギとか、ちょっとした動物園だ。鳥も沢山種類がいるし、爬虫類だってコーナーが出来てる。大学で飼育している動物が子どもを生んだらこっちで育てることもあるらしい。
孫兵はその一角を借りて、授業中ジュンコちゃんに待っていてもらってる。ジュンコちゃんは賢いからたまに脱走するけど、生物小屋からは出ないし他の動物にちょっかいをかけない良い子だ。
さて、そのスペースの前。脱走していたジュンコちゃんの前に、ひとりの生徒がいた。動かないその子が怖がっているんじゃないかと思ったけれど、その割に真剣な目をしている。見覚えがある気がするけど、誰だったかな。
「ジュンコ」孫兵が熱を含んだ声で呼ぶと、ジュンコちゃんが体をくねらせてこちらに滑ってくる。手を伸ばした孫兵に絡みついたかと思うと、すぐに首もとまで昇りついた。見つめ合うふたり。相変わらず仲良しなんだから。

「あれ、孫兵?」

ジュンコちゃんと向かい合ってた生徒がこちらに気付いて孫兵の名を呼んだ。正面から見た顔はやっぱり見覚えがある。名前は確か……さ、さん……三田くん?

「数馬。何してるんだ?」
「美術の授業だったんだけど……孫兵がいるってことは、もうお昼かぁ」
「また置いていかれたのか」

三田くん(仮)は眉尻を下げて溜め息を吐く。置いていかれたっていっても、チャイムはきちんと届く筈なんだけど。それにも気づかないくらい熱心に描いてたのか。こっそりスケッチブックを覗き込めば、そこにはジュンコちゃんが描かれていた。

「絵、上手だね」
「えっ」
「ほら孫兵、ジュンコちゃんが本物にも負けないくらい美人だよ」
「そうだね。モデルもよかったんだろうけど」
「私、いくらジュンコちゃんが美人でもここまで上手に描ける気しないよ。凄いね」
「あ、ありがとう、真下さん」

三田くん(仮)が私の名前を知っていた。やっぱり自己紹介したことがあるんだろうか。まずい、こっちは覚えてないなんて失礼にも程がある。どうにか誤魔化して、後で孫兵に教えてもらおう。
そう思っていたのに、「あれ、数馬、時枝のこと知ってるの?」なんて訊いてしまった。こ、これはピンチ。いや、いつ会ったか分かれば思い出すかも……

「あっ、ごめん!初対面だったよね」
「えっ」
「えっ?」
「あ、うん、初対面初対面」

不思議そうな顔をされて、慌てて頷く。そうか、初対面だったのか。「作兵衛から聞いたんだ」そういえば私も神崎くん辺りから聞いた気がするなぁ……

「三組の三反田数馬です」
「二組の真下時枝です。よろしくね」

三反田くん。意外と惜しかった、けど呼ばなくて本当に良かった。もう忘れないでおこう。

「で、藤内は?」
「今日写生をするって聞いてたんだけど、家で予習してきたのが植物だったらしくて……すっごく蒼い顔をしてたから保健室に行くように言ったよ」
「ふぅん」

自分で聞いておきながら興味無さそうな孫兵に、いつものことなのか三反田くんは苦笑を零すだけだった。とーないくん……名字なのか名前なのか。共通の友人みたいだし、ひとりだけ名字ってこともないだろうから、名前なんだろうなぁ。
そんなことを考えていたら、「数馬ー!」遠くから三反田くんを呼ぶ声。聞こえてきた足音はまっすぐにこっちへ向かっていた。

「藤内」
「数馬!此処にいたのか!」
「うん。わざわざ探しに来てくれたんだね」
「教室に帰ったら数馬だけいないから……また穴に落ちたのかと……」
「今日は落ちてないよ。心配かけてごめん。戻ってお弁当食べようか」

現れた生徒はやっぱり見覚えがある。確か、浦風くん。三反田くんがいないことに気付いて探しに来たらしい。いい友達だと思う。
でも、穴に落ちるってどんな心配なんだろう。まさか中学生にもなって落とし穴を掘る人もいないだろうし、ちょっとした溝に躓いた、ってところか。もしかしたら一回たまたま躓いて転んだのを見られて、それをずっと繰り返されてるのかも。だとしたら、三反田くんも大変だ。本当に心配してるからこそ性質が悪い。
「じゃあね」と振り返った三反田くんに手を振り返して、彼らが去っていくと私はぽつりと呟いた。

「……私、三反田くんとは仲良くなれそうな気がする」
「そう?」

三反田くんもきっと苦労しているんだろう、と一方的に仲間意識を持った私が、彼らの言うことが本当だと知るのはずっと後のことである。




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