僕らの案内

「真下!ちょうどよかった、会計委員会室はどっちか教えてくれ!」

委員会活動中の孫兵を待っている間、図書室にでも行こうかなぁと思った矢先に神崎くんが現れた。神崎くんと次屋くんが神出鬼没なのは今更だから、あんまり驚くことはない。
神崎くんの願いに『そういえば神崎くんは会計委員だったなぁ』って思い出すのと、『教えても逆方向に行くだろうな』と思ったのは同時だった。逆に行くことを予想して反対方向を教えても、突然曲がったりするのは体験済みだ。神崎くんと次屋くんの方向音痴、底が知れない。

「……連れてくよ」

どうせ暇だし、胸ポケットに収まってる生徒手帳には地図も挟んでいるから万が一突然走り出されて迷子になっても大丈夫。
いいのかと首を傾げる神崎くんに頷くと、「では頼む」一度礼儀正しく頭を下げて右手を差し出してきた。私は握手だろうかと同じ右手を出す。

「これじゃあ歩きにくくないか?」

するときょとんとしてそう言った神崎くんに、私はようやく彼が手を繋ごうとしてるのだと気がついたのだった。



中学生になると、男女で手を繋ぐなんて気恥ずかしくて出来やしない。それが周りの反応だし、私だって勿論そうだ。孫兵以外の男の子となんて、恥ずかしい。
でも、神崎くんは別だった。多分次屋くん相手でもこんな感じがするんだろう。神崎くんと手を繋ぐことは、犬の散歩用リードを持つのと同じ感覚だった。道を逸れようとしたときや、突然走り出そうとしたときに抑える的な意味で。

「いつもすまないな」
「そう思うならいきなり走り出すのはやめてね」

そんなわけで神崎くんと手を繋いで廊下を歩く。ついさっき勝手に走り出されて止まったところは会計委員会室からもそう離れていなかったから、私の体力が極端に削られた以外は平和な道のりだった。この調子で行けばもうすぐ到着すると思う。気を抜くとあっという間に校舎から出てしまいそうだから、油断は出来ないけれど。

「……真下は勝手に動くなとは言わないのか?」
「富松くんのことを思えば言うべきなのかもしれないけど、富松くんが言う以上の効果があるわけないからね」

神崎くんの問いに、私は頷いて答える。大の仲良しだろう富松くんの言葉に効果がないなら、クラスメイトの私が言っても意味は為さない筈だ。彼らの方向音痴は想像を遥かに越える。壁に全力でぶつかっていく方向音痴が存在するなんて、中学生になる前は信じられなかっただろう。
「作兵衛と言えば」神崎くんは視線を落とした。富松くんの名前に心を突かれぎくりとする。心に残ったままの凝りは遠足のときにできたものだ。自分で言うときはなんてことないのに、なかなか消えてくれないそれは誰かに触れられると強く痛むようだった。

「真下が最近元気ないのは、作兵衛と僕らが原因か?」
「……なんで?」
「遠足で僕らがはぐれたあと、真下を泣かせてしまっただろう」

しゅんとした様子の神崎くんは、それを誰から聞いたのだろう。私が泣いた事実を知るのは孫兵だけ。でも孫兵が言うとは思えない。孫兵は私の秘密にしたいことを言い触らす人じゃない。
私の動揺を読み取ったのか、神崎くんは「目がちょっと赤かったから」ほんの少し付け足した。私はそれに驚いて目を見張る。目立つものじゃなかったから、誰にも気付かれていないと思ったのに。

「すまない」

そして、足を止めて頭を下げる神崎くんに、また驚いた。
慌てて頭を上げてもらう。神崎くんが謝ることじゃない。そりゃあ置いていかれたときはどうしようか不安になったけど、泣いた理由とは少し違う。というか誰かに謝ってもらうような理由じゃない。
そう弁明するも、神崎くんはぶんぶんと首を振った。

「僕のせいだ。最初に僕が巻き込んだから、今でも真下に迷惑を掛けてしまう」
「……え」
「だって、真下は方向音痴じゃないじゃないか」

神崎くんの眉が下がり、ますます沈んだ顔をする。神崎くんが言っているのははじめて会った入学式の日のことだろう。神崎くんと会って、富松くんに勘違いされた日。
けれどあれは私が孫兵の注意を聞かなかったせいだ。神崎くんのせいにしようとしたこともあったけれど、やっぱり悪いのは私だった。神崎くんは一生懸命助けようとしてくれたし、助かったのも神崎くんが一緒だったから。それに、あのときはひとりで心細くて、神崎くんが来てくれて心からほっとしたのも事実。
繋いだ手をぎゅっと握る。神崎くんが肩を跳ねさせて顔を上げた。神崎くんは悪くない。悲しい顔をしてほしくないのに、そうさせてるのは私だ。

「私、あのときは、神崎くんに会えて安心したよ。本当によかったって思ったの」

言葉にすると薄っぺらく思ったけれど、私の精一杯で感謝を紡ぐ。「ならよかった」そう笑う神崎くんの顔は、けれどいつものように底抜けに明るいものではなかった。

会計委員会室まではもう少しだ。けれど神崎くんの足が動く気配はない。きっと大切な話になるんだろう。会計委員の方々には悪いけれど、私は神崎くんの言葉を待つ。急かすことなんて出来るわけがない。神崎くんが怒られるときは、私も一緒に謝ろう。許可が出るなら手伝ったって構わない。

「僕にとっては、作兵衛は道標なんだ」

神崎くんは考えながらゆっくりと話し出す。彼の大きな目に映る私が見える距離。神崎くんが視線をさ迷わせることをしないから、私も目を逸らすことが出来なかった。

「僕は決断力のある方向音痴と呼ばれているけど、僕だって迷子になると心細くなる。でも、どこで迷っても作兵衛が見つけてくれるから、手を繋いで目的地まで連れていってくれるから、安心して走り出せるんだ」

神崎くんや富松くんは小学一年生の頃からの仲だと孫兵に聞いたことがある。神崎くんと次屋くんは何度も迷って、富松くんは何度も彼らを見つけ出したんだろう。大変な苦労をして、喧嘩もあったかもしれない。それでも長い時間をかけて、今の友情を築き上げてきた。
だから神崎くんたちは富松くんを信頼しているし、富松くんは一生懸命彼らを探す。友達だから、それを許容できる。

「真下が僕らと一緒に扱われるのは、僕のせいだ。悪気がなければ何をしてもいいわけじゃないけど、でも、作兵衛を嫌わないでやってくれ。僕が原因だと恨んでくれていいから」
「……そんなこと言われると出来ないよ」

でも私は富松くんの友達じゃない。他者から見れば保護者と被保護者、けれど私からすればただのクラスメイトだ。嫌うなと、ただそれだけのことが随分と難しい。
神崎くんを恨むことは出来ない。けれど富松くんに関しても善処するとしか言えなかった私は、どうしようもなく卑怯だった。




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