いま

本日最後の授業が終わり、その授業はクラス担任の教科だったからそのままホームルームに流れ込む。やる気のない号令で帰りの挨拶。教室から出ていったり友達同士で固まったりとばらばらに動き出すクラスメイトに混じって、俺も学校指定の通学鞄を手に取った。

「食満ー、ゲーセン行かねー?」
「悪い、今日は生徒会だ」
「そりゃ残念。頑張れ生徒会長」

囃し立てるようなクラスメイトの言葉に笑い、適当に別れの挨拶を述べて教室を出る。まだホームルームが終わっていない隣のクラスを横目に、俺の足は生徒会室へ向かった。
生徒会室の鍵は生徒会長の俺が持っている分と、職員室で管理されている分のふたつある。鍵を取り出し鍵穴に差そうとして、中から物音がすることに気が付いた。もう既に誰か来ているのか。俺が来るのを待たず職員室まで借りに行くようなのは限られていて、俺は少し期待しながらドアに手を掛ける。

「ああ、こんにちは、食満生徒会長」

やはりそこには見慣れた影があった。「香純」頬が緩むのを感じながらその名前を呼べば、香純は控えめに微笑んだ。
片手に雑巾を持っているところを見ると机を拭いていたんだろう。相変わらず見えないところでよく動く奴だ。

「早いな。まだお前だけか?」
「はい。今日はホームルームが短く終わったので。あ、お茶淹れましょうか」
「頼む」

俺が頷けば香純は部屋に備え付けてある水道のシンクの縁に雑巾を置き、手を洗うとポットのボタンをひとつ押した。再沸騰させている間に急須や茶葉の用意。「今日はほうじ茶です」せかせかと動き回る様は見ていて飽きやしない。
机の上を見れば今日やる予定の会議の資料のコピーが見やすく並べられてある。本当よく動く奴、俺が苦笑すれば「どうかしましたか?」香純の声が掛かった。

「いや、サンキューな」
「そりゃあ、生徒会の為ですから」
「……俺の為って言ってくれた方が嬉しいんだけど?」
「勿論、ひいては生徒会長、留三郎先輩の為に、ですよ」

何こいつ可愛い。
照れた様子を見せずくすくすと笑い声を零す香純に、俺の方が恥ずかしくなってきた。やっぱりこいつの前で格好いい真似はなかなか出来そうにない。

生徒会副会長七音香純と生徒会長の俺は、去年の冬頃から付き合っている。言い換えるなら恋人同士。俺の方が惚れて告白して見事この関係をゲットしたわけだ。先輩として男として格好よくリードする俺、が理想だけどはたしていつになったら叶うのか。今のところ失敗続きである。
俺たちの関係は周囲には一応伏せていた。生徒手帳には不純異性交遊がどうのこうのという規定があるし、生徒の鑑にならなければいけない生徒会の人間が堂々と反するのもどうだろうか、というのが名目で、生徒会内にひとり五月蝿い奴がいて知られると面倒くさいというのが実際のところだ。そいつにさえばれなければいいし、ばれても別れるつもりもないから、必死に隠すことでもない。あいつの存在さえなければ学校中に触れ回って自慢したいくらいなんだが。あいつ本当むかつくな。

「留三郎先輩、何か不穏なこと考えてません?」
「別に。文次郎殴りてぇなって」
「会議が終わってからにしましょうね」
「じゃあ、香純、好きだ」
「『じゃあ』の意味は分かりませんが、私も好きですよ、留三郎先輩。あ、でも、それも後で」

抱き締めたい衝動に駆られ、そのまま行動に移そうとしたら釘を刺された。そうだった、ここは生徒会室でもうすぐ他のメンバーも集まる頃だ。もし奴に見られたら隠している意味がない。
そして香純がこう言うときは決まってすぐに誰かが来る。香純は勘がよく、その予想が外れることはあまりなかった。よって俺はおとなしく我慢するしかないのである。
香純は湯飲みの並んだ棚からふたつ、それからもうひとつ取り出す。それぞれに注いでいこうとする瞬間、こんこんとノックの音が部屋に響いた。やっぱりな、とただ思う。

「一年、田村三木ヱ門です。入ります」

礼儀正しく名乗りを上げ入室したのは生徒会一年代表の田村だった。「こんにちは、食満先輩、七音先輩」改めて挨拶してくる田村に、俺も香純も挨拶を返す。
香純は手伝うという田村の申し出をやんわりと断り、俺と田村、それから自分の席に湯飲みを置くと、急須に湯を足して残る三人の分の湯飲みも取り出した。そうこうしている間にあいつらも来るだろう。

「今日の会議は体育祭のことですか」
「ああ。一年生にとっては最初の行事だからな、しっかり頼むぞ」
「はい、勿論です!」

今月頭に行われた生徒会選挙で入ったばかりの田村は、しかし緊張する様子はあまり見られなかった。俺や文次郎が入ったときは生徒会室に足を踏み入れるのにも少なからず緊張していたし、三年相手にリラックスして話すのも難しかったというのに。
田村は香純と知り合いだったようだから、それが緊張を解す作用したのかもしれない。そういや香純もあまり緊張してる素振りはなかったな。控えめな態度はあったけど、それは元々の性格のようだし。

「なんか不思議だな」
「何がですか、食満生徒会長?」
「いや、何でも。相変わらず美味い茶だな。さすが七音」
「ふふ、お茶汲みは私の仕事ですから」

一年のときからそうだった、というか香純が入る前はお茶なんか出さなかった。茶葉も急須もポットも香純の私物である。やっぱり文次郎が規則がどうのこうのと噛みついていたが、当時の生徒会長の「うまい茶があると仕事が捗るな」の一言で許されたんだったか。前生徒会長様様だ。文次郎ざまぁ。
俺が香純の笑顔に癒されていると、ごんごんとおざなりなノックが飛び込む。ああ来やがった、俺が顔をしかめるのとドアが開くのは同時だった。

「入るぞ。……また茶か」
「んだよ、予算は使ってねぇんだからいいだろうが」
「こんにちは、潮江先輩。今日はほうじ茶にしてみました。此処に置いておきますね」

じろりとした視線は受け流し、香純は生徒会会計の潮江文次郎の机にも湯飲みを運ぶ。まったく、こんな文句を言う奴の分まで用意することはないのに。
文次郎が香純に文句をぶつけることはずっと前になくなった。その代わり俺に突っ掛かってくるので遠慮なく言い返す。湯飲みを倒したりしては大変なので手や足が出ることはなく、ひたすら口撃の応酬となっているのもよくある光景となっていた。
そうしている間に残る書記と二年代表もやってきて、準備が整ったところで香純の制止が入る。この役割が香純になったのも、香純が生徒会に入ってすぐだった気がする。「七音のおかげであいつらが備品を壊すことがなくなったな」というのも前生徒会長の言葉だった。
会議が終わったらすぐに文次郎を殴ろう。いや、そんな時間も惜しいからとっとと帰らせて香純を抱き締めよう。着席している全員の顔を見回して、俺はゆっくりと口を開いた。

「それではこれより生徒会会議を始める」

勿論会議は真面目にじっくりと、だ。


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