しあわせ

「本当に、幸せなんですか?」

真剣に問うたのに、香純先輩は肩を竦めてみせただけだった。肯定も否定もしない彼女に僕は溜め息を吐く。呆れからか諦めからかは自分でも分からなかった。
そんな僕に眉尻を下げて香純先輩は笑う。そんな笑顔より満面の笑みが似合うのに。昔のように、太陽のように眩しく笑ってほしいのに。
それを可能にするのは、やはりあの人達だけなんだろうか。

「三木ヱ門は、幸せ?」
「僕は……幸せか否かと訊かれれば、幸せと答えるしかありませんよ」

貴方に比べれば、とは言えなかった。でも通じているに違いない。
たったひとつ。性別の差が、彼女の願いの前に立ち塞がる。あの人達と肩を並べて笑いたいというささやかな願いの邪魔をする。
この世の中で男女間の友情が成り立つのは難しい。昔ほどの、あの頃ほどのしがらみはないはずなのに、手を伸ばしてもそれを遮る見えない壁が聳え立っていた。

「三木は、喜八郎と滝と同じクラスなんだってね?うまくやれてる?」
「ええ。あいつらも……憶えてなくとも、変わりありません」
「仲良くしなさいね。昔みたいに、とは言えないけれど」
「滝夜叉丸はともかく……はい」

僕は男だから、前世の記憶を持たないあいつらと新たに友情を築くのにもそれほど苦労はしなかった。昔との違いに戸惑ったり落ち込んだりすることもあったけど、それでも友人になれた。また、昔のような関係に戻れたのだ。
香純先輩ほどの苦悩もせず、先輩と同じ望みを叶えられた。これで幸せと言わなければ、何を以てすれば幸せだと言えるのか。

「香純先輩は……」
「私は、私も、幸せだよ。また仲良くなっていく貴方たちを見れるのなら」

遠くに見えたふたり分の人影に、香純先輩は僕の背中をそっと押した。行っておいで、彼らが待ってるよ。そう囁いて。
「またね、三木ヱ門」文句を言わせようとしない優しい拒絶。僕は一礼してあいつらの元に足を進めるしかできなかった。
どうすれば香純先輩は笑ってくださるのか。あいつらと昔みたいにしていれば笑ってくださるのだろうか。僕とあいつらの関係で先輩が笑ってくれるなら、昔のように、それ以上に仲良くなってみせる。勿論、歪な関係を築いたところで香純先輩は喜ばないと分かっている。けれどこの思いは嘘ではなかった。だから、そんな顔をして『幸せだ』なんて言わないでほしい。本心からその言葉を出せる未来に歩む手助けをさせてほしかった。



遅い、と文句を言う滝夜叉丸を軽く流して、僕らは帰路に着く。この中学校は公立校で、寮はない。集団生活なんて殆どなく、それぞれの実家に帰る。当たり前のことなのに、まだ暫くは慣れそうにない。

「ねえ、あの人、誰?」

喜八郎の言葉に、やっぱりか、と思った。そう不満に思うのはお門違いだと分かっているけれど。僕は心に生まれる落胆を振り払うように、その問いに答えた。

「先輩だよ。二年の、七音香純先輩。生徒会の副会長をしていらっしゃる」
「ああ、生徒会での関係か」
「元々は、もっと昔からの付き合いだけど」

前世からの。前世を共有する、数少ない同志。
ユリコもサチコも一緒にいられないこの世の中で、僕が発狂せずにいられた大切な存在。
この御恩の返し方は分からないけれど、少しでも幸せになってほしいから。

「今度、お前たちも紹介しよう」
「別に、いいけど」
「きっとあの人は、お前の穴堀り癖にも滝夜叉丸の長い無駄話にも嫌な顔をしないぞ」
「無駄話とはなんだ!」
「ふん、時間の無駄に違いないじゃないか!」

突っ掛かってくる滝夜叉丸と言い争う頭の片隅で、僕は考える。あのひとたちは難しいけれど、このふたりならば紹介することだってできる。橋渡しだって何だって厭わない。
だから先輩、いつかあの笑顔を見せてください。


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