たとえ

髪を切ってから、タカ丸さんに逢いに行ってからの香純先輩は、何だか少し違って見えた。勿論見た目の話ではない。きっと、何か覚悟をしたんだろうと思う。藤内に聞いても詳しいことは分からなかった。けれど、あのひとたちに関わる何かなんだろうとは、僕も藤内も理解していた。
だから僕は心に決めていた。僕でも御力になれることがあるならば、何だってしてみせようと。香純先輩が笑顔になれるのなら、何だって。



交流会、という言葉が生徒会の議題に上ったのは、それから然程も経たない頃だった。
天体観測を名目にして、近隣の中学校生徒との交流を図る。それは校長先生が長年考えていたことらしいけれど、いきなりトントン拍子に話が進むのは少し違和感を覚える。それでも少しの違和感でしかないのだから、他の生徒会メンバーは気付いていなかった、かもしれない。でも僕は、香純先輩のことをこの場の他の誰より理解しているつもりだ。

「それでは時期は夏休み期間中、場所は当校か相手校の屋上を提案する、ということでよろしいですか」
「そうだな。まだ向こうが受けてくれると決まったわけじゃないし」
「当校で行う場合のプランはもう少し煮詰めるんですよね?」
「参加希望者がいれば、交流会が中止になってもイベントを中止にはできねぇしな。話し合うときに例としても使えるくらいには考えておこう」

話し合いに参加しながらもホワイトボードにペンを滑らせる香純先輩には、意見の取捨選択ができる。意味を少し変えて書き起こすことができる。
少しずつ少しずつ、より自分が望むものへと近付け作り上げていく。そこまで気付いているのは、きっと僕だけだった。

「じゃあこれを校長先生に持っていって、許可が出れば打診を掛けてもらう。向こうが交渉に応じてくれるようなら俺と七音が代表して話し合いに行く。異論はあるか?」

ホワイトボードに纏められたそれを香純先輩の声がなぞって、終わったところで食満先輩が確認を取る。異論は起きそうにない。書記のペンがノートに文字を起こす音だけが残って数秒、話し合いは終わりになった。
僕は湯飲みに残ったお茶を少しずつ口へと運ぶ。煎茶はすっかり温くなっていたけれど、それでも僅かな渋みはとても美味しい。
勿論世間話を振り、話を広げるのも忘れない。そうやって時間を掛けて、三年の先輩方を先に帰らせて。後片付けを手伝って。最後の鍵締めを誰が行うかで少し揉めてみせれば、簡単に香純先輩と帰路に着くことができる。
話があるんです、なんて言ってみせれば、香純先輩は「そんなに分かりやすかったかしら」と首を傾げて笑ってみせた。

「僕以外は分からなかったとは思いますよ」
「ならよかった。それに、三木に気付いてもらえたのも」
「僕に?」
「生徒会業務に私欲を忍ばせるのは、さすがに罪悪感があったから。貴方には打ち明けたかった……懺悔、したかった」
「私欲、ですか」
「貴方も、それを聞こうとしてくれたんでしょう?」

その通りだから、僕は素直に頷く。しかし私欲というからには、そして僕には打ち明けるというからには、やはり前世に関わることなんだろう。
知ってるかしら、と香純先輩が出したのは、近隣の中学校の名前だ。交流会を持ちかける、私立中学校の名前。

「立花先輩と伊作さんは、あの学校に通っているの」
「……中在家先輩のため、ですか?」

ふたりの名前を聞いて脳裏に浮かぶのは、寡黙な図書委員長だ。けれど、あのひとのためだと言うには違和感はある。香純先輩は思慮深いひとではあるけれど、そこまで気負うことも、ない筈だった。
僕の困惑が伝わったのか、先輩は頭を振る。

「まぁ、中在家先輩の役にも立てればとは思うけれど……あの六人の先輩方の、この学校にいる四人以外の二人が、あの学校に通っているのよ」

香純先輩が微笑む。
いつものような優しいものとは違う、勿論昔のような快活なものでもない、泣きそうにも見える不器用な笑顔。

「じゃあ、五人のうちの、この学校にいない二人がいる可能性だって、あるわけでしょう?」

ほんの少し震えた声で紡がれたその言葉は、きっと懇願だった。
鉢屋先輩でなく、不破先輩でも竹谷先輩でもなく、香純先輩が求めたのは本当にそこにいるのか分からない彼らだ。賭けるには勝算の低い状態で、それでも動き出した。
彼らがもしそこにいなかったら、香純先輩の絶望はどれ程となるだろう。そこにいたにも関わらず、親しくなれなければ、どうなるのだろう。
けれど。
だからといって、引き留める筈もない。
もし香純先輩が傷つくような事態になれば、僕や藤内が、それに中在家先輩も、それを癒そうと奔走するだろう。そもそもそんなことにならないように、僕が動かないでどうするというのだ。

「……香純先輩が僕にしてくれたように、貴方のためなら僕は何だってします。だから、どんなことでも頼ってください」
「ありがとう、三木」
「絶対、ですからね」
「……ええ。本当に、ありがとう」

念を押せば、香純先輩の笑みは苦笑に変わる。僕が本気であることは伝わっているだろうけれど、素直に助けを求めてくれることはないのだろう。
それを不甲斐なく思うけれど、香純先輩は確かに頷いたから、今日のところはそれでよしとする。まずは交流会の開催のために生徒会の一員として尽力しよう。会議で香純先輩の意を汲んで発言するくらいのことは、僕なら当然可能なのだから。


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