なにか

この日、僕らのクラスではホームルームの時間を使い運動会の出場競技を決めていた。クラスの中には乗り気でない生徒もいるけれど、僕としてはこういった行事は好きな方だ。チーム分けは学年縦割りで、先輩後輩と関わる機会が少しあるのも楽しみだった。問題は、何の競技に立候補しようか悩みに悩んでしまうことだけど。
黒板に書かれた沢山の競技を眺めながら、僕はうんうんと悩んでいた。学年別競技や男子全員が参加する騎馬戦などを除き、ひとり最低ひとつは参加しなければならない。その中でも団体種目か個人種目か、それとも両方か。体を動かすのは好きだし運動神経も悪くない方だと思うから、ありかもしれない。でもなぁ、とやっぱり決められない僕に、ハチが笑う声が聞こえた。呆れたような、苦笑の声だった。

「ハチは何に出るつもり?」
「スウェーデンリレーかな。もうひとつやるとしたら他薦に任せる。騎馬戦は騎馬やるとして、あと委員会・部活動対抗リレーもあるし」
「ああ、そっか、それがあったっけ」
「雷蔵は二人三脚なんじゃないか?」

ハチの視線が教壇の方に向く。そこに副委員長と共に立つのは学級委員長の三郎だ。三郎とやれ、ってことだろうか。三郎とは気が合う、というかあいつが合わせてくれるのできっとやりやすいだろう。それもいいかもしれないけど、これは僕ひとりでは決められない。前もって三郎と相談しておけばよかったと考えても後の祭りだ。

「……どうしようかなぁ」

ハチの意見を参考にしようとしても、僕は更に悩むだけ。こうなったら最後に余ったものでもいいかなぁなんて考えながら、ふと彼女へと目を向ける。ハチの前の席、七音さんは、何に出るんだろう。彼女は運動神経もいいし、運動会でも活躍するんだろうと思う。
そんな僕の視線に気付いたのか、ハチがとんとんと七音さんの肩を叩く。振り返った七音さんは、僕らの視線にどうしたのと首を傾げた。図書室のことを思い出して少し緊張したけど、七音さんに気にした様子は全くなかった。

「七音さんは、何に出るんだ?」
「私は百メートル走にしようかな、って思ってる」
「対抗リレーは?」
「生徒会で出るよ。今年も負けないからね」

悪戯っぽく笑う七音さんに、去年の対抗リレーは生徒会の優勝だったことを思い出す。殆ど皆が速かったけど、アンカーの前生徒会長がとにかく速かった気がする。あのひとがいないなら他の委員会にもチャンスはある、かもしれない。図書委員会が何をと笑われるかもしれないが、中在家先輩は意外と走るのが速いのでいい線までいくかもしれなかった。委員会・部活動対抗リレーは箸休め的な競技で運動会の成績には入らないけど、予算会議で有利になるという噂があるから何処の委員会や部活動も本気だ。あくまで噂だけど。

「そろそろ決まったか?まずは自薦で決めるぞ」

三郎の声にはっとする。もういいや、僕は余った種目に出よう。前を向きながら、ちらっと七音さんを盗み見る。いつの間にか前を向いていた彼女は、きっと僕らと話していたことを三郎には気付かせてないんだろう。三郎の七音さんを見る目は冷たいものだけど、物言いたげではなかったから。
どんどんと名前で埋まっていく黒板に、百メートル走で手を挙げた七音さんの名前も入る。副委員長の書いた少し歪なチョークの跡を僕はぼんやりと眺めていた。次第に空白の少なくなっていく黒板に、僕の名前が刻まれるまで。

「おい雷蔵。三郎が勝手に二人三脚に決めたみたいだぞ」

ハチに肩を叩かれてようやく気付く。自薦だって言ったのはあいつなのに、まったく。怒りよりも呆れが浮かぶけど、三郎はそんな奴だと知っていたので何も言わないでいた。当然三郎も僕がそう考えると分かっているんだろう。仕方ない奴だ、とハチに笑えば、ハチは同意するように頷いた。

「ふふ」

思わず漏れた、というような笑い声に、僕は驚いてその発生源を見る。口許を片手で隠した七音さんの横顔に、僕は何故かどきりとした。僕の視線に気付いたように振り向いた七音さんは、笑顔のままで「仲良いんだね」そう言った。
戸惑いながらまぁねと頷く僕はその笑顔が『面白い』よりも『幸せ』だと言っているように見えて、内心首を傾げる。そしてまた七音さんが前を向き、すぐに三郎がこっちを見たのを確認して、彼女の察知能力に感心した。まったくもって不思議なひとだ。
最終的に僕と三郎とハチはもう一種ずつ、七音さんも玉入れに参加することになって、参加種目は決定された。三郎とは違う形でクラスを引っ張っているハチが騎馬戦の練習をしようとクラスの男子に呼び掛けたことで、きっと当日まで慌ただしい放課後を送るんだろう。頑張ろうねと七音さんに言えば同じ言葉を彼女は返してくれた。きっとこの間のことは思い違いなんだと思わせるその笑顔は完璧で、それでも僕は疑惑を抱えたまま、とりあえずは目の前の体育祭へと気持ちを切り替えることにした。


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