しるし

この学校では六月に体育祭が行われる。まだまだ始まったばかりのクラスの団結力を高めるためという名目のそれは、前期から生徒会に入った者にとって最初の大きな仕事だ。僅かながら緊張もある。しかし香純先輩も『慣れない仕事は大変だったけれどやりきったときの充実感は半端じゃなかった』と笑っていたから、自分の為にも先輩方の為にも全力で取り組もうと思う。

「大変だけれど、きっと楽しいから。三木、頑張ってね」
「はい!この田村三木ヱ門にお任せください!」
「……もう少し肩の力は抜いていいと思うよ」

そして各クラスの学級委員長を合わせた委員長会議も、これが最初の会合となる。生徒会は主に進行や書記をするだけだけれど、会議が白熱したり逆に何の案も出てこないときは大変らしい。生徒会が独断で決めたりすることのないように、うまく進めていかなければならない。まぁこの進行は生徒会長や副会長の役割なので、香純先輩ならば問題などあるはずがないだろう。一年生の役割は資料を配ったり出た案を黒板に書き出したりといったところだ。

「ところで三木のクラスの学級委員長って……」
「……ああ、残念ながらあいつです」

先輩の問いに思わず眉を顰めて答えれば、先輩は笑っていた。何を笑っているのかと訊きながらも当然予想はついている。先輩のことだから、僕らは相変わらず仲がいいだとか考えているのだ。そんなわけがないとは言えないけれど、面白くないのも当然で、僕はますます不服だと態度に表した。まるで子どものようだと自覚はしているが、他にどうすることもできなかった。

「香純先輩、笑いすぎです」
「ふふ、ごめんなさいね。そう、あの子が学級委員長なの」
「ただの目立ちたがりですよ」
「ふふふ」
「だからっ……」
「田村三木ヱ門!」

なかなかその笑いをやめようとしない先輩に放とうとした言葉を遮ったのは、話題に登っていた張本人だった。僕は振り返りながら、そちらを睨み付ける。先輩の笑みが深まったのは気のせいではないだろう。さっきのことも併せて後で文句を言わせていただくこととして。

「なんだ、平滝夜叉丸。まだ席についてなかったのか。早く入れ」
「うるさい!なんで貴様の指示に従わねばならんのだっ」
「僕が生徒会役員だからだよ。というかこれは別に指示じゃないから早く入れ」

正論を返せば滝夜叉丸が一瞬黙る。しかしそれで黙るほど大人しい性格をしている筈もなく、滝夜叉丸が更に口を開こうとしたところで「一年一組の学級委員長かしら」香純先輩が先手を取った。

「体育委員は先に来ているみたいだから、隣の席についてもらえる?」

その手にはいつの間にか名簿がある。微笑みとともに告げられた言葉は有無を言わさず、滝夜叉丸も「あ……はい」頷きを返した。

「それと、あまり廊下で騒がないようにね。仲良しなのはいいけれど」
「仲良しじゃありません!」
「田村くんも、ね?」
「っ……はい、すみません」

同じように噛みつこうとしてしまったが、念を押されてしまえばそうはいかない。それに全力で取り組むと誓ったばかりで下らないことをしているわけにはいかなかった。
滝夜叉丸の背中を会議室へ押し込み、「こっちもお願い」名簿を受け取る。中で印付けられていたのだろう、ちらほらと埋まっていないのが分かるそれを上から順に目でなぞり、香純先輩のクラスで止まった。学級委員長の名の横に、印はない。
「おい」そこに掛かる声は、聞き覚えのあるものだ。僕は顔を上げてその姿を確かめる。ふたつある姿ではあるが、間違える筈はなかった。紡ぎそうになったその名をぐっと飲み込む。

「おい、そこの一年。会議は此処か?」
「は、はい。体育委員の隣の席に、お願いします」
「分かった」

鉢屋三郎、先輩。
彼は僕に礼を言うと、会議室へと入っていった。隣にいる香純先輩には見向きもせずに。
先輩はこれを見越して僕に名簿を渡したのだろうか。鉢屋先輩の名前の横、その空白に目を落とす。横から伸びてきた細い指と鉛筆が印を刻んだ。香純先輩は微笑んだまま「鉛筆渡すの忘れてたね」そんなことを口にする。僕は何か言わなければという焦燥駆られながらも、何も言葉が紡げずにいた。そうしているうちに残りの生徒も先輩が名簿を埋めていく。空白は少なかったためそれもすぐに終わり、もう一度上から順になぞって、空きがないことを確認した。

「これで全員かな。悪いんだけど、会長に伝えてきてもらえる?」
「……はい」

時計を見る。もう数分で会議の開始時間だ。食満先輩は生徒会室で二年生代表と資料の準備をしている。既に教室の中には潮江先輩と書記がいる筈だが、優しいひとたちはけっして理解者というわけではない。香純先輩が感情を微笑みに隠せば、きっと気付くこともないだろう。香純先輩はどんな想いであのひとの存在に耐えることになるのか。僕がいるからどうにかなるわけではない、けれど、なるべく早く戻れるようにと僕は早足で生徒会室へと向かった。


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