やさしい

最近藤内の様子がおかしい。
おかしいというか、そう、はしゃいでいる。
いつも一生懸命予習をして、たまにやりすぎたりしちゃって、でも基本的には落ち着いている藤内が、僕でも分かるくらいにはしゃいでいるんだ。これは一大事、というわけでもないけれど、何だか嫌な予感がした。

「ね、ねえ藤内、今日さ、うちに遊びに来ない?」
「ごめん!今日は約束があるんだ」
「そ、っか。じゃあ今度遊ぼう」
「ああ。じゃあ、先に帰るから」
「う、うん」

こないだも、約束があるって言ってた。
つまんない、なぁ。



こうして転んでも、足を擦りむいて血が滲んでしまっても、僕に気付いてくれる人はいない。ぽつぽつと通り過ぎていく人を眺めながら、僕はずきずき痛む膝を抱えていた。いつもなら藤内が見つけてくれるけど、藤内は約束があるって言ってたから来ないと思う。誰かが助けてくれるわけじゃないから、自分で傷口を洗って、絆創膏でも貼らなきゃいけないんだけど。でも痛いから、歩くのも億劫で。

「数馬くん?」

だからもう少し後でもいいかななんてぼんやり考えてると、名前を呼ばれたのに気がついた。声のした方を見ると、最近知り合った人がそこにいる。小首を傾げて、僕を見ている。

「あ、香純さん……」
「偶然だね。どうしたのこんなところで……誰かと待ち合わせ?」
「えっ、と……」
「……ではないか。怪我をしたのね?」

僕の膝を見て、先輩が確認するように言う。僕が頷くのを見たのか見ていないうちにか、先輩は近づいてきて、そこにハンカチを当てる……あっ、駄目だ!

「は、ハンカチ、汚れて……!」
「いいのいいの」

みるみる血で汚れていくハンカチに、だけど香純さんは気にした様子もない。可愛い柄のハンカチにじわりと広がった血は落としにくいのに、どうして何でもないことのように笑えるのだろう。痛かったでしょう、なんて僕を気遣ってくれるんだろう。藤内といい香純さんといい、どうして僕に優しくしてくれるんだろう。
どうして僕は、優しくなれないんだろう。

「ごめんね、痛かった?」
「いえ、っ……」
「……ごめんね、数馬くん」

流れてしまった涙は、膝の痛みのせいじゃない。
ぼろぼろと泣き続ける僕の頭を香純さんが撫でてくれる。それに甘えて、泣いて、泣き止んだのは随分経ってからだった。
いつの間にか手当てもされていて、お礼を言えばいいのか謝ればいいのか分からない。それでも香純さんがにこにこ笑っていたから、「ありがとう、ございます」お礼の言葉。
家まで送ってくれるとの申し出は断ろうと思ったのに、香純さんはいつの間にか僕の隣を歩いてくれていた。膝が痛い僕に合わせてゆっくりとした足取りだけど、香純さんは歩きにくい様子も見せない。家は何処かとか他愛ない話をして、そんなやり取りに安心して。

「藤内は、不器用な子でしょ?」
「え?」
「何度も予習して、練習して、それからじゃないと本番に臨めない子」

いきなり藤内の話が出たことに驚いたけど、僕は香純さんの言いたいことが知りたくて彼のことを思い浮かべる。
そう、なのかもしれない。不器用とは思わないけど、藤内はいつも予習を大切にするし、本番一発勝負は苦手みたいだ。勿論それだって上手くこなすけど、自分で反省点を見つけて復習するのを忘れない。予習復習なんていつもは出来ない僕は、すごいなぁと、思ってばかりだ。
そんな、何も出来ない僕だから、藤内は僕と遊ぶのが嫌になったんだろうか。また落ち込みそうになる僕を引き止めるのは、香純さんの言葉。

「だからね、予習をしているときは、それに夢中になっちゃうの」
「夢中に……?」
「そう、他のものが見えないくらい」

夢中に。夢中になってるから、僕と遊んでくれないのだろうか。僕が嫌になったわけじゃなくて。
僕が香純さんの顔を見上げれば、香純さんは僕に向かって微笑んでいた。香純さんは分かっているのだろうか。僕が、不安に思っていることが。訊いてみても、いいのだろうか。ごくり、息を飲む。

「い、今、藤内は、何か予習をしているんですか?」
「ええ、きっと、してると思う。でも、すぐに数馬くんにも教えてくれるわ」

本当に?僕がそう思うと、香純さんは悪戯っぽく「きっと数馬くんを驚かせようとしてるの」そう言った。本当かなぁ、と不安は消えないけれど、香純さんが言うなら本当なんだとも思う。まだ話したことも少ないけど、香純さんが嘘をつくとは思わない。

「こんなこと言ったの、秘密にしててね」
「はい」

だから、藤内は予習中で、それに夢中で、僕を驚かせようとしているのなら、僕はその本番を待たなくちゃ。だって僕は、藤内の親友だもの。

ふたりだけの秘密だねと笑う香純さんに何だかとても暖かいものを感じて、僕も笑った。僕はこのひとが藤内と同じようにとても優しいひとだと知っていて、好きだなぁと思う。勿論恋とかそういうのじゃなくて、藤内に感じるような、少し違うような、安心感がそこにある。きっと傍にいなくても見守ってくれているような、そんなあったかい気持ちになる。

「……ところで数馬くん」
「はい?」
「爬虫類は好き?」
「えっ?!」

……ほんの少し分からないところもあるけど、僕は藤内と香純さんにはずっと笑っていてほしいなぁと、思う。


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