はなさく

動物園に行かないかと香純先輩に誘われて、僕は今動物園にいる。動物園といってもそう有名なところでない、近場の小さな少し寂れた場所だ。僕も低学年のときに遠足で訪れたきりで本当に久し振りだなと思う。いい一日になるだろう。

「ありがとうございます、香純先輩」
「私が誘ったんだもの。折角なんだから年上っぽいことさせてもらわないとね」
「僕までついてきちゃって、その、すみません」
「大勢の方が楽しいでしょう?来てくれて嬉しいわ、数馬くん」

香純先輩は、小学生だからという理由で僕らの入場料を払ってしまった。お小遣いで十分払える金額なのに気を使わせてしまったことが情けない。しかも数馬を勝手に誘ったのは僕なのに。
けれど、お礼を言う数馬に嬉しそうな顔をする香純先輩に、連れてきてよかったと思う。かつての委員会の後輩と再び仲良く出来ることは香純先輩にとっても喜ばしいことなんだろう。



小さな動物園とはいえ、ひとつひとつゆっくりと見て回れば時間も忘れてしまう。はしゃぎすぎたのか少し疲れた表情の数馬を見て、香純先輩は休憩しましょうかと木陰のベンチを指差した。

「飲み物でも買ってくるわね」
「あ、香純先輩、僕が行きます。何がよろしいですか?」

それくらいはさせてもらおうと申し出れば、香純先輩は困った顔をしながらも「それじゃあ、」ベンチに座った。財布を出そうとするのを押し止めながら数馬の飲みたいものも聞いて、すぐにその場を離れる。こんなときくらい押し通さないと先輩に甘やかされてばかりになってしまう。
わざとゆっくり歩くのは、少しでもふたりの時間を作りたいと思ったからだ。自己満足かもしれないが、香純先輩と数馬が仲良くなってくれると僕も嬉しい。数馬が楽しそうに香純先輩の話を聞いてくれるのが嬉しい。数馬が香純先輩の話をしてくれるようになったら、もっと嬉しいだろう。

自動販売機で三本のジュースを買い、ベンチに戻ろうとすれば、席を立つ先輩の姿が見えた。どうしたのかと思えば僕に気付いた先輩は苦笑いで近付いてくる。

「香純先輩?」
「ちょっとゴミを捨てに。不運なのは相変わらずなのね」
「ああ……」

数馬の頭上の枝木からバサバサと飛び立つ鳥数羽。くるんだティッシュの中身は数馬の不運と掛け合わせれば想像は簡単だ。未遂で済んでよかったと言う香純先輩に同意する。楽しい時間に水を差すようなことがあれば数馬が可哀想だろう。先輩の反射神経のよさに感謝しなければ。
香純先輩がティッシュをゴミ箱に捨てた後、先輩の分の缶を渡す。受け取りながらも先輩の視線は少し遠くに離れていた。どうしたのかとそれを辿ればそこにあるのは爬虫類館だ。
爬虫類、その単語に思い浮かぶあの姿。今世で未だ出会わない彼らのうちのひとり。するすると解け結びつくそれにもしかしてと先輩を見れば、眉尻を下げて悲しそうに微笑んでいた。

「……本当はね、いないかなって思ってたの」
「孫兵、ですか」
「ええ。彼の愛する動物たちは、今の世ではなかなか飼うのも大変でしょう?だから此処に来るんじゃないかと思って」

なるほど確かにこの世で毒虫や毒蛇を飼うのは、少なくとも小学生の身では難しいだろう。だから、鮮やかな色を身に纏う彼や彼女に会うために通い詰めるというのは考えられる。
それに賭けて香純先輩はこの動物園を訪れたのだろう。もしかしたら先輩ひとりで訪れたこともあるかもしれない。だとしたら、それでも見付からなかったに違いない。もし見付けたのならこんな表情はしない筈だ。
ただでさえ少ない客がそこにはちっともいなかった。先輩は何度あの光景を見たのだろうか。何度、落胆したのだろうか。

「……僕の為ですか?僕の仲間が、数馬しか見つかっていないから」
「いいえ。私の為よ」
「でも、先輩は孫兵とはあまり接点はなかったでしょう」
「そうね、たまに八左に頼まれて毒虫探しの手伝いをしたときくらい。でも、藤内の為じゃないの。私が貴方たちの揃う姿を見たいだけ。記憶があるかも分からないのに、私の希望だけで貴方を振り回しているのよ」

ごめんなさいと謝られる意味が分からない。記憶がなくたって、皆に会いたいと思うのは当然だ。いつかまた六人で仲良くできたらと願うのは当然だ。香純先輩はそれを知ってて、それでも僕の為じゃないなんて言ってしまう。それは先輩の優しさをそうと受け取らせないようにしようという響きがあって、なんでそんなことをと不満に思った。

「……それでも僕は、香純先輩に感謝しますから」

数え切れないほど感謝しているのに、それをさせてくれないなんて酷いことが他にあるだろうか。言い捨てるようにしてベンチに歩き出すと背後で香純先輩が息を飲む。そんな気配を顕にする先輩は珍しい。けれど、振り返ることはしない。子どもみたいに不満を態度に出すことは、先輩に対する抗議として効果が高いと知っている。
「藤内、」ベンチに戻る前に追いついた先輩が隣に並んだ。焦る声に呼び掛けられてそろそろと顔を上げれば、焦った表情から柔らかなものに変化する。ほっとしたような、安心から緊張の溶けた微笑み。

「ありがとう、藤内」
「……こちらこそ、ありがとうございます」

先輩に礼を言われるのも違うと思うが、謝られるよりずっといい。僕も態度を謝りたかったけれど今はこっちの方が相応しいだろうと感謝の言葉を贈ると、香純先輩は嬉しそうに目を細めた。

「今度から探しに行くときはちゃんと教えてくださいね」
「そうします」
「ひとりで全部抱え込まないでくださいよ」
「はぁい」

そのまま取り付けた約束に、絶対ですよと念を押す。このことは後で田村先輩たちにも伝えておこう。僕よりも近い位置にいるから、きっと見ていてくれる筈。
そんな僕らにベンチに座っていた数馬が不思議そうに首を傾げて、僕と香純先輩は顔を見合わせる。そのまま何とはなく数馬を間に挟んで座り、慌てる様子に声を上げて笑った。特別じゃなくても、彼らの誰かが見つからなくても、今日はいい日だ。


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