ゆらめく

まったくの偶然だった。
目が合って、逸らされる。
たったそれだけの邂逅だった。



昼の休憩時間になると、私はすぐに図書室へと向かった。
扉を開ければカウンターの向こう側に座っているその人と視線が合う。いつだったかの記憶と重なって、私はあの頃のように笑おうと口角を意識した。表情を繕うのは少し下手になっていて、上手く笑えていたかは分からなかった。

「こんにちは、中在家先輩」
「……返却か?」
「はい。お願いします」
「ん……」

図書室の中には他に人はいなかった。気兼ねなく、ということはないけれど、普通の声量で話しても咎められることはなかった。
持っていた本をカウンターに置けば、中在家先輩は小さく頷いて引き出しを開ける。そこに貸出中の本の貸出カードが管理されていることは私も知っていた。あまりカードが入っていない上、クラス別に分けられたそこから私が借りた本のものを見つけ出すのは簡単だ。中在家先輩は手慣れた動作で『返却』の印を押した。
本は後で図書委員が棚に戻すことになっている。だから本を渡した時点でここから離れてもいいのだけれど、私がそうすることはなかった。

耳を澄ませ足音が近くにないことを確認して、私はカウンターの向こうに足を踏み入れる。中在家先輩から咎めの言葉は出ない。私がそうすることの理由を知っているからだと思う。
中在家先輩の傍に座り込み、彼の腿に頭を寄せる。本当は背中をお借りしたかったけれど、椅子に座っているからそれは難しかった。先輩の手を取って私の頭に誘導すれば、大きな手と腕に重なって先輩の顔は見えなくなる。じんわりと暖かい熱に涙が出そうなのを、ぐっと我慢。
私が泣くのは間違いだ。私は伝えるだけ。いつか交わした約束を果たすべく、ちゃんとお話ししなければならない。
ひとつ短めに息を吐き出して、私は口を開いた。

「この間、立花先輩に似た人を見ました」

ぴくり。先輩の僅かな反応には気付かない振りをして、私は続ける。

「似た人、とはいえ、今までから言うと『立花仙蔵』さんで間違いはないでしょう」
「……記憶は、ないか」
「……はい。私を見ても何の反応もありませんでしたから。演技じゃなければ、ですけど」

けれど、あの頃の記憶があったなら、きっと演技も出来ない。私だって、中在家先輩だってそうだった。目が合って、逸らされないことに驚いて、でも表情は取り繕って。そうやって、互いが『そう』であると認識した。
けれどあの人は訝しげな表情で私を見て、すぐに目を逸らした。相変わらず綺麗なお顔をしていたから、面識もない女が自分に見惚れているとでも判断したのかもしれない。とにかくあの人は、あの人であったけれど、立花先輩ではなかった。

「善法寺さんと同じ私立中学の制服を着ていました。……これで先輩たちは全員ですね」
「……そうだな」

中在家先輩がどんな顔をしているか、私には見えない。見たくないのだと思う。その表情を、表情の裏を、読み取りたくないのだと思う。
先輩たちは、あの六人の中では、記憶があるのは中在家先輩だけだった。潮江先輩も立花先輩も七松先輩も食満先輩も善法寺先輩も、あの頃を覚えている人はいなかった。
自分だけ。それを知った中在家先輩の胸中にどんな想いが渦巻いているのか、私にはまだ分からない。私はまだ見つけていない人が二人いるから。

未だこの世で姿を見ていない彼らも、きっとすぐ傍にいるのだろう。私たちは何故かこの地に集まっているから。二人もきっとすぐに見つかる。けれど。
瞼を降ろし、あの頃のふたりを映し出す。兵助と勘右衛門。彼らが見つかったら、彼らにも『昔』の記憶がなかったら、私は一体どう思うのだろう。どうなるのだろう。
ふたりに逢いたくないと思ったことはないけれど、そのときが来るのが、少し、怖い。


目次
×
- ナノ -