某日、約束のあった日の話

「遅かったのね」

バレーやらマラソンやら塹壕掘りやらでふらふらのへとへとになった(勿論ひとりを除いて)体育委員会の面々を迎えたのは、むすりと不機嫌そうな顔をしたちづるだった。遅い?何が?と疲労の中に疑問を浮かべながらも聞くことのできない滝夜叉丸たちに、ちづるはぱっと表情を柔らかいものに変えて「お疲れさま」と優しい言葉をかける。つまりちづるの怒りの矛先は委員長である小平太か、と、滝夜叉丸がその様子を窺えば、彼は今までに見たことのないほど真っ青な顔をしていた。いつもならばちづるが視界に映るだけで嬉しそうにするのに。滝夜叉丸たちにとっては驚愕である。

「す、すまん、ちづる……」
「別に、いいわよ。三日前から団子を食べに行こうとそっちが言い出して、まぁ約束したからと予定も空けていたけれど、すっかり忘れられて待ちぼうけになってしまっても、全っ然、気にしないわ」

これは、まずい。滝夜叉丸はたらりと冷や汗を流す。これほど分かりやすく怒っているのに気付かないわけがなく、他の後輩たちも蒼白な顔で一歩退がった。
言葉の棘は全て小平太へと突き刺さっている。既に泣きそうにしているが、どうやら自業自得なので庇う言葉も思い付かない。というか後輩たちが庇えばその倍の口撃が小平太に襲い掛かるだろうと思えば、どういう理由であれ動ける筈もない。

「ほ、本当にすまん、つい……」
「つい、楽しくなってしまったのよね。ええ、仕方ないわ、楽しかったら私を放ったらかしてでも後輩と穴を掘り続ける方を選ぶのよね」
「ち、ちが……」
「私はもうあんたと約束なんてしないし、共に出掛けることもないけれど、後輩たちがいるからいいわよね」
「ごめんなさい!もうしないから!もう約束破らないから!」

あ、泣いた。そう思うと同時に土下座する小平太にはもう周りは見えていなさそうだ。関係ない後輩たちも謝りそうなほどだから、そんな委員長に幻滅するわけはなかった。
対するちづるは、はあ、と溜め息を吐く。その音にもびくりと反応する小平太をじっと見つめ、それから空を見上げた。釣られるように滝夜叉丸も視線を空へ。

「……峠のお茶屋さん、日没までだったわね」

既に空は橙色から暗い色へ移りつつある。もう四半刻もしないうちにすっかり夜闇に染まるだろうが、まさか。
それを肯定するように、にっこりとちづるは笑う。

「残ってるだけ全部、買ってらっしゃい」





あっという間に姿も見えなくなった小平太に、それを見送った滝夜叉丸たちは残ったちづるを見る。先程まで怒気の含んだ笑みを浮かべていたちづるはすっかりとそれを納め、ただただ柔らかな微笑みを彼らに向けた。
「あの、ちづる先輩……」きっと小平太を擁護しようとしたのだろう、金吾の覚悟を籠めた表情に、ちづるはそっとその頭を撫でることで言葉を遮る。

「心配させてごめんなさいね。あんまり怒ってないのよ、本当は」
「で、ですが……」
「峠のお茶屋さん、今日はお休みなの」
「え?」
「だから、それで許してあげようと思って」

許すの一言だけで金吾と四郎兵衛の表情が明るくなったが、滝夜叉丸は思う。あの調子なら買えなかったら遠くの町まで走るんじゃないだろうか。その頃には日も沈んでどこも店仕舞いしているかもしれないし、そもそも委員会中であったが銭は持ち合わせているのか。買えなかったとあっては絶望的な未来が見えている筈。それすらも見越しての罰であれば、なんと恐ろしいことか。
それでも後輩にいらぬ心配をかけさせるよりはと黙ったままの滝夜叉丸に、ちづるは何を思っているのかくすくすと笑う。そうして金吾の手を取ると、少し悩んでもう一方で三之助の手を握った。

「小平太もすぐ帰るでしょうから、皆でお茶の準備でもしましょうか。お団子、買ってきたの」
「え、え?」
「委員会中だと中在家に聞いたから、とっとと買いに行ったのよ。先に食べてましょう」

そのままふたりの手を引いて歩き出し、四郎兵衛が指示を仰ぐように滝夜叉丸を見た。夕食前ではあるが金吾も三之助もきっと嫌がることはないだろう。方向音痴まで預かってもらってしまっては、ついていかないわけにはいかない。
後で何本か残していただけるようにお願いしよう。今頃山道を走っているかもしれない先輩は、どれだけ落ち込んでいてもそれでどうにか立ち直る筈だと滝夜叉丸は考えつつ、我々も行こうかと四郎兵衛を促して後を追った。

まぁ、既に彼の分もこっそり取っているかもしれないが、と外れていない予想を立てながら。


 

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