某日、雨の降る日の話

ついてない、とちづるは舌打ちする。
木の幹に背を預けて空を睨むちづるは裏裏山で薬草を摘んだ帰りだった。授業の一環として提出するものであるから時間を掛けて選び、十分な量を集め、暗くなる前に戻ろうと山を降りる最中、雨が降りだしたのである。
すぐに止むだろうと木の下で雨宿りをしたのが間違いだったのか、いや、走って学園に戻ったとしても帰りつくころには全身水浸しになっていただろう。ちづるはついてないと繰り返し溜め息を吐いた。こうなると分かっていたら葉の大きさくらい妥協したのに。
木の下にいたところで雨を防げるわけもなく、しとしとと濡れる装束にそろそろどうするか決めなくてはと考える。今からでも走って山を降りるか、止むと期待してもう暫し待つか。夕立だろうとは思うのだが、止むのを待っていたら随分と遅くなるかもしれない。だが荷物を濡らすのも避けたいことだった。丁度忍たまの誰かでも通り掛かってくれないかしらと都合のいい考えが浮かび、すぐに振り払う。期待などするだけ無駄なのだ。広い山で人に出くわすのも、それ以上も。

「ちづる!」
「……なぁんだ、小平太か」

それを証明するかのように、偶然通り掛かった七松小平太は傘を差してなどいなかった。裏裏山にいるなんて鍛練か委員会活動中なのだから当然だ。どんな場合だったとしても、彼が傘を差す姿など想像できないが。

「なんだ、雨宿りか?」
「まぁ、ね。あんたは委員会?」
「いや、今日は自主トレだ!」

にかりと笑う小平太は雨などちっとも憂鬱になる要素にならないのだろう。羨ましい限りだ。自然と隣に立つ小平太を咎めることもなく、ちづるは既に色の変わりつつある彼の着物を見つめた。
元は緑だったそれは更に深みを増している。まだまだ走るだろう彼はそれがどんな色になっても気にするまい。水を含んで重たくなったところで、彼の走りは止められないのだ。

「まあ、馬鹿は風邪引かないと言うし」
「んん?」
「何でもない。自主トレの続きは?」
「ああ、裏裏裏裏山までもうひとっ走りしようかと思ったんだが……」

体が冷えることは心配するだけ無駄だろうとちづるは一人言で片付ける。心配するのが気恥ずかしいのだとは気付かぬ振り。不審を抱かさないうちに小平太に問えば、小平太は特に気にした様子もなく答えた。

「雨で足場が悪くなった中ちづるをひとりで帰すのも心配だから、ちづるを送ってからにする!」
「別に心配されなくとも、帰るくらい問題ないわよ。何年くのたまやってると思ってるの」
「いいじゃないか。心配くらいさせてくれ」

女とはいえ、そしてたまごとはいえ忍が、足場が悪いくらいで心配されるなんて下手をすれば馬鹿にしているのかと思ってしまう。しかしそんな思いは一切持ち合わせていないだろうことも分かっているちづるは軽く言い返すだけだ。それに、こうも堂々と好意を伝えられて悪い気は、まぁ、しない。

「で、どうするんだ?帰るのか?まだ待つか?」
「……そうね、じゃあ、帰ろうかしら」

止むにはまだ時間が掛かるだろうし、待っている間にもずぶ濡れになってしまうだろう。そう考えてちづるは答えた。ついでに言うならば、早く終わらせて自主トレの続きに戻らせてやろうとも考えたのだが、それを認めようとは思わない。
「そうか」ちづるの答えにそう相槌を打った小平太は、ううんと唸りながら空を見上げた。枝葉の隙間から覗く灰色の空は絶えず雨を降らせている。どうしたのかとちづるが首を傾げたのと同時に始まった小平太の行動は速かった。
ばさりと頭上で音が鳴り、途端に視界が狭くなる。しっとりとしたそれは先程まで小平太が着ていた上着だと気付くのに時間はさほど掛からなかった。

「もう既に濡れてるけど、ないよりはましだろう?」
「小平太、あんたね……」
「ちづるが風邪をひいたら大変だからな!」

水を含み、更に暗器か何かも隠されているだろう上着は結構重い。さすがに文句のひとつも言いたくなったが、当然悪気もなくにかりと笑う小平太にぐっとそれを飲み込んだ。

「……ありがと」

代わりに吐き出した言葉に、小平太はますます嬉しそうにする。上半身は前掛けだけとなった彼は、そんな季節じゃないとはいえなんだか寒々しい。それでもそんなことを言われたら、突っ返すなんて出来やしない。それじゃあ行くかと笑い手を引いて走り出す小平太が、それでも速度を落とし気味にしていることに気付き、ちづるはなんだかなぁと言い表せない感情に心を擽られながら足を走らせた。繋がれた手が熱いのは、どちらのせいだろうか。
学園に戻り、くのたまの敷地に入る手前で「それじゃあまたな」と小平太は踵を返した。上着を返す暇もなく走り去った彼に、ちづるは溜め息を吐いて長屋へと向かう。上着は明日にでも返せばいい。まずはすっかり濡れてしまった着物を脱いで(上着ひとつで防げるような雨でもない)、出来れば風呂にも入ってしまおう。万が一にも風邪などひかないようにして、それから上着に隠された小しころや暗器の類いの手入れくらいはしておいてあげようと、そんなことを考えながら。




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