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ちづると共に山を進む。マラソンは嫌だとちづるが言ったから、小平太には精々早歩きの速度である。つまらないなと小平太は思ったけれど、そんな考えはすぐに吹っ飛んだ。
ゆっくり進めばそれだけちづると一緒にいられたし、機嫌も悪くないちづるは会話もきちんと交わしてくれる。それだけのことで小平太は嬉しく思った。それだけのことが、小平太には初めてだった。
さっきは笑顔も見れたし、その笑顔を向けられもした。あんまり可愛いものだから小平太の胸がどくんと跳ね、何も言葉が出なかったことが勿体ない。

「でも、あんたが傷薬を持ってたなんて意外ね」
「ん?ああ、これか?本当は、その、……お前にやるつもりだったんだ」
「は?私に?」
「ちづるに笑ってほしくてな。いさっくんに協力してもらったんだ。でも、ちづるの後輩の怪我を放置したらちづるがきっと悲しむと思って使ってしまった」

朝と違いするりと言葉が出たのは、ちづるが後ろにいて顔が見えないからだろうか。鼓動はまた速くなっているけれど。
滝夜叉丸から返された二枚貝を、小平太は懐から取り出す。中身は随分と減ってしまっていたが、小平太は後悔していない。このお陰でちづるは笑ってくれたのだから、笑顔を見たいという目的は達成されたのである。
けれど一度笑顔を向けられたら、もっと見たいなんて欲望が湧きだす。今度は自分に笑ってほしいと望んでしまう。

「これは随分減ってしまったから、また新しく作ってもらったのを渡すからな」

そうしたらまた笑ってくれるだろうか。そんな小平太の思いに「馬鹿ね」ぽつりとちづるが呟く。何度も言われたその言葉にいつもの嫌味はなくて、優しい声色が小平太の心を暖かくさせた。

「ありがと、七松」

ちらりと後ろを振り返った小平太の目に映った彼女は、笑っていて、ああ、やっぱり。




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