仲良くなりたい女の子 よく分からない女がいる。 「こ、こんにちは、鉢屋くん!失礼しました!」 私の名を呼び挨拶をしてすぐに去っていく、くのたま五年生の律子のことだ。 ここ最近、毎日のように繰り返しているこの行為に一体何の目的があるのか。問い質そうにもすぐに居なくなる。他は知らないが遁術だけは一流らしい。何度か合同実習で一緒になったことがあるので女の名前は分かっているが、それ以上のことは未だ殆ど分かっていない。 「また行っちゃったね」 「毎日毎日頑張るなぁ」 雷蔵と八左ヱ門が、走り去った律子の背を見送りながら言う。律子が来るときは大抵このふたりも一緒だ。というか、必ず雷蔵が一緒だ。恐らく見分けがつかないのだろう。私の変装が五年生に簡単に見破られるわけがないのだから当然かもしれないが、そうまでして私に挨拶をする意味とは。幾つか想像はつくが、どれも決定打に欠ける。 「何がしたいんだ、あの女は」 「毎日挨拶して、すぐに姿を消しちゃって」 「しかも挨拶は三郎にだけ」 何なんだろうな、と八左ヱ門が首を傾げる横で、雷蔵が腕を組んで真剣に考え始める。……いや、悩んでいる。しまった、暫くは動かないかもしれない。これから実技の授業だというのに。 とりあえず雷蔵の腕を引きながら集合場所に向かうことにした。授業が始まる前に何かしらの結論が出てくれればいいが。 そんな心配は杞憂に終わる。木下先生が号令を掛けるか否かのところで、雷蔵は晴れやかな表情でちょいと私の装束を引っ張った。そして語る彼の考え。 「やっぱり捕まえてみればいいんじゃない?」 大まかな感は、雷蔵らしいと思っておこう。 「あ、鉢屋くん、おはよう!」 翌朝、用具倉庫の近くで律子は姿を見せた。雷蔵たちがその方を見て把握するのと、「じゃあね!」律子が踵を返すのがほぼ同時。 そうはさせない。八左ヱ門が合図を送るのを横目に、私は時機を待つ。 「律子、悪い!」 「え?――きゃあっ?!」 八左ヱ門の声に気を取られた律子の、その足元を犬が駆け抜ける。体勢を崩す律子に私は潜んでいた藪から飛び出し、抱き抱えるように受け止めるとそのまま数歩。足元が崩れ浮遊感。理解の追いついていない律子に怪我のないよう配慮すれば、ふたりしてすっぽりと綾部の掘った蛸壺の中だ。 思った通りそれなりの深さの此処からは、律子も簡単には逃げ出せないだろう。 「大丈夫かー?」 穴を覗き込んでくるのは八左ヱ門と、雷蔵の顔がふたつ。律子はそれを見上げると目を見開いた。 そうだな、雷蔵の顔をしているのは雷蔵本人と私、鉢屋三郎のふたりの筈。だからふたりでいた雷蔵のどちらかは鉢屋三郎と思った筈だ。 けれど鉢屋三郎は此処にいる。お前を捕まえて、問い質すために此処にいる。 「ふ、ふわくん、と、はちやくん、じゃ」 「残念、あれは雷蔵と兵助だったんだ」 未だ混乱している律子にネタばらしをしてやれば、頭上で兵助が鬘を外してぶいと指を立てた。事情も分からないまま協力してくれた兵助への報酬は、朝食の冷奴で払い済みだ。 律子の顔からサアと血の気が引き、そしてすぐに耳まで真っ赤に染まった。ようやく体勢に気付いたか。今の律子は逃げないよう私の腕の中にいる。じたばたと暴れようとするのを押さえ込み、逸らそうとする顔を無理矢理こちらへ向けた。 「それで、何故毎日私に挨拶を?」 「っ、……!」 早速本題に入ってみれば、律子は視線をさ迷わせながらぱくぱくと口を開閉させる。答えるまでは放すつもりはない。湯気が出そうだけど。泣きそうだけど。少々面白い。 この様子を見るに、そして今までの行為を振り返るに。きっとこの女は私に少なからず好意を抱いているのだろう。たとえば他のくのたまに唆されたかして毎日挨拶に来ている、と考えられなくはない。 これに対して私はどうするべきか。好意を持たれているなら行為で返してやるべきか。浮かぶ考えに唇の端が釣り上がる。 「やりすぎだよ三郎」 けれど上から聞こえた雷蔵の声と頭に降ってきた衝撃に、両の手を放してしまう。痛い。見てみれば麻袋が地面に落ちていて、それが衝撃の原因に違いない。中身は何だ結構重いぞ。 目を離した隙に律子は苦無で土壁を登り、急ぎ手を伸ばすが掠めただけ。私が穴から抜け出したときには既に姿は見当たらなかった。やはり遁術だけは秀でているようだ。八左ヱ門たちも止めなかったようだし。 「あれはさすがに駄目だよ」 「何を言う。普通、くのたまがあの程度で動揺するものか」 「他のくのたまから制裁されてもしらねーぞ」 雷蔵に窘められ、つい嘯いてしまう。あんな初ではくの一として成り立つものか、とは言えど演技ではないだろう。調子に乗りすぎたと言えなくもないので反省はしよう。加えて、八左ヱ門の言う通りの事態だけは避けたい。 けれど、だ。 「もう一度だけ、明日も彼女が来るならば、もう一度だけ協力してくれないか」 再度律子を捕まえたときは、一言伝えたいことがある。私がそう訴えると、雷蔵たちはどういう意味かと首を傾げる。大丈夫だ雷蔵、もう彼女で遊ぶような真似はしないから。 よく考えてもみろ、彼女は私に挨拶をしてきているのだ。 「挨拶には挨拶を返すのが、礼儀というものだろう?」 当然、からかうのが面白そうだという考えも、ないではないけれど。 ネタ提供ありがとうございました! ← ×
|