少年Κの課題

ドアが閉まるのを最後まで見届けてから、俺は踵を返した。教室に戻るか自販機に寄るか考えて、財布が鞄の中だったと思い出す。まあ仕方ない、教室を出るときはそんなことまで考えていられなかったのだから。
廊下を歩きながら幸せを噛みしめる。今日も飛鳥井と話が出来た。可愛らしい笑顔も見ることが出来た。名を呼んでもらうことが出来た。
今ならば文次郎が突っ掛かってきても笑って済ませることが出来そうなくらい、幸福だった。

「しかし、さすがに焦ったな……」

階段の手前、丁度この辺りで紡がれた言葉を思い出す。何処に行くのか。何とか誤魔化せたが、あのときは内心冷や汗が滝のように流れていた。
そもそも俺には目的地などなかった。飛鳥井に会いたいが為に教室を出て、少しでも話したいが為に共に歩いていたのだから。図書室に着いたら引き返そうとしか考えていなかったのだ。
しかし素直にそう言うわけにはいかず、焦りながら出した言葉はなんとも苦しいものだった。不審に思われなかったか心配だったが、まあ、最悪の事態は免れただろう。……免れたと思いたい。



「おかえり、留三郎。彼女には会えたのかい?」

教室に戻ると、俺の席の前に座っていた善法寺伊作がそう言った。頷けば、よかったじゃないかと自分のことのように喜んでくれる。いい親友を持ったものだ。

「それで、メールアドレスは?」
「それは……まだだ」

弁当を広げ、俺たちはようやく昼食を取り始める。伊作はかなり片寄った弁当に一瞬眉をひそめ、その表情のまま俺を見た。言いたいことは分かっている。ここ数日、連絡先を交換すると伊作に宣言しては悉く失敗しているからだ。

「そもそも、どうやって切り出せばいいのか……」
「教えてくれって言えばきっと教えてくれるよ」
「理由を聞かれたらどうする!」
「好きだって言っちゃえば?」
「言えるか!」

今はまだ!いずれはきちんと言うつもりだが、焦って失敗をするわけにはいかない。ちゃんと向き合って、互いのことを知った上で恋仲になりたいのだ。好きになったきっかけがきっかけだから、それだけではないと自分に認めさせる為にも。
その為の段階を踏むのに手こずっているのが現状なのだが。はあ、と溜め息を吐けば、幸せが逃げるよと伊作が言う。お前だけには言われたくない。

「大丈夫だよ。留三郎は待ち続けたんだ、すぐにきっとチャンスが巡ってくる」
「伊作……!」
「とりあえず、彼女は今日の放課後も図書当番なんだろう?終わりの時間まで待ってみたら?」

ふむ、そうだな。部活は引退しているし、いつも通り後輩の練習相手になってやるつもりだったが途中で抜けてもいい。こんな機会が次にいつあるか分からないし、もしも会えたら帰路を共に出来るかもしれない。何より一日に二度会えるかもしれないというのは大きな魅力だった。
「焚き付けておいて何だけど、ストーカーにはならないでよね」伊作の呆れたような笑いは聞かなかったことにしておいた。自分でもちょっと気にしているんだ、これでも!




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