暴君Nとの遭遇

「なあ、十円玉五枚持っていないか」

私はこのひとを知っている。食満先輩や中在家委員長のご友人のひとり、暴君こと七松先輩だ。学校の有名人ともいえるひとに声を掛けられて驚いた私は、少し遅れて先程開いたばかりの財布の中身を思い出し「あります」七松先輩に告げる。その答えにパッと表情を明るいものに変えた七松先輩は自分のポケットから銀色のコインを一枚取り出した。



「いやぁ、すまんすまん。まさか自販機が釣り銭切れを起こすとは思ってなかったんだ」
「困ったときはお互い様ですよ。両替くらい気にしないでください」

ちゃりんちゃりんと七松先輩は自動販売機に小銭を入れていく。ジュースを買いに来たのに釣り銭切れで立ち往生していたらしい。すぐそこにある食堂は込み合ってるから両替も大変だろうし、私といえばパンのお釣りがすべて十円玉で返ってきて財布が膨らむなぁなんて考えていたところだから、お互い丁度よかったりもする。
しかし、どうして私はまだ此処にいるんだろう。両替も終わったのだからさっさと教室に戻ればよかったのに、何故か七松先輩に引き留められてしまったのだ。どのジュースがいいだろうか、とか、そんな質問によって。

「昼飯それだけなのか?授業が終わるまで保つのか?」
「女子は大体これくらいで十分ですよ。部活もしてませんし」
「じゃあ委員会は?」
「今日は活動日じゃありませんから」
「ふーん」

七松先輩とこんな話をしているのも、何だか不思議だ。親しいひとの友人とはいえ『知っている』程度のまったくの他人なのに。更に言うなら、七松先輩は私のことを知らないだろうに。

「なあ、花は好きか?」
「え。好きな方ですけど……」
「あそこの花壇、綺麗に花が咲いてるだろ。私、昔あの辺の花壇を壊してしまったんだ」
「ああ……」

七松先輩の話は唐突だ。七松先輩が視線で示した食堂の傍を彩る花壇を見て、一年と少し前の頃の話だろうかと思い出す。正確には中庭の花壇だった筈だけれど、まぁ、別にわざわざ訂正するほどのことでもないから指摘するのはやめておいた。

「それで、用具委員の友人は怒るし図書委員の親友にも迷惑を掛けてしまってな。ああ、勿論他の用具と図書の委員たちにもな」
「はあ」
「だが今ではあんなに綺麗に咲いている。しっかり元通りにしてくれた友人たちは私の自慢だ」

花壇を見ながら、私は中庭の花壇を思い浮かべた。たまに私も水やりをしているけれど、確かに咲き誇っていた花は今でも見事なものだった。それも偏に中在家委員長の尽力によるものだと知っている私は何となく誇らしい気持ちになってしまう。そして用具委員の友人とは食満先輩のことだろう。あの立派な花壇は食満先輩たちが修復されたのだなぁと思うと感慨のようなものを覚える。あとそんな以前から食満先輩との接点があったのだと思うと、まぁその、ちょっとときめきのようなものも感じた。
ガコン、ガコン、と自動販売機から聞こえた音に意識を戻す。どうやらジュースは無事に決まったらしい。七松先輩はすぐに教室に戻るだろうし私も早く戻らないと友人が食べ終わってしまうかもしれないななどと考えていれば、目の前に缶ジュースが差し出された。先程七松先輩におすすめしたものだと気付いて、七松先輩に視線を向ければ、七松先輩は満面の笑みを浮かべていた。

「付き合わせて悪かったな!これは礼だ!」
「え、そんな」

遠慮しようとしても半ば無理やり缶を握らされ、抵抗しても無駄かとありがたく受け取ることにした。お礼を言えば七松先輩はにこにこと笑ったまま軽く私の背中を叩いた。軽く、だと思う。とても痛かったけど、多分、手加減はしてくれたのだろう。
「飛鳥井」名前を呼ばれてもう一度視線を合わせて、それから不思議に思う。一度も名乗ってない筈なのに、何故私の名前を知っているのだろうか。けれど訊くよりも先に七松先輩は言った。

「長次と留三郎を宜しくな!」

その言葉に、理解する。どちらから訊いたのかは分からないけれど、このひとは私のことを知っていたのだ。途端に気恥ずかしくなるけれど、七松先輩はじゃあなと走っていってしまった。嵐のようなひとだ。
残された私は缶ジュースを手で転がし、ようやく教室へ戻ることにした。きっと偶然じゃないこの遭遇について、友人に話すことを心に決めて。


 

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